<オススメ>★☆☆☆☆
上野上村城は、戸田宗光が築城したとされる。戸田宗光は、室町幕府・政所執事 伊勢貞親の被官。渥美郡の田原城や仁連木を築城し、両城の初代城主となる。戸田氏中興の祖と称えられる。戸田宗光が渥美半島に移った後は、酒井忠尚が城主をつとめる。三河一向一揆では酒井忠尚が一向宗側についたため、徳川家康に攻め落とされ、廃城となる。また、徳川四天王・榊原康政の生誕地ともされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
愛知環状鉄道線 三河上郷駅 徒歩10分
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2023/07/24 14:21
「上野上村城」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
上野上村城は、戸田宗光が築城したとされる。戸田宗光は、室町幕府・政所執事 伊勢貞親の被官。渥美郡の田原城や仁連木を築城し、両城の初代城主となる。戸田氏中興の祖と称えられる。戸田宗光が渥美半島に移った後は、酒井忠尚が城主をつとめる。三河一向一揆では酒井忠尚が一向宗側についたため、徳川家康に攻め落とされ、廃城となる。また、徳川四天王・榊原康政の生誕地ともされる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
愛知環状鉄道線 三河上郷駅 徒歩10分
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2023/07/24 12:31
仁保城 (2023/07/16 訪問)
15世紀末、広島湾頭では安芸国守護武田氏と周防の大内氏の勢力が声選していた。当時は広島湾に浮かぶ島で、仁保島と呼ばれていたことから仁保島城ともいい、広島湾頭に浮かぶ要塞の山城であった。
明応4年(1459)武田氏はその警固を府中城主白井氏に命じており、大内勢の侵攻のあったことも知られている。
武田氏が滅びた後、毛利氏の勢力がここにも及んで、弘治元年(1555)厳島合戦に先立っておこなわれた「仁保島合戦」では陶方の三浦房清の攻撃を香川光景が撃退しています。
城址には遺構は存在しないが、公園になっている三の丸周辺に石積み跡があります。
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2023/07/24 12:29
杵築城 (2023/06/12 訪問)
三方を海に囲まれた海城で、戦国時代には大友氏と島津氏の戦いの舞台となり、また「関ケ原の戦い」の際には当時、丹後宮津城主の細川忠興に飛び地として与えられていた杵築城は旧領の回復を計画する大友勢の吉弘統幸によって攻められますが、黒田官兵衛によって救援されています。
現在、山上は城山公園として整備されており、石垣が一部残っています。
また模擬天守(資料館)が建てられ、中では甲冑を着る体験もできます。杵築城の最大の魅力はその城下町で、武家屋敷群、職人町寺町など、当時の風情が色濃く残っています。
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2023/07/24 12:27
日出城 (2023/06/12 訪問)
豊臣秀吉の正室・ねねの甥にあたる木下延俊が、義兄であった細川忠興の支援を受けて築いた城です。
別府湾に面して築かれた海城で、天守台から眺める光景は見事に。1874年(明治7年)に廃城令によって破却されましたが、穴太積みの石垣が現存しています。
現在、本丸跡には日出小学校があり、石垣以外にも堀の一部時鐘が残っています。また、2010年(平成22年)に裏門櫓が、2013年(平成25年)には鬼門櫓がそれぞれ二の丸に移築復元されています。
ちなみに大分県の特産品「城下カレイ」は日出城城下の海岸近くで漁獲されることから名づけられました。
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2023/07/24 12:25
大分府内城 (2023/06/11 訪問)
大分市街の中心に位置する大分府内城は平城であり、安土桃山時代後期に府内に12万石で入封した福原直高が府内の荷落に築城しました。
しかし福原氏は改易され、関ヶ原の戦い後に竹中重利が完成させたと言われています。
また、大分府内城は海城でもあります。豊臣氏政権時代から徳川氏政権初期段階において九州地方に入部した大名の多くは海城を居城とすることが多かったそうです。
現在城跡は、大分城跡公園となっており、本丸跡に二重櫓と、西丸に宗門櫓が現存しています。石垣、土堀、堀とともに史跡に指定されています。
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2023/07/24 12:14
Coedo (2016/07/24 訪問)
江戸の衛星城下だった川越(埼玉県川越市)。徳川治世も家光の頃になると出世に必要なのは武功よりもむしろ官僚としての民政能力(とりわけ治水事業)だったとか。5代藩主・松平信綱はその代表格とされる人物で、舟運整備や新田開発で幕領発展のモデルケースを示したそうです。
官職「伊豆守」にかけて「知恵伊豆」(知恵出ず)と呼ばれた老中。一方で、茶の湯、歌、碁のすべてを好まない真面目な性格のためか「才あれど徳なし」のレッテルを貼られたというから少し驚きます。もちろん、こういったオーソドックスな官僚こそが2世紀以上にわたる「パクス・トクガワーナ」の時代を支えたという側面はあるのかもしれません。
川越城は19世紀中ごろに建てられた本丸御殿の一部が現存。かつての城域の大半は博物館や美術館、高校などになっています。もとは15世紀後半、扇谷上杉氏が古河公方に対抗するために築城したと伝わります。一方、先日紹介した鉢形城(埼玉県寄居町。こちらも100名城)に拠った山内上杉氏との抗争も有名で、双方をセットで訪れるとその距離感や事の実相が掴みやすくなりそうです。
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2023/07/24 11:44
#28 霞ヶ城 (2023/07/22 訪問)
お濠もなくなり山の上でもないので、拝観するのはすごく楽チンでした。当日は灼熱でしたが天守の中は風が吹き抜け快適でした。
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2023/07/24 10:19
「井田城」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
井田城は、岡崎城(日本100名城)と大樹寺を結ぶ直線上に位置している。酒井氏五代の居城とされ、徳川四天王・筆頭 酒井忠次の出生地とされる。1535年、森山崩れの後、尾張の織田信秀が井田野へ攻め込んだ時、酒井氏は井田城から尾張勢を迎え討つため出陣したと伝わる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
愛知環状鉄道線 北岡崎駅 徒歩10分
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2023/07/24 10:10
「拳母城」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
拳母城は徳川譜代の家臣が代々藩主をつとめた。戦国時代には今川氏が治めていたが、桶狭間の戦い後に織田氏の傘下に入る。江戸時代には、三宅康貞が1万石で入封。三宅氏が4代、鳥山氏(幕府天領)、本多氏3代、内藤氏7代が治めた。内藤氏は、矢作川の氾濫により何度も被害を受けたため童子山に移し、「三河国」「尾張国」「美濃国」「信濃国」「伊賀国」「伊勢国」「近江国」の7つの国が見える高台にあることから、「七州城」と呼ばれた。戊辰戦争では新政府軍に恭順する。現在、曲輪等が遺される。
<アクセス>
愛知環状鉄道線 新上挙母駅 徒歩15分
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2023/07/24 09:57
「成田氏館」 (2023/04/06 訪問)
<オススメ>★☆☆☆☆
成田氏館は、成田氏代々の館とされる。成田親泰の時に忍館にいた一族を襲って滅ぼし、忍城を築いた。その後、成田氏は忍城に居城を移したため廃城となる。現在、遺構は消滅している。
<アクセス>
JR熊谷駅 国際十王バス 「成田学校」下車 すぐ
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2023/07/24 09:55
真夏のPM4時過ぎ (2023/07/19 訪問)
日本城郭協会理事加藤理文氏の夏期講座の後、浜松城へ会場の浜松地域情報センターよりゆっくり歩いて約20分、先ずは大河ドラマ館の有る二の丸浜松出世パーク到着。
浜松出世パークの葵のご紋を模した芝生が春の茶色から緑色に変わってる処を観たくて3月末以来寄りました、芝生は緑色に蒼々しており、東端より葵の芝生、ドラマ館越しに天守曲輪、天守を見上げる、天守に登って浜松出世パークの葵の芝生を見下ろす。
後はお決まりのコースを廻って、夕方のOBの飲み会に合流。
ドラマ館は時間帯もあるのですが空き状態、瀬名姫と信康の自刃放映直後で通路壁に「瀬名・信康ありがとう」来場者メッセージが多く貼られていました。涙を誘いましたからでしょう。
当日、市役所により浜松城を見下ろす屋上展望所を確認しましたが、時間切れでした。公開は年末年始と土日祝を除いた9時から16時まで、一階奥のエレベーターから8階へ展望の案内指示で階段を登り屋上へ行けます。
しかし屋上は周囲端から約1m程内にフェンスが四方を囲っていおり、その外には出れずフェンス越しの撮影と見学に成ります。
フェンスが無ければ視界明瞭、素晴らしい景観に成るのですが、安全確保のためとの事。
後日撮影のフェンス越し写真も1枚投稿します。
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2023/07/23 23:47
現地で見る (2023/07/22 訪問)
駐車場に迷いながらも、しかし濠を彩る蓮を存分に眺めれた偶然。
極楽橋を渡ると蓮がお出迎え。この時期でないと楽しめない風物詩。
新潟滞在のこり1時間、ついに写真のなかの土塁にたたずむ三重櫓と対面。
細部にこだわり見るものを楽しませる復元はありがたいです。外観も黒でカッコイイ♡
近くで見れる堀や土塁の美しさもいいなあと、今度は時間たっぷりでおじゃまします。
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2023/07/23 22:41
にのまるさん,レス御礼 (2023/06/08 訪問)
にのまるさん,早速のレス,ありがとうございます。
JR西日本のIC区間,以前まで山陽線は南岩国駅まででしたが,下関駅まで延長されていました。これにより,下関駅では,JR九州用改札機とJR西日本用の改札機が並んでいました。米原駅や熱海駅のような位置づけとなってました。
高嶺城攻城前日,門司港駅から下関駅までIC利用し(JR九州区間),JR西日本用の改札機にタッチしたらどうなるのか興味があったのでタッチしてみたら,結構大きなブザー音が鳴動しました。改札員の眠気を吹き飛ばしたようです…<笑>。
この後,下関駅で「ふく天うどん」を食しました。「ふぐ」を「ふく」って言うんだな…と,勉強になりました。
にのまるさんのご実家の最寄り駅は幡生駅(はたぶえき)ですか。山陽線と山陰線の分岐駅(合流駅とも言う…)ですね。山陽線はICが使えて,山陰線は使えないってことか…。絶対間違える人いると思う。
七尾駅はみどりの窓口が廃止され,遠隔モニターになっていました。昨年,ちょうど利用しているところを眺めていましたら,えらく時間がかかっているな…っていうのが率直な感想です。高齢者にはしんどいと思います。短気な人はすぐにキレるでしょう…。
1ゴールド,おめでとうございます。
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2023/07/23 21:49
下総守護の居城 本佐倉城 (2023/02/18 訪問)
2月後半の城郭巡り第1段となった千葉県印旛郡酒々井町の本佐倉城。
嘗て霞ヶ浦や利根川下流域は1つの"香取の海"を形成しており、現在2つに分裂した印旛沼は、その南にL字状に突き出た入り江(印旛浦)。
その南岸の半島状の台地を内郭群に、更に内郭群を囲む台地に外郭群を築いた本佐倉城。
北は浜宿湊が水上交通の起点となり、陸路は放射状に街道が引かれていました。
1400年代後半から秀吉の小田原征伐で落城するまでの下総守護千葉氏9代の本拠。
現在、外郭群は農地となっているものの、全体的に堀や土塁が残る国指定史跡の土の城跡。
訪問時は案内所のある東山馬場から入城し、内郭群を一通り(セッテイ山は立入禁止)巡って荒上と向根古谷へ。
内郭群は自然地形を活かしたつくりに感じられ、
・容易には入らせない城山(本丸)へのルート
・深く狭い東山虎口
・セッテイ山両サイドの10m級の空堀
が見どころでしょうか。特に東山虎口は独特な印象。
外郭群も荒上南側の堀と土塁が近くで見れないのが残念ですが、向根古谷の馬出は見逃すと勿体無い遺構。
滞在時間3時間半の本佐倉城が、私の城郭巡りの148城目となりました。
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2023/07/23 21:00
③五角形 (2023/05/28 訪問)
現存天守をじっくり楽しんだあと、次に向かったのは藤兵衛丸。郷土資料館(山里倉庫)の建物は伊達宗城の時代に武器庫として使われていたものが伊達家の米蔵となり、その後移築されたのだそうです。「うわじま伊達偉人展」(入館無料)を見てきました。
長門丸に降りると宇和島城の城碑が。そういえば遺構たっぷりのお城では敢えて城碑をさがすこともなかったなぁ。
長門丸は遊具のある広い公園ですが下ってみると櫓台を備えた長大な石垣が!宇和島城、どれだけかっこいいのか!
ぴしっとした算木積みとその近くに密集する矢穴石に改修の跡を感じます。櫓台の下に散乱する瓦片、コロンと転がる丸瓦もありました。か、かわいい☺️
藤兵衛丸下の最古の石垣も味わい深かったです。
式部丸は雰囲気がほかと違っていました。新しい感じがするのは、昭和時代に封鎖されていたのを修築したためのようです。当初から櫓や門はつくられなかったそうで、ヒミツの郭っぽい雰囲気がありました。
代右衛門丸にもさまざまな石垣が。高虎時代の石垣もそこかしこに見られるのがうれしいです。
南側の上り立ち門から退場し、伊達博物館へ行きました。
“お城から来ました”と言うと缶バッチをいただけるそうなので、(いい大人が~^^;)と思いつつも言ってみたら「好きなの選んでいいですよ♪」と言ってくださったのでじーっくり選んで天守の缶バッチをいただきました(^^)/
天赦園へも行ってみましたが、河後森城へ行く電車の時間が迫っていたので外から見るにとどめました。
そして宇和島駅へと徒歩で向かったのですが、前日から感じていた違和感がここで炸裂。
上り立ち門の方角を考えても城山を右手に見ていれば駅に戻れるはずだと思っていたのですが全然近づきません。Googlemapを見ると、駅はもう一回曲がったはるか先の方。しかも右だと思っていたのに左。駅近くまでやっと戻って、前日宿泊したホテルの位置や道順を思い出し、城山を振り返ってみたのですが、どうしても位置関係を把握できません。(グーグルさんを疑ってしまう始末💦)
こんな町なかのお城で方向感覚を失うなんてヤバいなーと思ってしまったのですが、ふと思い当たったのが宇和島城の縄張り。空角の経始と呼ばれる幕府隠密も見誤ったという高虎の五角形の縄張りが今も主要道路や町割りに残っているのです。
私、もしかして高虎さんの仕掛けに引っかかった?
そう思って改めてじっくりマップを見てみました。
やはり曲がり角ひとつ分欠落して考えていました。
そして五角形の内角の和は540°とか超絶久しぶりに思い出して鈍角に進んでいたことに気づいてようやく納得。
海城時代の面影は今はもうないと信じ切っていたのですっかり騙されてしまいました。というか勉強不足なのですが、高虎さんに騙された―!と思うと楽しくておかしくてうれしい経験なのでした。
<おわり>
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2023/07/23 20:49
②本丸 (2023/05/28 訪問)
二の丸から本丸への最後の門、一の門(櫛形門)の下からは天守は見えません。
石段をゆっくりと、後ろ向きで海を見たりしながら登っていよいよ天守とご対面!
100名城スタンプの存在を知ってから足掛け10年で、ついに現存12天守制覇、1ゴールドゲットですヾ(≧▽≦)ノ
100名城・続100名城スタンプはあと28個(+有子山城)。
いつの日かこの「みんなの投稿」欄でコンプ報告したいです!
なので「城びと」さん、ずっと続いていてください。お願いします。
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2023/07/23 20:45
① 北側登城口(藩老桑折氏武家長屋門)より二の丸まで (2023/05/28 訪問)
前日に四国入りし大洲城見学のあと、予讃線で宇和島へ移動しました。
乗車券は東京都区内から松丸(河後森城)まで通しで購入していたので、まだ途中下車(北宇和島⇔宇和島は別途購入)です。
宇和島駅からホテルに向かって歩いているときに何となく方向感覚のズレを感じました。その時は商店街が碁盤の目じゃなかったのかな、程度に流したのですが、この違和感が結局最後まで付きまとうことになります。
翌朝、天守開館の9:00前にそのほかのところをできるだけ見ておきたかったので7:00過ぎに行動を開始、北側登城口へ向かいました。
この時にも“何か違う”という違和感がじわじわと湧いてきます。
昔から好きだった「歩くこと」をお城めぐりでも続けているうちに体が覚えたはずの感覚や勘が生きてこないというか、悉くハズレの方向に行ってしまうのです。
それでも登城口に着いたので、登城口の藩老桑折氏武家長屋門より入城しました。この長屋門は城下唯一の現存長屋門だそうです。城門として観光客を迎えるようになるなんて誰も想像してなかったでしょう。ほんとうに、将来のことなんて誰にもわかりません。
城門をくぐり、石段を登って最初に井戸丸に向かいました。
石段のキツさとかっこよさは比例します。井戸丸門の石垣の惚れ惚れするかっこよさに行ったり来たりしてしまいました。縁石に金石文の残る井戸跡を見て、三の門へと登っていきます。ここの石垣もかっこいいです。積み直しの境目は言われてみないとわからなかったし、かっこいいしか言えないのですが、宇和島城と言えば現存天守で、天守目当てに来たところが大きかったので、これらの荒々しい石垣に、自分の知識や想像力の乏しさを再認識してしまいました。百聞は一見に如かずです。
三の門左、御弓櫓石垣の上に天守の屋根が見えました。この上が本丸。
ですがその前に二の門があって、最終防衛の二の丸。二の丸では御算用矢倉跡の礎石やかつての石垣ラインを示す石など足元の遺構展示が楽しかったです。
二の丸と連結する帯曲輪は通行禁止でしたが、本来ならば本丸へ上がる一の門(櫛形門)石垣の右側(写真⑨)から三の門の近く(写真⑩)まで一周できるようです。
<つづく>
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2023/07/23 09:12
目的地は右側です。 (2023/07/04 訪問)
「 松田城」の後、「苅野丸山城」に転戦しました。
こちらも、北条家家臣 松田 憲秀さんが街道監視の為に築城したようです。
Googleで位置を確認。車で向かいました。
川にかかる一色橋を渡り細い道に案内した後、『目的地は右側です。』と到着を報せて終了。
写真①が目的地の到着した所で、写真②③が目的地の右側です。
真っ直ぐ行ってUターンできなかったら心配だし、登城口があっても、山には怖くて入れないので退陣。
それでも『行った』をポチっとしました。
石碑も標柱も説明板もないのに位置を知っていたGoogleにビックリした「苅野丸山城」攻めでした。
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2023/07/23 02:07
⑤三の丸南隅櫓 (2023/05/27 訪問)
大洲城に現存する4櫓のうち最も古い三の丸南隅櫓に足を延ばしました。
広い三の丸の南の隅、外堀に面した場所で「三の丸南隅櫓公園(通称:お殿様公園)」の敷地内です。
隅櫓は国の重要文化財ですが、公園内のためか扉は開いており椅子も並べてあって中で休憩してもよさそうでした。(開園時間は8:30~17:00)
すっきりした外観は袴腰型の石落としがいいアクセントになっています。石落としは内側から塞がれているようでした。
敷地内にある加藤家住宅主屋はNIPPONIA HOTELとして整備され、宿泊できるそうです。一階は見学可能でした。
外堀側から公園を見ると、バックに天守が顔をのぞかせています。その絵面が堪らなくよかったです。
1888年に取り壊されてから2004年に復元されるまでの百余年の間は見ることのできなかった景色だと思うと感慨深く、天守復元は城下の印象も一変させるほんとうにすてきな試みだと思いました。ここからこんな風に天守が望めたんだなぁと周りの家々をモノクロームにして往時の景色を脳内再現してみました。
公園南側の道路がクランクしているところも古地図のとおりで外堀の痕跡のようですが、もっと萌えてしまったのが「枡形」です。
お殿様公園に向かう途中、最初にお城に向かった時も通ったところですが、「枡形」のバス停が数本まとめて立っていました。城跡を示す地名は今でも各地で見ることができますが、名前だけではなく形状も残っていて、自動車が溜まったりゆっくり曲がったりする様子は眺めているだけでもいいものでした。
<おわり>
朝田さん、雨の中、我が故郷へようこそおいでくださいました。
山口は地震はあまり起きないですが台風はバンバン来ます。壇ノ浦の国道9号線を走っていて大波をかぶったり、駅が水没したりとかもありました。雨男のせいではないかもしれません(^^)/
ICカード使用可はうれしいです。私の実家の最寄り駅は下関駅の隣の幡生駅なのですが、小倉からピッ!とSuicaで入ってしまって精算できず、ということを何度繰り返したことか。。。
そのかわり(?)新幹線の駅でもみどりの窓口がなくなってきたりもしているようで、電車移動派としてはいろいろ心配です。
高嶺城は山口大神宮ルートで見られる石垣を一箇所見落としているので私もまだ制覇した気にはなっていないです(◞‸◟)
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2023/07/23 02:05
✕
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