米沢城
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2021/11/21 22:36
2021/11/21 22:33
2021/11/21 22:00
宇都宮城の南北に在る未踏3城廻ー2 (2021/11/13 訪問)
宇都宮市兵庫塚3丁目に在る横田城を終えて北へ約4kmの宇都宮城の南北に在る城びと登録未踏の城2城目の江曽島城を攻略。
所在地:栃木県宇都宮市江曽島3丁目 (36°31'46.1"N 139°52'06.1E) 雷電神社
車は雷電神社の周囲に在る広いアピタ従業員駐車場を一時利用、女性従業員の方に聞き駐車場が満杯に成ると事は無いと聞き隅に駐車。
雷電神社が城跡のポイント、神社を撮影し周辺を見渡すが城跡らしきものが無い、皆さんの書き込みに城石碑らしきものが在るらしいと有り古城盛衰記さんに由ると民家に城名石碑が在るとの情報で該当民家を探そうと金網フェンスをぐるっと西側に大回りして住宅街を西から南に廻り、通り掛かった地元の方にお伺いしたら探してる該当の人と分かり事情を話し見学の了解を取り付ける。
その方の話ではお父様が自費で城名「ひさご城」の石碑と雷電神社の由来石碑を建立されたと(西暦2000年を記念)、この遺跡は元、北関東一番の大型前方後円墳だったそうで、蝦夷の首領「武」が日本武尊との攻防で平定され亡くなった方を祀った神社が雷電神社との事、後年宇都宮氏の出城として利用され円墳部が削られて遺跡が消滅したそうです、円墳と方墳の縊れた部分が微かに東西に残っており城塁段丘の様に成ってる。
江曽島はエゾが由来の名前の様です、またたまに訪ねて来る方が居られますとおっしゃってました、30分出掛けるけどどうぞ見て下さいと言われ屋敷内に入りひさご城の石碑、雷電神社の由来石碑を撮影し直ぐに退散、安野さん有難うございました。
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2021/11/21 21:02
2021/11/21 20:46
宇都宮城の南北に在る未踏3城廻ー1 (2021/11/13 訪問)
水戸城復元二の丸角櫓に初めて登った翌日、孫の運動会でしたがこの武漢コロナウイルス5波感染拡大規制解除後ですがまだまだ各に個々の規制が有り父兄観戦は2名までと娘と家内が応援観戦なので私は城廻りと繰り出し宇都宮に来て居ましたので以前から気に成って居た宇都宮城の南北に城びと登録未踏の城が在るのでこの際と廻る事にしました。
最初は孫たちのマンションの近くに在る横田城を攻略。
所在地:栃木県宇都宮市兵庫塚3丁目32(36°29'44.1"N 139°51'30.8"E) 兵庫塚3丁目中央公園、城石碑のみ。
車は同公園西側の通りに路駐、住宅街で交通量は少ないですが10分ほどで退散。
公園西側の入口付近に黒御影石の城石碑、裏に由緒と系図が記されて居る、黒御影石が磨かれて居り撮影場所によって自身が映ったりして撮影角度に苦労します、また読みにくい。
歴史:嘉禎3年(1237年)に横田越中守頼業が築いた平城、藤原北家流の宇都宮氏の一族で5代掃部助頼綱の次男越中守頼業を祖とし、母は源頼朝の重臣梶原景時の娘、鎌倉御家人に列し父と同じ伊予守護職に任じられた、城域は東西約150間、南北約120間で五稜形の城郭であったと言う。(城名石碑の由緒を抜粋)
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2021/11/21 20:45
この調子でどんどん進んでほしい (2021/09/02 訪問)
二の丸丑寅櫓と土塀が出来たので喜んで出かけたが雨だった(涙)。本丸・二の丸二つの櫓が共に丑寅櫓というのも面白いし屏風折れの土塀を再現する試みもまた面白い。このお城にはこの調子でどんどん進んでほしい。
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2021/11/21 19:26
2021/11/21 18:16
城内はグルグル (2021/11/21 訪問)
まずは砺波市埋蔵文化財センターへ。スタンプを押せるほか、増山城へのアクセス情報も得られます。御城印もここで手に入るようですが、きょうは、閉館のため入手できず。
増山城はとにかく見通せない構造。どこを歩いているのか、さっぱりわからないうちに、前方や側方の土の壁の上から狙われていることに気付くという、なんともイヤな城でした。
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2021/11/21 17:49
レンタサイクルで天を衝く (2021/11/20 訪問)
小説「天を衝く」の九戸政実の九戸城。二戸駅からレンタサイクルで15分ほどで着きます。
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2021/11/21 15:25
2021/11/21 11:39
会津の蘆名氏のルーツ。 (2021/11/07 訪問)
ドライブついでに寄った「芦名城」。
車での攻城、おすすめできません。道も狭く駐車できる所もありません。
源 頼朝さんの挙兵に加わった三浦 義明さん。
義明さんの弟、為清さんが「芦名城」を築きました。
為清さんは芦名を称しました。
んっ?芦名氏?
芦名氏と言って思い当たる会津の蘆名氏。
蘆名氏のルーツをたどると三浦 義明さんの7男が会津の蘆名氏の初代でした。
この日の湘南→鎌倉→葉山→横須賀は、ずっと渋滞。
とはいっても、観光名所が多いので、土日祝日いっつも混んでます。
海岸線から少し山側に入った『横須賀市立大楠小学校』が「芦名城」の跡地です。
車を小学校の正門前に停めて写真を写し移動しました。
斜向かいに、研修センター芦名荘があり高い所に建物があるようです。「芦名城」を検索すると、詰めのお城はこちらなんだそうです。
小学校前の階段を下りると「芦名城」の城址碑があるとの情報があります。
高低差がハンパないです。
「芦名城」は切りだった山と海の中腹にある感じです。
城址碑に続く階段を探しましたが、車でグルグルしても見つかりませんでした。
ちなみに、次の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する、和田 義盛さんは、三浦 義明さんのお孫さんです。芦名城主の芦名 為清さんとも親戚かぁー。
「芦名城」でるかな~?
来年、鎌倉周辺は今以上に盛り上がる事、間違いなさそうですね。
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2021/11/21 07:53
足がすくむぅ~(;'∀') (2021/10/30 訪問)
伊賀上野城は上野盆地のほぼ中央に位置している標高184m程の丘に建てられた梯郭式平山城です。大和郡山城から伊賀に移封となった筒井定次が天正伊賀の乱で焼け落ちた二木古館跡に築城したのが始まりとされています。
しかし、筒井定次が島左近などの重臣に出奔され、失策の多いのを理由に領地没収されたのちは、伊予宇和島から築城の名手とされる藤堂高虎が伊賀に入国し、大阪城包囲網の一つの城として改修がなされています。(筒井時代は大阪を守るための城でした。)
現在は、上野公園として伊賀流忍者博物館・芭蕉翁記念館などが建ち、観光地として人気を集めています。遺構としては、日本1、2と称され30mを誇る高石垣(大阪城本丸東面が32mとされる)・堀などが残り、昭和10年に建てられた模擬天守が伊賀市民より親しまれています。
3回目の攻城となる伊賀上野城の見所(私見)は、何と言っても30mを誇る高石垣です。石垣の最上部から堀を眺めると、足が竦んでしまいますが、怖いもの見たさで二度三度みてしまいます。また、三層の天守閣が優美・華麗な姿を誇り見所の一つとなっています。
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2021/11/21 02:27
高所トレ&身体能力の衰えの確認で。 (2021/11/20 訪問)
標高:705m,比高:320m。中級登山者レベルだと思います。
コロナが長引いて,標高:500m超過はホント久しぶりでした。歩いていると空気の薄さも感じるようになりました。ただ,不安要素は,しばらく前から攣るようになった右足のふくらはぎで…。案の定,油断してたら登城終了目前の下山中に,右足を枯葉に滑らせてしりもちをついてしまいました。右足はひざから下が筋力低下しているのかな…と。
さて,水久保城ですが,JR只見駅に推定復元図が掲げられており,駅舎内には「登山&トレッキングBOOK」が置いてあります。ここの中の要害山が水久保城に該当します。登城ルートは三つ。瀧神社から登る宮ノ沢(一服尾根)登山口ルート,三石神社付近から登る南尾根登山口ルート,只見高校北側からの北尾根作業道です。
私は,南尾根登山口から登り,宮ノ沢登山口で下山しました。どちらも,所要時間は約50分。
どちらも尾根をグイグイ登っていくルートで,両脇断崖状態も何回か遭遇します(←そこは写真撮ってる余裕ナシ)。
高所恐怖症の方は避けたほうがいいと思います。
というのも山頂部は、福島テレビ,NHK,電源開発の無線中継局舎が建設されており,機器搬入のためか妙にフラット化されている感じが否めませんので…。
ただ,南尾根沿いには物見台だろうな…というところはありました。
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2021/11/21 01:23
宮城県では外せない城へ (2021/08/10 訪問)
きっと東北でも有数のきれいな天守が建っている城跡だと思います。
天守が残らない空堀や土塁などのわかりにくい城跡が大好きな私ですが華やかで綺麗な天守をやっぱり良いですよね。
伊達政宗公の重臣である片倉景綱のお城ということもあり、歴史的にも重要なお城。
駐車場から天守を見ながら石垣を眺めながら進むみます。
門と城壁と天守の感じが雰囲気満点です。
続百名城は伊達じゃない?!という感じですかね。
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2021/11/21 00:15
その3・石積み模型 (2021/10/31 訪問)
鶴の丸休憩館前の石積み模型。“切石積み”“粗加工石積み”“自然石積み”という呼び方をしています。ここは前回訪問時はスルーしたみたいで見た記憶がありませんでした。
金沢城内には様々なタイプの石垣がありますが、明暦の大火の後に再建された江戸城天守台は加賀藩4代藩主前田綱紀が普請を担当しており、江戸城の見慣れた石垣とリンクする石垣を金沢城内で観察するのも楽しかったです。
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2021/11/20 22:54
幻の石垣? (2021/11/20 訪問)
今年は雨が少なくて琵琶湖の水位が下がり、坂本城の石垣が出現したので見に行ってみました。普段は水に浸かっていて見えない石の列が良くわかります。石の下にある胴木も見えました。当分の間水位は戻りそうもないので、空気に触れた胴木が痛まないか心配しています。
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2021/11/20 22:29
2021/11/20 22:29
周辺が大きく削られているのが痛々しい (2021/09/02 訪問)
丹波亀山藩主として明治を迎える形原(かたのはら)松平家はもともと今川氏との結び付きが強かったが人質を犠牲にして松平元康の元に参集したという。稲荷神社となった主郭の一部を残して周辺が大きく削られているのは痛々しい。
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2021/11/20 22:17
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