かなやまじょう

金山城

群馬県藤岡市

別名 : 平井金山城、平井詰城
旧国名 : 上野

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火ノ島豊後守正宗

金山城 (2024/07/13 訪問)

正76城目。
太田駅内の観光案内所で自転車をレンタルして10分程度で資料館に到着。
この資料館から車道沿いに10分ほど進めば山頂近くまで行けますのでそこから山頂を目指すのがベストでしょう。ただ、私はその道を知らなかったので資料館で自転車を置いて登山しました。かなり疲れました。

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ヒロケン

平井金山城 (2024/03/02 訪問)

平井金山城は関東平野の北西部、鮎川が関東平野に流入する谷口にある、標高331m金山の山頂とその尾根筋に築かれた山城で、平井城の詰城であったと考えられています。
城の規模は、東西400m、南北400m程で山頂の主郭を中心に東、北、西側稜線に郭が展開された不規則な連郭構造で構築されています。
主郭から北側に伸びる尾根筋に北郭群が設けられ、主郭の下に帯郭、主郭と北郭群とを隔てる堀があり、主郭と北郭群をスロープ状の土橋で繋げています。
北郭群はなだらかな北側稜線を加工し7~8段、階段状の郭群からなり、低い段差で仕切られており、尾根筋が狭く、また側面が急峻な斜面になっていて、堅固な防御ラインとなっています。また、北郭群から北西方向に張り出した稜線に井戸郭があり、岩盤を削って築かれた井戸跡が残っています。

平井金山城へは、初めての訪問でT₋shionoyaさんが投稿した櫓門跡の石垣が見たく行ってきました。皆さん方の投稿にあるように、結構急峻な登城路で、枯葉で足を滑らせながらの登城です。また、登城口から登り始めて直ぐに、人為的に竹が伐採され登城路を塞いでいました。登城路を間違えたのかと思い、登城口まで引き返したぐらいです。また、至る所に獣の〇〇が大量にあり、相当数の獣がいるものと思われます。
 何故、この様に平井金山城を否定的に投稿するかと言うと、T₋shiionoyaさん投稿の櫓門跡の石垣を見学するのを忘れてしまったからです(涙)駐車場・トイレ完備、説明版、各郭の案内、パーフェクトでした。ですが、石垣を見ずに帰っちゃった(涙)途中のサービスエリアで画像の確認をしている折に気付き、引き返そうかと思ったが、泣く泣く帰宅しました。
それともう一つ、金山城で検索すると、100名城の金山城ばかりがヒットして、平井金山城はあまり出てきません。下調べをする際は、平井金山城で検索することをお勧めします。

正直、石垣を見ずに帰宅するという大チョンボをおかしましたが、それ以外は戦国時代の構造をよく残す山城で、絶対にお勧めの山城です。

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牛若丸

平井城の後詰めとされる城 (2023/05/03 訪問)

山城なので当たり前ですがかなりの急坂でした。
本丸まで片道30分はかかります。道中は道がわからなくなる箇所もありましたが見応えある山城です。
遺構も良く残っています。

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T-Shionoya

関東管領の城へ その2 平井金山城 (2022/12/03 訪問)

昨年の12月初旬は、先週投稿した平井城に続き群馬県藤岡市の平井金山城へ。

平井金山城は平井城の背後に位置する比高約170mの金山を城郭とした詰の城。
築城時期は、案内板に関東管領上杉憲実が鎌倉を退却した1438年頃と書かれてますが、1466年に家督を継いだ上杉顕定の平井城改修時との説もあり詳細は不明。

現在は、大手口が利用不可なものの搦手口から井戸曲輪に掛けてが関東管領金山城址公園に。
搦手から登ると、急斜面に深い枯葉の絨毯が滑りやすく要注意状態。
物見台からは比較的緩やかになり、本丸までに複数のクランク状虎口が存在。

本丸北側の腰曲輪には土塁と土橋を確認できる虎口があり、見どころの1つでしょう。
主郭部に入るための堂々とした門構えの印象。

井戸曲輪前から大手口方面は、未整備の尾根を進むことに。
櫓門跡のある平場は石垣が築かれており、ここも見どころの1つ。

櫃岩まで行き引き返し、滞在時間は約2時間半。
関東管領の威厳が感じられた平井金山城が、私の城巡りの138城目となりました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 上杉顕定
築城年 文正2年(1467)
主な城主 上杉氏
遺構 曲輪、井戸跡、虎口、土橋、石積
指定文化財 県史跡(平井城・金山城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 群馬県藤岡市下日野金井平209-5(金山城址公園)
問い合わせ先 藤岡市教育委員会文化財保護課
問い合わせ先電話番号 0274-23-5997