【天神山城】
<駐車場他>和気美しい森に駐車しました。登山口は北西の池のある田土口<34.849844, 134.129766>(2台駐車可能)・侍屋敷跡から1300m・北西方向河本登山口(ここはよく分かりません)あります。
<見所>巨石・石垣・堀切・曲輪
<感想>太鼓丸城からのつづき。天神山城は先の投稿通り、兄の浦上政宗と対立した浦上宗景が太鼓丸城に入城し、1554年頃から北西に位置する天神山城の普請を開始し完成までに長い年月を要します。浦上宗景は兄政宗の勢力を駆逐して浦上氏の覇権を握り、浦上氏最大勢力を広げます。家臣にとりたてた宇喜多直家が次第に勢力を拡大し、兄政宗の孫を奉じて宗家復興の大義名分で浦上宗景に反旗を翻して天神山城を攻め(天神山城の戦い)落城します。
太鼓丸城の主郭北西隅から道なりに下って行きます。上の石門、下の石門という巨石が並んだ石門を通過し天神山城の南東端の大堀切に着きます。大堀切からまず水の手の案内(田土)の北東方向に下って行きました。途中路は切通しになっていて随所に石垣や大石がゴロゴロ落ちています。田土口の先の池から馬で水を運んでいたそうで馬越と呼ばれていたそうです。田土口近くには竈門跡か炭焼きの石積みも(当時の物かは分かりません)数か所あります。白旗城に雰囲気が似ていて私好みで興奮しました。池近くには堀のような切通し跡も見受けられます。往復1000mありますが見る価値あります。城跡はおおむね北西方向に伸びる連郭式で飛騨の丸という曲輪の段に石垣、二の丸と長屋の段、桜の馬場の曲輪壁には比較的多く石垣が残っていて探すのが楽しいです。そこから百貫井戸という井戸への道標がありますが、道は腰曲輪までで、そこから道が無くなっていて1時間探しましたが見つからずでした。城跡から吉井川方向の麓へ侍屋敷跡がありますが1300mあるので今回は行きませんでした。1時間ロスしたものの太鼓丸城と合わせてトータル4時間かかりました。見応えたっぷりの凄い城跡、百・続百名城に負けていない城跡です。
<満足度>◆◆◆
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