おおじいじょう

大椎城

千葉県千葉市


旧国名 : 上総

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チェブ

チバリーヒルズでリッツパーティ。 (2025/05/01 訪問)

本日も脱線予報が出ております。
と、その前に、遅くなりましたが朝田 辰兵衛さん、神奈川県コンプリートおめでとうございます。この前、東京都を制覇したと思ったら今度は神奈川県。『すごっ!』と、声が出てしまいました(^_^)

さてさて、「大椎城」。
1つでも『行った』をポチッとする為に向かいました。
写真①の所で『目的地に到着しました』とナビが言うので、信じます。竹藪と藪の向こうに「大椎城」があるのてしょう。ポチッ。退陣。
こんな山奥な写真ですが、ほんの少し車を走らせると高級住宅街に出ます。
その名も『ワンハンドレッドヒルズ』こと、『チバリーヒルズ』です。バブルの時は、たびたびテレビで紹介されてました。
この時は『チバリーヒルズ』だと分からなく、
相方、『リッツパーティしそうな住宅ばっかだな。』
私、『リッツパーティって沢口靖子の?リッツパーティなんて、やった事も呼ばれた事もないな。』
と、この後、次のお城までリッツパーティの話題ばかりでしたとさ。

こんなんで、お城好きと言って良いのか分からなくなった「大椎城」攻めでした。

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しんちゃん

平忠常後裔、千葉氏が千葉城に移るまでの本拠。 (2023/05/06 訪問)

大椎城には城山の北側からアクセスするのが正解のようです。
北東側に山に通じる道があり、特に入山禁止の
標識も無いので散策させていただきました。
登城道が尾根の南側に回り込んで東から西に
一郭、二郭、三郭、四郭(本郭?)と続いているようです。
西の郭が本郭であれば、この並びは逆になるのがわかりやすいと思います。
郭の間は堀で区切られているようですが、大半の郭は
竹藪に覆われています。
大椎城は平安時代中期に平忠常が築き、忠常の後裔千葉氏が
大治元年(1126)千葉城に移るまで、千葉氏の重要な
拠点だったとされています。

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イタさん

千葉氏発祥とされる城跡 (2023/02/04 訪問)

 諸解説によれば、平安中期に平忠常が築き、常胤の時に千葉氏を名乗り、永く千葉氏が居城したとされる。15世紀中頃には酒井氏の勢力圏になり、特徴から16世紀中頃に土気酒井氏が改修したのではないか。天正18年(1590年)、小田原征伐により酒井氏は滅び廃城となったとされる。

 説明板のある北から入り、二の郭と三の郭を仕切る堀切にでる道が一般的なのだろうが、駐車場所を探せなかった為、城跡の南にあるお寺に駐車をお願いする。北側を歩かなかったのが心残りではある。住職さんの話では、千葉氏の時に城域から現在地に移転してきたとのこと。
 町内集会所横から切り通し道を上り、要害台に出ると西側に散策路がある。四の郭の南東下は城跡の雰囲気がある。三の郭と四の郭の間の堀は土橋に横矢がかかる。先で二の郭と三の郭の間の堀に出る。北側に虎口跡か、先は細い尾根を一気に下っている。西へ行くと南が開け先に帯郭があり、やや上がれば一の郭と二の郭の間の堀・一の郭虎口になる。虎口先は笹・杉などが多く、郭の西端に向かう道以外は踏み込めない。西端には部分的だが土塁跡らしき高まりがある。

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おっちゃん

大椎城案内図 (2017/10/07 訪問)

現地案内板より抜粋。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 平忠常
築城年 平安時代後期
主な城主 千葉氏、酒井氏
廃城年 天正18年(1590)?
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、帯曲輪
再建造物 石碑
住所 千葉県千葉市緑区大椎町