やしろじょう

屋代城

長野県千曲市

別名 : 一重山城
旧国名 : 信濃

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主郭全景
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朝田 辰兵衛

猛暑のあとは雨… (2023/05/07 訪問)

GW遠征,雨が降らずに終わるのかと思いきや,雨男は最終日にしっかりとまとまった雨を呼び込みました。
ずっと晴れは続かないだろうと思い,雨が降った場合のスケジューリングも組んでいて幸いでした。
ここを散策し,(すでに投稿済の)川中島古戦場と長野市立博物館に向かいました。
屋代城においては,主郭南西部の石垣見落としに注意です。雨の日は斜面が滑ったため,いいアングルでは撮影できませんでした…。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:屋代城 (2023/04/20 訪問)

松田家館から転戦。成田山不動尊石段前(36.538653、138.128837)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、屋代氏によって築かれたと云われています。 屋代氏は村上氏の一族で屋代家盛より始まるようです。
1553年(天文22年)武田氏が侵攻してくると屋代正国は塩崎城主の塩崎氏とともに武田氏にいち早く降伏し、村上義清は葛尾城を失って越後の長尾氏を頼って落ちていきました。武田氏に属した屋代正国は荒砥城主となります。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡すると織田信長の家臣森長可がこの辺りを支配しますが、信長が本能寺の変に倒れたため森氏は撤退、越後の上杉氏の勢力が伸びてきます。
上杉氏は村上義清の子村上国清を海津城主に任命すると屋代秀正を副将として二の丸に配しますが、1584年(天正12年)秀正は上杉氏を離反して荒砥城に籠もりました。
しかし、荒砥城で上杉氏の攻撃に対抗できず、秀正は家康を頼って落ちていきました。
その後、屋代氏は秀正の子忠正が安房国北条に10,000石を領して大名となりますが、三代忠位の時に改易となり、子孫は旗本として存続しました。

屋代城は屋代駅の東の一重山に築かれ、現在は一重山公園として整備されており、北端の成田山不動尊から尾根伝いに遊歩道があります。
主郭から北へ伸びた尾根に堀切で遮断されたた曲輪群が先端の成田山不動尊まで連なっています。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=麻績城に向かう前にホテルに戻って朝食をとります。

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姫街道

美しい山城シルエット (2023/01/11 訪問)

二回目の登城になるが、今回は下草が枯れていて本当に見やすかった。特に遠景。階層的曲輪間に堀切+竪堀+土塁が整然と作られている姿がわかる。城外周を歩いても15分程度だから、得した気分だ。城内も整備が行き届き素晴らしい。三の曲輪と二の曲輪間にある、「武者隠し土塁」が一押しだ。

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一重山 (2022/10/01 訪問)

 しなの鉄道線屋代駅の背後の山が城址です。北側登城口から登城しました。尾根を上がっていくため緩やかな傾斜で道も整備されていて登りやすいです。堀切により各曲輪が形成されていますが、一部は土取りで失われています。堀切や竪堀は浅くなっていると思いますが、武者隠しの土塁などもあり楽しむことができました。ただ城郭放浪記さんのHPによると主郭背後の水道施設と墓地になっている所は5重の堀切があったとのこと、見てみたかったですね。主郭西側には石積みが残っています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 屋代信光
築城年 永正・天文年間(1504〜1555)
主な城主 屋代氏
廃城年 永禄2年(1559)
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 市史跡
再建造物 説明板
住所 長野県千曲市大字屋代334-3他
問い合わせ先 千曲市役所教育部文化課
問い合わせ先電話番号 026-275-0004