ひがしのじょう

東の城

三重県津市

別名 : 細野城
旧国名 : 伊勢

投稿する
主郭周囲の堀切
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんしんちゃん

三つの城の中で最初に訪問。肩慣らしにはちょうど良い。 (2023/10/15 訪問)

細野城は長野氏の流れをくむ細野氏によって築かれたとされています。比高60mほど
の丘陵上に三箇所に城が築かれていて東の城・中の城・西の城とそれぞれ呼ばれ
ています。県道上野津線ぞいからアクセスでき、中の城と東の城の中間の谷間から
登城道が続いています。東の城は主郭の周囲に円錐状に郭を配し、堀と土塁を備えて
います。南東側にも郭があり、三つの城の中ではもっともシンプルな縄張りですが
この先まだ二つ城を周ることを考えると、ちょうど良いウォームアップになるのでは
無いでしょうか。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅶ 細野城 (2023/03/21 訪問)

 伊勢志摩未踏の城廻の三日目は雨予想、早朝より長野氏の城跡で一族の細野氏が南北朝時代に築かれたと云われる細野城を前泊の松阪市のホテルより地道をナビに従い目指す。

 情報ガイドは古城盛衰記さんグーグルマップで登城口国道163号線沿いに到着、駐車場無。

 駐車エリア:登城口のある国道163号線の長野川側下に高木自動車板金塗装がありその隣に北長野浄化センターが在る、センター沿いの道が幅広になっており縦列して駐車可能数台(34°44'21"N 136°21'56"E)、農道の様で車の動きは少ない。国道側を見上げると細野城(長野氏城)東の城の山容である。

 車を駐車エリアに駐めた頃小雨状態に山沿いは雨が早く来たようです、とりあえず登城口へ案内板、縄張り図(縄張り図には赤線で登城路が付記されている)、周辺を撮影し、少し登ってみるが倒竹で登城路はふさがれており、倒れた竹は古くあまり整備がされて居ない様子、雨も降り登城はそこで諦めました。
 駐車エリアも確認できたので次のチャンスを狙いたい。

 この城は津市の表記では長野氏城跡されており、城郭放浪記さん古城盛衰記さん表記では細野城を取っておりましたので細野城を取りました。
 城びとでは三城をそれぞれ東の城、中の城、西の城と扱っておりましたので、手前の東の城で投稿させて頂きました。
 ここから北西に長野氏の主城である長野城が在ります、のでここは長野氏城(東の城・中の城・西の城)と表記されたのでしょう。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

じゅんじん

目前で (2022/12/30 訪問)

突然黒いお尻の獣・・・(;'∀')

引き返しました。

後で冷静になれば鹿でしたね(/ω\)

+ 続きを読む

細野城 (2023/01/12 訪問)

 津駅から三重交通バスに乗り長野東バス停下車。降りたところから少し戻ると案内板があり登城口となっています。谷筋を歩いて行くと東の城と中の城、西の城の分岐点があり標識が立っています。谷筋には石垣がありますが、当時のものではないかもしれません。東の城の標識に従っていくと、すぐに堀切を認めます。よく見ると石垣があります。手にした縄張り図には、この堀切はなく戸惑ってしまいました。道は整備され歩きやすく主郭へ行くことができます。帯曲輪等もありました。南東部にも曲輪があると思われますが、竹藪となっていて、倒れた竹で行く手が阻まれていました。強行突破はすることなく戻りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 山城
築城主 長野祐藤
築城年 文永11年(1274)
主な城主 長野氏、細野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定文化財 国史跡(長野氏城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 三重県津市美里町桂畑
問い合わせ先 津市教育委員会美里事務所美里総合支所地域振興課
問い合わせ先電話番号 059-279-8122