くぼのしょうじょう

窪之庄城

奈良県奈良市

別名 : 窪庄本城
旧国名 : 大和

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①八坂神社背後の堀
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)9日目:窪之庄城 (2024/09/30 訪問)

山村町バス停から徒歩10分弱で、神社入口(34.639024、135.835277)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、窪城氏によって築かれたと云われています。 窪城氏は大乗院方衆徒だそうです。
1506年(永正3年)窪城氏は古市氏に従って高樋本城を攻めましたが、後詰めにきた筒井氏に窪庄本城を焼かれ没落しました。
1568年(永禄11年)には窪城氏は筒井氏にしたがって松永氏と戦い敗れています。

窪之庄城は牛頭天王社一帯に築かれていました。
牛頭天王社の背後に堀と土塁が確認でき、西側にも土塁と堀が確認できます。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=柳本城を目指す為、帯解駅から電車で柳本駅に向かいました。

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牛頭天王社 (2024/06/29 訪問)

 窪城氏が築城したと伝わっています。方形の東郭と西郭が残っています。東郭には牛頭天王社(八坂神社)があり土塁、周囲には空堀が残っています。西郭は藪となっていて侵入していません。西郭に北側にはいい空堀が残っていますが、倒竹が多く行く手を阻んでいました。東郭と西郭の間と東郭北側の空堀は何とか散策できます。

 JR帯解駅から徒歩15分くらいで行くことができます。

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しんちゃん

現在残るは東西二郭。東郭の土塁は圧巻。 (2023/07/16 訪問)

窪之庄城はの東大寺の荘官だった興福寺衆徒・窪城氏が居城とした‥とあります。
東西の方形の郭が存在し環濠集落を外郭とする‥とあります。
まあwikiからの受け売りなんですけど
実際、東郭が主郭とみられ背後の土塁が非常に高く、その北側にも堀切があって
北側からの攻撃を遮断しています。
西郭と東郭の間にも堀切があり、西郭には土塁はそれほど残っていないようです。
東郭は南を除く三方を土塁で囲まれ、特に背後の高土塁は圧巻です。
高土塁の上は帯郭の役割も果たしていたのではないでしょうか。

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todo94

奈良の城めぐり⑨ (2022/12/10 訪問)

献血前最後の攻城が窪之庄城でした。現在は八坂神社になっています。神社の下の方には空堀などの遺構が残っているようですが、境内の散策だけで済ませてしまいました。献血ルームに赴く前に、近くの帯解寺には立ち寄っていきました。独身者には余り縁のない寺のようですけれども。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 窪城氏
築城年 室町時代
主な城主 窪城氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
住所 奈良県奈良市窪之庄町里中