「滝山城なう。2万で攻めてもまだ落ちない。てか、こっち兵力10倍なんですけど。この城マジやばくね」。例えば信玄がこんなつぶやきを残していたら、、、。
関東の山城を歩くと、ある程度定型化された枕詞を耳にします。曰く「武田の猛攻に耐えた」、「謙信が落とせなかった」、「道灌が絶賛した」などなど。中には誇張表現もあるため、耳にするたびに「またか」との思いがもたげますが、実際に木々に分け入り、空堀に降り立ち、枡形で横矢を浴び(妄想)、小ぶりでも丁寧に保存された馬出を目の当たりにしたりすると、多くの場合、それなりに満足して家路につけます。彼ら戦国インフルエンサーの“お墨付き”は評価基準になり得るものと考えます。
というわけで、滝山城(東京都八王子市)。枕詞をそのまま借りると、北条が「武田を撃退した堅城」。1569年、信玄は2万の軍勢を率いて関東に侵攻。このとき城には北条氏照率いる2千の兵が籠もり、辛うじて落城を免れたといいます。
多摩川が形成した河岸段丘上に位置し、高さは約80メートル。大小の曲輪群を横堀が取り巻くTHE北条流と呼べる城でした。氏照は二の丸をメインに改修し、3カ所の虎口それぞれの前面に角馬出を設けます。どうやら武田軍はここを抜けなかったようです。加えて、迷路のような縄張と、高低差を活かした防御システムは今でも十分堪能できます。
その後、氏照はさらなる要害堅固の地を求めて八王子城(同市)に居城を移します。関東屈指の山城ですが、秀吉の小田原攻めに際し、主力不在で陥落。見せしめで婦女子の血が多く流れたと伝わる悲劇の城でもあります。
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