おおじいじょう

大椎城

千葉県千葉市


旧国名 : 上総

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大椎城案内図
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おっちゃん

大椎城案内図 (2017/10/07 訪問)

現地案内板より抜粋。

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昌官忠

房総日帰り攻城Ⅱ⑧:大椎城 (2020/01/23 訪問)

土気城から転戦。車で10分くらいでした。
駐車予定していた場所からは徒歩でも攻城できないことが、現場に着いて判明。しばらく駐車場所を探したが見つからず断念。

大椎城は平安時代末期に平高望の曾孫にあたる平忠常によって築城されました。その後長らく千葉氏を称した忠常の後裔が拠ったとされます。
一方、忠常の館に関する伝承は東庄町にもあり、「千葉伝考記」はその2代後の平常長が前九年の役の功で大椎の地を賜り、次の常兼の代に大友城から大椎城に移ったように記しています。
1126年(大治元年)に常兼の嫡子、常重が亥鼻城を築いて居城を移しました。
戦国時代には土気酒井氏の支配下に入り、支城として大規模な改修を受けたと思われます。現在残る遺構も土気酒井氏時代のものと考えられ、土塁や空堀などを確認することができます。
1590年(天正18年)、小田原征伐により酒井氏が滅亡し廃城となったとされます。

ワンハンドヒルズ(チバリーヒルズ)から登城口を遠望するも攻城かなわず。城跡を目の前にて痛恨のミス。
攻城時間は10分くらいでした。(投稿写真ありません➡遠望でも写真撮ればよかったですね)

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赤い城

チバリーヒルズの裏山に (2019/12/14 訪問)

ワンハンドレッドヒルズの高級住宅地のすぐ近くにあります。
以前立っていた説明板は無くなっていましたが、前回藪で退却した登城口を進んで行きました。
折れをともなう空堀や土塁が残っていますが台風15号による倒木で結構大変でした。
主郭の虎口付近に石碑も立っていました。
もう少し整備されたら良い城跡になると思います。

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カルビン

県知事は史跡より開発が大事なようで・・・ (2016/01/16 訪問)

自分がお城巡り始めるだいぶ前から今の千葉県知事になった訳ですが、千葉県にある、自分がお城見る様になってから改善された場所は唯一椎津城くらいなものでしょう。
他に改善されている城址は無く、むしろ今回upさせて頂くお城は当時訪問した時に開発で削られていた真っ最中だった場所で・・・
開発するのも良いけど、簡単に歴史を削って行くのはいかがなものかと思いますが。。。

皆様の投稿で城域が無事残っているのが確認出来て、ちょっとホッとしてます(汗)


そんな大椎城、皆様の書かれているチバリーヒルズって何?と思っていましたが・・・ああ、あの住宅街の事ね。。。って思い出しました・・・確かになだぎ武さん住んでそうだ(笑)
てことは解説版の所から登城した自分も皆様と同じところから攻略開始したんですね。

確かに突入口が解らず、橋を渡ってからは左手川沿いに公園の小道を進み、その道が山の中へ延び、反対側に出たところで重機によって丁度山肌を削っているシーンを見た時、また知事やっちまったな。。。って思ったもんですw

そんな山(丘?)越えの中間に虎口か堀切か、と思われる地形があり、そこから連郭式のお城の遺構が見る事が出来ました。
(郭と郭の間に堀があって、それが3、4ヶ並んでいる感じ)

その堀の何本目か忘れてしまいましたが、かなり浅くなった堀と郭の間のなだらかな斜面に城碑がありました。

堀は全体的に浅くなっており、郭も1月にして雑草多く、お城としての整備はされておりませんでした。

遺構の配置は良いけど、遺構の格好良さを求めた場合ちょっと物足りないかもしれません。


主郭からどうやって戻ろうかうろうろしていたら、竹藪の中に一気に真っ直ぐ麓に戻る下り坂があり、それを抜けるとチバリーヒルズ側に見事に生還出来ましたw
この抜け道のおかげで最後の最後にスッキリした大椎城でした(笑)


ちなみにチバリーヒルズから駅と逆方向・橋から左に大きくカーブしながらの上り坂の途中右に入ったところに立山城(城びとには未登録)がありますが、ここ不法投棄が酷く、折角残った浅くなった堀に冷蔵庫やバスタブなどの粗大ゴミが散乱してて、再びテンションガタ落ちに・・・
千葉県政の方は、開発うんぬんよりもこういうのをまず先に対策するべきだと思います。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 平忠常
築城年 平安時代後期
主な城主 千葉氏、酒井氏
廃城年 天正18年(1590)?
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、帯曲輪
再建造物 石碑
住所 千葉県千葉市緑区大椎町