てんじんやまじょう

天神山城

岡山県和気郡

別名 : 天瀬城、(太鼓丸城)
旧国名 : 備前

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①本丸
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征29日目:天神山城 (2026/06/08 訪問)

今日の天気は曇のち15:00頃から雨の予報です。雨は小康状態です。
太鼓丸城(城びと未登録 岡山県和気町)から徒歩20分くらいで、天神山城の本丸に着きました。

1532年(享禄5年)浦上宗景によって築かれたと云われています。
1531年(享禄4年)浦上村宗が大坂の合戦で討死すると長男政宗が播磨国室津城を継ぎます。
しかし、宗景は兄の政宗が備前へ侵攻してきた尼子晴久と同盟を結んだことに反発して、備前の国人衆を率いて浦上氏を分裂させます。
そして、毛利元就と同盟して、政宗の勢力を駆逐し、1568年(永禄11年)頃には戦国大名としての地位を確立します。
1573年(天正元年)宗景は織田信長と結びますが、これに反対した重臣の宇喜多直家は独立し、1575年(天正3年)の「天神山城の戦い」で直家に攻められ落城しました。

和気美しい森より、太鼓丸城を経て攻城。城域は広いので、隈なく回られる方は時間に余裕を持って下さい。自分は時間の都合で本丸付近から引き返しました。
現在城址には土塁や空堀のほか、一部石垣の遺構も残っています。また本丸跡には「浦上遠江守宗景之城址」と書かれた石碑が建てられています。
整備が行き届いているお城ですが、往路より帰路の方がシンドイ山城は初めてでした。足元は、岩場が多い山道なのでスニーカーはNG。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=保木城に向かいました。

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征29日目:天神山城周辺(太鼓丸城(城びと未登録 岡山県和気町)) (2026/06/08 訪問)

今日の天気は曇のち15:00頃から雨の予報です。和気美しい森キャンプ場の駐車場に着いた時は本降り状態でした。
北曽根城から車で20分ちょっとで、和気美しい森キャンプ場の駐車場(34.843912、134.136591)に着きました。

室町時代以前に日笠青山城の出城として日笠氏が築城したと伝えられています。
その後、浦上宗景が、兄の正宗と袂を分かち、太鼓丸城に入り独立します。
1532年(享禄5年)浦上宗景が天神山城の築城に掛かり完成すると、この太鼓丸城は、天神山城の出城または物見台として機能しました。
宗景は、享禄5年(1532)より天神山城の築城に掛かり完成すると、この太鼓丸城は、天神山城の出城または物見台として機能しました。
1575年(天正3年)の「天神山城の戦い」で配下の宇喜多直家に天神山城を攻められ落城すると、天神山城ならびに太鼓丸城も廃城となりました。

和気美しい森キャンプ場の駐車場に着いた時は本降り状態でしたので、しばらく様子を見て小降りになったので登城開始です。
城域に入る箇所に害獣避けのフェンスがあり、自ら開ける必要があります。
すぐに根小屋の土塁が現れ、防獣柵を開けて、堀切を経て本丸です。城域は、綺麗に整備されており、とても見学し易いです。
主郭部にはけっこうしっかりした石垣がありました。和気美しい森より、太鼓丸城まで20分くらいです。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=天神山城に徒歩で向かいました。

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ぴーかる

天神山城編 (2023/01/23 訪問)

【天神山城】
<駐車場他>和気美しい森に駐車しました。登山口は北西の池のある田土口<34.849844, 134.129766>(2台駐車可能)・侍屋敷跡から1300m・北西方向河本登山口(ここはよく分かりません)あります。

<見所>巨石・石垣・堀切・曲輪
<感想>太鼓丸城からのつづき。天神山城は先の投稿通り、兄の浦上政宗と対立した浦上宗景が太鼓丸城に入城し、1554年頃から北西に位置する天神山城の普請を開始し完成までに長い年月を要します。浦上宗景は兄政宗の勢力を駆逐して浦上氏の覇権を握り、浦上氏最大勢力を広げます。家臣にとりたてた宇喜多直家が次第に勢力を拡大し、兄政宗の孫を奉じて宗家復興の大義名分で浦上宗景に反旗を翻して天神山城を攻め(天神山城の戦い)落城します。
 太鼓丸城の主郭北西隅から道なりに下って行きます。上の石門、下の石門という巨石が並んだ石門を通過し天神山城の南東端の大堀切に着きます。大堀切からまず水の手の案内(田土)の北東方向に下って行きました。途中路は切通しになっていて随所に石垣や大石がゴロゴロ落ちています。田土口の先の池から馬で水を運んでいたそうで馬越と呼ばれていたそうです。田土口近くには竈門跡か炭焼きの石積みも(当時の物かは分かりません)数か所あります。白旗城に雰囲気が似ていて私好みで興奮しました。池近くには堀のような切通し跡も見受けられます。往復1000mありますが見る価値あります。城跡はおおむね北西方向に伸びる連郭式で飛騨の丸という曲輪の段に石垣、二の丸と長屋の段、桜の馬場の曲輪壁には比較的多く石垣が残っていて探すのが楽しいです。そこから百貫井戸という井戸への道標がありますが、道は腰曲輪までで、そこから道が無くなっていて1時間探しましたが見つからずでした。城跡から吉井川方向の麓へ侍屋敷跡がありますが1300mあるので今回は行きませんでした。1時間ロスしたものの太鼓丸城と合わせてトータル4時間かかりました。見応えたっぷりの凄い城跡、百・続百名城に負けていない城跡です。

<満足度>◆◆◆

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ぴーかる

太鼓丸城編 (2023/01/21 訪問)

【太鼓丸城】
<駐車場他>和気美しい森に駐車
<交通手段>車

<見所>堀切・巨石・石門・石積み跡
<感想>太鼓丸城の築城は室町時代以前に日笠青山城主の日笠氏によって築城されました。戦国時代に兄と対立した浦上宗景が太鼓丸城に入城し独立対抗します。宗景が太鼓丸城の北西位置に天神山城を築城後は東の出丸の役割をします。天神山城の戦いで落城後は宇喜多氏に使用されたかもしれません。
 2022年12月に美作・備中の旅の際に2日目降雨で断念したので今回は好天を狙い日帰りで十分に攻めました。和気美しい森のキャンプ場は城跡来訪者も自由に入れます。入口の網をくぐってすぐキャンプ場内に城跡の鳥瞰図があります。真っすぐ奥にゲートがあり中に入ります。ゲート手前にも土塁の看板がありキャンプ場も城跡の一部だったようです。ゲート内側からも削平地が続き、左手に根小屋跡、右手にも広い削平地があり加工したような四角い石が所々に落ちています。広い削平地から左にカーブして先が尾根曲輪になります。堀切や腰曲輪、石門のある巨石・軍用石を通過して主郭に至ります。主郭はかつて石垣囲みで東側の虎口面と反対側の西面には石垣が一部残されています。南と北側には巨石があり眺望が良いです。かつて1つの城だっただけにここだけでも十分な見応えでした。天神山城編につづく。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 浦上宗景
築城年 天文23年(1554)
主な城主 浦上氏
廃城年 天正5年(1577)
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、井戸、侍屋敷跡
指定文化財 県史跡(天神山城跡附根小屋跡、岡本屋敷及び木戸館、伝浦上与次郎墓)
再建造物 石碑、説明板
住所 岡山県和気郡和気町田土
問い合わせ先 和気町役場
問い合わせ先電話番号 0869-93-1121