高水寺城訪問の後は国道4号線を4kmほど南に移動して比爪館跡へ。現在は赤石小学校になっている付近一帯が旧比爪館の跡地と云われている。比爪系藤原氏は平泉藤原氏初代清衡の四男清綱の家系で、この地で産出される砂金によって平泉の仏国土(浄土)造営を支えたという。文治5(1189)年の奥州合戦に際して源頼朝が平泉を制圧の後に陣ケ岡に布陣すると、比爪系藤原一族は館に火をつけて逃亡したという。
比爪館は紫波町教育委員会の発掘調査により、御所・政庁・寺院の複合施設で構成され、平泉館(柳之御所)に類似したものと考えられているようだ。
現在、周辺は宅地や小学校となっているが、館跡南側の五郎沼が往時の姿をイメージさせてくれるのみ。(参考文献 もう一つの平泉 羽柴直人著 吉川弘文館)
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