静岡駅からバスで大沢公園バス停にて下車、MilkyWay Squareにて自転車をレンタル、約5分。牧之原市史料館の城址碑や仙台河岸の石垣、二の丸土塁を眺めながら荒神曲輪跡(小学校裏手)に三重櫓模型がありました。小学校敷地外から見ることが出来ます。地元に愛された城址なんですね。
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2023/09/14 05:11
2023/09/14 05:06
呟き (2023/07/16 訪問)
二戸駅下車、二戸市観光協会より自転車をレンタル、約12分。 発掘品や展示を埋蔵文化センターで見学し、二の丸より登城。本丸の石垣や空堀、整備状況に感心しつつ散策しました。
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2023/09/14 00:24
佐々流築城術の傑作。ブラボー!(野太い声で) (2021/11/19 訪問)
松根城は佐々成政の築いた山城の中でも、かなりの傑作と言って良い城だと思います。
小原道が大手まで続いていて、そこから先は枡形のような虎口(喰い違い虎口)が
本丸に向かって幾つも続き、途中に馬出しも備えているようです。大軍の侵入を頑なに拒む
佐々流築城術は健在で、城域の左右に深い堀が南北にめぐり、堀切や竪堀も郭ごとに
配されているようです。一乗寺城や和田山城、源氏ケ峰城も素晴らしかったですが、
松根城はさらに輪をかけて素晴らしいですね。あえて言うならブラボー!です。(野太い声で)
古くは寿永2年(1183)木曽義仲がここに布陣したと伝わります。倶利伽羅峠古戦場はここから
北に6km弱の距離になります。15世紀後半~16世紀中ごろまでは一揆方の城とされ、
天正12年には佐々成政が松根城・朝日山城を手中に収めており、前田利家との戦いでは両城が
緒戦の舞台になったが利家重臣・村井長頼に落とされたとのことです。
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2023/09/13 22:54
本丸は二段構造で土塁を残す。松岡寺とセットで訪問するべき。 (2021/11/21 訪問)
波佐谷城は前身である松岡寺とセットで訪問したほうが良いでしょう。松岡寺跡も城の
郭として機能していたようで一部、土塁を残しているようです。
まずは北東の出丸から松岡寺に向かいます。遺構を確認した後は道標に従い本丸を目指します。
本丸は二段の構造になっていて、上段の郭の周囲にはわずかですが土塁が残ります。
松岡寺は蓮如の三子蓮綱兼祐の創建とされ、「三山の大坊主」の一つとされますが享禄4年(1531)
の錯乱で焼失。そのあと宇津呂丹波が城郭として築いたとあります。丹波は一揆方の武将の一人ですが
天正8年(1580)柴田勝家によって城は落とされ、丹波とその子、藤六の首は織田信長の下に運ばれました。
その後、波佐谷城には信長家臣、村上勝頼の一族の村上勝左衛門が入ったとされています。
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2023/09/13 22:25
2023/09/13 21:45
2023/09/13 19:50
蟹江城 (2023/07/22 訪問)
【蟹江城】
<駐車場他>産業文化会館駐車場数十台分あり。
<交通手段>車
<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾ラスト17城目。蟹江城の築城年は定かではなく主に3つの説があるようで、
①蟹江城址碑文に「永享年間(1429~ 1440年)に北条時任が城塞を築いたのがはじまりとされる。」とあります。
②既に織田信長に仕えていた滝川一益が長島一向一揆で長島城に籠城していた旧知の武将、服部友定を騙して信長から長島を守るために本願寺に金を出させて築城し築城後に滝川一益が城主として入り騙し取ったとする。
③長島の戦い後に滝川一益が信長から恩賞として領地をもらい築城した。
この3つがあるようです。いずれにせよ戦国時代には滝川一益の城となり、一益は柴田勝家に味方して秀吉に敗れるのでその後織田信雄家臣の佐久間信栄の城となります。小牧長久手の戦いでは返り咲きを試みる秀吉方の滝川一益の調略で城を奪われ、家康・信雄軍が反撃総攻撃を仕掛けて(蟹江合戦)いる途中で小牧長久手合戦は和睦します。城は1586年の天正大地震で壊滅してそのまま廃城となったようです。
現在城跡碑と城跡碑のある近くに本丸井戸跡、産業文化会館から隣接して民族歴史資料館に蟹江合戦の資料があります。城跡碑は城跡碑公園になっていて駐輪場もあり立派なちょこ城です。
この城にて今回の旅終了、1日17城巡りは自己最多記録でしたが城跡碑ばかりで、どこがどの城だったか混同してしまう感じでした。小牧長久手の合戦に関係する城跡が多く、小牧長久手の合戦は尾張国北東の犬山城から最後の蟹江・大野城まで尾張国の国境全面にわたって展開されていた事が分かって勉強になりました。走行距離416㎞無事走破。
<満足度>◆◇◇
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2023/09/13 19:09
開館時間前の入館,ありがとうございました! (2023/07/08 訪問)
杵築城の開館時間は,午前10時。15分ほど前からうろついていたら,開けていただけました。大変にありがとうございました!
どこから来たのか聞かれ,「越後です」と返答してもすぐに理解されていたようで,逆に驚きました。以前,若桜では「越後ってどこ?」という状況になっていましたので。
登城途中に駐車場があり,そこから眺める模擬天守も一興の趣がありました。
「杵築」はもともと「木付」。城址碑も「木付」表記です。これに関しては,正徳2(1712)年,能見松平氏3代藩主重休(しげやす)の時,6代将軍徳川家宣からの朱印状において「木付」の文字が「杵築」になっていたので,幕府に伺いをたてて以降,「杵築」と表記することになったそうです。
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2023/09/13 08:24
内堀めぐり (2023/07/22 訪問)
(続き)
この日のもうひとつのお目当ては姫路城の堀めぐりです。姫路城の堀は江戸城と同様にらせん状にめぐらされていて、内曲輪の八頭門の脇を起点に反時計回りに内堀、中堀、外堀と約3周、野里掘留町までの総延長は約10kmに及びます。昨秋、家族と訪れた際に野里門付近の中堀と土塁が思いのほか明瞭に遺っているのを見て、次に来る時はきっと…と思い定めており、当初はお城EXPOにあわせての予定でしたが、堀めぐりに利用するつもりの姫ちゃりが9月から10月末までシステム更新のため利用できなくなることもあって、予定を繰り上げて発掘調査現地説明会にあわせて実行しました。
えきそば大手前店の前で姫ちゃりをレンタルして、まずは内堀沿いに設けられた6箇所の門のひとつ、八頭門へ。内曲輪の北東隅には酒井氏の歴代城主を祀った姫路神社が鎮座しており、入口脇に八頭門の石垣と土塁が遺っています。そして八頭門の北側から始まった内堀は、姫山樹林に沿って西から南西に弧を描いて南勢隠門へと続きます。南勢隠門は石垣で通路を屈曲させた門で、入口の「見通しが悪いため通行にご注意下さい」の看板がその効果のほどを物語っています。南勢隠門の先は内堀に沿って好古園の白壁が続き、内堀の向こうには西の丸や三の丸の石垣が聳えています。このあたりから堀幅は広くなり、桜門付近では最大幅は50m近くなるんだとか。かつての桜門は奥の桐一門と桐二門とあわせて二重枡形を構成する大手門でしたが、現在は桜門橋の東詰に門跡の石垣がわずかに遺るのみです。
内堀のほとんどは現存していますが、三の丸東側の御作事所出丸東側の内堀は埋め立てられて動物園の一部になっており、あわせて出丸に設けられていた絵図ノ門も消滅しています。地図と照らし合わせると動物園の通用門あたりが門跡のようにも思いますが…。内堀は動物園の間を抜けて北に続き、姫路城の搦手にあたる喜斎門に至ります。喜斎門の石垣は内側に合坂を備え、状態良く遺っています。喜斎門から内堀を北に進むと姫路神社北東隅の石垣に鬼門除けの隅落としが施されています。ここで起点から一周になりますが、内堀は勢隠曲輪の北側をもう少し西に続いて、北勢隠門で中堀に接続します(続く)。
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2023/09/13 07:47
犬甘城(城びと未登録)より。 (2023/06/28 訪問)
いつどこでだったかは覚えていないのですが、松本城を見渡せる展望台のある「城山(じょうやま)公園」のあることを知り、いつかきっと……とチャンスをうかがっていました。
当日は梅雨真っ只中で微妙なお天気でしたが、新宿駅7:00発のあずさ1号で松本へ向かいました。
松本駅から城山公園までは路線バスも出ています。また、ちょっとだけ近くなるお隣のJR北松本駅にも興味をそそられましたが、松本駅から2km強ということなので歩くことにしました。
城山公園の所在地は松本市蟻ケ崎。「蟻」の字の印象が強めですが、途中にあった町名由来碑を読むと「盆地を見渡す突端の村」という意味があったそうで、期待が高まります。
小笠原長時公菩提寺、正麟寺に寄って城山公園入口へ。ここまでは緩い上り坂でしたがここから少し急坂になります。
やがて見えてきた「城山公園案内図」。
そこに描かれていたのは6つの曲輪。
……ちょっと待った!!ここは城なのか!?
“松本城を見下ろしたい”という一途な思いだけでやってきて、「城山公園」という名称に何も思わなかったという愚かさよ……。
ということで、意図せずながら城山公園=犬甘城(いぬかいじょう)に到着しました。
そうとわかれば松本城のことはちょっと置いておいて、犬甘城散策スタートです。
中央広場を横切ると「標高665.7m」の碑。長野県に来たんだなぁという感じがします。スタート地点の松本駅が標高約590mだそうなので自力で登った感はありませんが、スカイツリー・岩殿山・千早城の『武蔵(634m)三兄弟』(たった今命名)より高いところにいます。
三の郭に犬甘城山の説明板がありました。
北側には大きな空堀が下っているのが見えます。
句碑や文学碑、城山公園開放の碑などを読みながら一郭→二郭→四郭と進みます。整備された空堀や起伏が在りし日の城の姿を映し出してくれています。木の葉陰から松本城天守がちらちら見えますが展望台はまだこの先です。
五郭の城山稲荷神社まできました。
松本藩四代藩主の松平直政公が松江に移封になったときに分祀、守護神となったとあります。現在の松江神社と繋がることからこの城山稲荷神社は出世稲荷と言われているとのこと。
4月に行ったばかりの松江城。三の丸跡ににあった松平直政公像や御書院跡の松江神社が思い出されます。遡ればここに行き着くのかと感慨深いものがありました。
六郭の展望台に到着です。
もちろん上ります。
見えました、松本城!
そこそこ距離があるので丸見えということはありませんが、先の、“盆地を見渡す突端の村,蟻ケ崎”を実感します。松本盆地を囲む山々には松本城天守が建築される以前に多くの山城が築かれていたそうで犬甘城もそのひとつ。いつまでも眺めていられる、何度でも来たくなる景観でした。
また、松本城と反対側、奈良井川方面もゆったりとした風の流れを感じるすてきな眺めでした。
夏の照りつける日差しのあとにドバーッと雨が降ったりと晴雨兼用傘が大活躍の中でしたが、一つ願いが叶い、また、サプライズ訪城もありで、とても楽しい時間が過ごせました。
では、松本城へ向かいます!
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2023/09/12 22:46
呟き (2023/07/16 訪問)
二戸駅下車、二戸市観光協会より自転車をレンタル、約35分。国道4号を南下し、コスモ石油一戸インターssの向かい一戸公園に到着。公園が北館で、公園横坂道を左に分岐すれば八幡館堀底道、館自体は私有地なので、立ち入りませんでした。
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2023/09/12 22:44
那谷寺 石川県小松市 (2021/11/21 訪問)
那谷寺は本堂や書院・庫裏・三重塔・護摩堂・鐘楼など多くの建造物が重要文化財に指定され、
奇岩を含む境内や琉美園が国の名勝に指定されていて、紅葉の名所でもあります。
養老元年(717)泰澄法師による創建と伝わり、寛和2年(986)花山法皇が行幸の際に
自主山厳屋寺から那谷寺へと改名されたと有ります。後に荒廃した本寺を再建したのが
加賀藩2代(利家から3代)前田利常で、この周辺を自身の隠居領としています。
元禄2年には松尾芭蕉が訪れ句を詠んでいます。
様々な種類の人々の心を虜にするだけの迫力ある自然の造形美です。
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2023/09/12 22:37
2023/09/12 22:13
那谷寺・琉美園 石川県小松市 (2021/11/21 訪問)
那谷寺は奈良時代初期に泰澄法師によって創建されたとされる、高野山真言宗の
別格本山です。山門付近には琉美園があり、江戸初期に作庭されますが、その後荒廃し
昭和55年、昭和の小堀遠州と呼ばれる中根金作氏によって、東側に新たな庭園を加え
復元されたと有ります。中根氏は足立美術館を作庭した人物でもあります。
池泉中央の三つに分かれた巨石が目を引きますが、これは阿弥陀三尊になぞらえ三尊石と
呼ばれ、琉美園のシンボル的存在で、かつてはこの石の間を滝が流れていたとのこと。
かつては松尾芭蕉もこの石を見上げたことでしょう。
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2023/09/12 21:55
街に埋もれる広大な城郭の痕跡 (2023/08/19 訪問)
下館駅から関東鉄道常総線に乗車し、下妻駅で下車。
下妻駅舎内に線路の東側に出る跨線橋の入口があります。そこから跨線橋を渡り、下妻駅東口から徒歩約10分ほどで、多賀谷城跡公園(本丸)に到着。
多賀谷城跡公園内に駐車場とトイレがあります。
多賀谷城は、多賀谷氏の居城として知られ、城域は現在の下妻市街のほとんどを占める巨大な城郭だったようです。
しかし、残念ながら現在は遺構のほとんどが失われています。
本丸跡は、多賀谷城跡公園になっており、公園内には、多賀谷氏遺跡碑(明治22年建立)と説明板が設置されています。公園は周辺と比べると若干高い地形になっており、公園の西側には城塁の名残りらしきものがあります。
そのほかの遺構は、城跡公園の南にあるファミリーマートの東側の交差点を東に進むと、観音寺の東側に城塁と思われる遺構が残っていました。
そして個人的に最大の見どころは、下妻駅の反対側の西口から北に5分ほど歩いた所にある城山稲荷神社(多賀谷城稲荷曲輪跡)の境内の土塁です!!
遺構が少ないだけに、この土塁にはめちゃくちゃ興奮しました。
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2023/09/12 21:25
なかなか巧妙な縄張りを残す城。 (2021/11/21 訪問)
和田山城は史跡・和田山・末寺山古墳群として整備されています。忠魂碑より南が城域と
されますが、仮にこの忠魂碑周辺と東のエリアを三の丸とします、三の丸から南西に二の丸が
配され、二の丸は北端に櫓台を配し、東側を土塁で囲み、その中央に虎口を設け土橋で三の丸に
つながる細い通路に通じています。二の丸から南に土橋が通じていて、その先に主郭があり
中央に櫓台を配し、周囲に土塁が残ります。この本丸からの眺望はなかなかのものです。
本丸の東側には武者走りがあるようで、二の丸・主郭の東から北側にかけて横堀が巡ります。
周囲には帯廓を配し、大軍での侵入を拒む巧妙な造りになっているのですが、何分小規模で
やはり三の郭周辺に兵を駐屯させ人の壁としていたのでは無いでしょうか。
築城は加賀一向一揆勢の和田坊主とされ、現在の縄張りは天正8年、柴田勝家が家臣の安井家清を
配したころに改修されたものだと見られています。かつての一向一揆の城は一揆方の
虚空蔵城や鳥越城を攻撃する重要拠点として使われることになったようです。
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2023/09/12 21:09
2023/09/12 21:04
2023/09/12 20:59
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