桜の名所( ・᷄ㅂ・᷅ )コーモロー!
桜舞い散る時に来たから、野面積みで緑なす苔の石垣に桜の花びらが綺麗だな
段々と低くなる珍しい惣構え!
〇〇が腰掛けた石って…なんかどこでもあるなぁ…( ・᷄ㅂ・᷅ )、
ホンマかよ
+ 続きを読む
検索結果・・・「」を含む投稿
2022/11/01 00:30
2022/10/31 23:39
2022/10/31 22:12
波多野氏の本拠城 (2022/10/30 訪問)
麒麟に遅れること数年、やっと丹波三大山城を攻略できた。城址への道は整備されていて登りやすいが、階段になっているので、久しぶりの登城で体がきつい。ところどころに小さな郭や竪堀があり、右衛門丸や本丸には石垣も残存していた。また二の丸からの眺望が良く、篠山城の石垣も視認できた。全山が城砦化していたと考えると、攻略するのは大変な城だと良くわかった。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
2022/10/31 21:58
2022/10/31 20:50
神戸城 (2022/09/25 訪問)
【神戸城】
<駐車場他>神戸公園駐車場無料18台程度
<交通手段>車
<見所>天守台・現存移築櫓・現存移築大手門
<感想>神戸城は天文年間(1532ー1555年)に神戸具盛が築城しました。織田信長の3男信孝を神戸氏に養子入れした後に改修を施しました。その時に天守が築かれたようです。天守櫓は文禄年間に桑名城に移築されましたが城は2万石の神戸藩として修築されながら明治まで残りました。
四日市のにある顕正寺の移築大手門→鈴鹿市蓮花寺にある移築二の丸太鼓櫓を巡り城跡にきました。城跡は本丸の大半と天守台、本丸の西側の堀が残されています。二の丸は神戸高校に本丸周辺は公園化しています。
天守部分は天正時代に神戸信孝が築いたものであるようで、残された天守台は隅角部は算木積み未発達で丸みのある石を使用しています。河原石かとも思われます。南面に鏡石があり、石段前に立石が置いてあります。なんといっても良いのが憶測ですが信長監修かもしれないのがたまらないですねえ。暫く天守台にて浸りました。大満足です。
<満足度>◆◆◆
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2022/10/31 20:34
太鼓門枡形と艮櫓周り (2022/10/23 訪問)
77年振りに木造復元された桜御門の見学、内覧の後、桜の馬場の東出入り口に当たる、太鼓門跡、同枡形、旭門、旭橋、旧太鼓櫓跡に建つ三重三階艮櫓をぐるっと回って探訪しました。
艮櫓は東の丸北東にあった艮櫓を昭和40年に旧国鉄より高松市が譲り受けて2年の歳月を掛けて、旧太鼓櫓跡に移築された、三重三階月見櫓と二基の現存櫓です。
高松城の枡形は現在、太鼓門桝形しか残って居りません、切込接石垣で綺麗な仕上げです、北側に埋門が有り、前回の探訪平成26年5月では樹木で鬱蒼としてましたが、北側の上部の樹木伐採されてすっきりしました。太鼓門石垣西側はモザイク模様の切込接ぎで石垣模様が美しい見所の一つです。
艮櫓を桜馬場側、中堀東側駐車場より眺める、旭橋は斜めに掛かり横矢掛りし易く成って居る、枡形一の門旭門が守っている。
艮櫓を中堀越しに眺める、高松城の見所の一つです。
+ 続きを読む
♥ いいね
19人が「いいね」しています。
2022/10/31 19:42
2022/10/31 03:28
2022/10/31 01:00
2022/10/31 00:04
2022/10/30 23:45
2022/10/30 22:30
2022/10/30 21:43
登城ルートは2つ。 (2022/10/22 訪問)
登城ルートは,東西2つあります。「小谷山城升型入口」とある東側ルートと,階段を数段登った先にパネルのある西側ルートです。
東側ルートの途中に堀切を確認でき,新・旧ルートの分岐にさしかかります。旧ルートのほうが遺構があるだろうと,旧ルートを選択。2段の虎口を経て,北郭にたどり着きました。2段の虎口の下のほうは,桝形を意識した形状になっていました。
私は,東側ルートで登り,西側ルートで下山しました。
標高:964m,比高:130m。比高があまりないせいか,これといって負担はありませんでした。
さすがに標高が高いので,紅葉は進んでいました。登城口付近から桧原湖を撮りましたが,天候がイマイチだったので全然映えてません…<泣>。
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2022/10/30 20:48
林道で熊さん?遭遇、気をつけて (2022/10/09 訪問)
前回の訪問では時間切れで登城口までしか行ってないので今回再訪。
案内板に沿って林道を進むと黒い動物がササッと。
足は長くないのでカモシカではない。
黒色なのでイノシシでもなさそう。
もちろん猿でもない。
ということは?やはり熊さん。
とりあえず登城口である駐車場へ、ここにも熊さん目撃情報の案内がありました。
せっかく来たので、と熊鈴装着で足早に見学しようと入口から進んで行きます。
堀切や巨石群など見どころ満載でとても足早に、とは行きません。
光秀の他妻、煕子の故郷となる城です。
くさび跡のある巨石も残っていて、熊さんの存在も忘れて散策してしまいました。
幸い遭遇せず一安心、と思ってたら帰りの林道でも・・・。
皆さん、気をつけてくださいね。
+ 続きを読む
♥ いいね
18人が「いいね」しています。
2022/10/30 20:29
筑波サーキットのついでに豊田城 (2005/05/05 訪問)
過去のお城巡りの振り返り第21弾は、茨城県石下町(現常総市)の豊田城。
現在の茨城県常総市周辺は嘗て下総国の豊田郡と呼ばれ、平安時代にその地を賜った常陸平氏の中の一族が豊田氏の始まりなのだとか。
そしてその豊田氏が、室町初期から1578年に多賀谷氏に滅ぼされるまで本拠としていたのが豊田城とのこと。
さて、訪問当時は主に天守のある城を巡っており、筑波サーキットへ行く途中に模擬天守の地域交流センターを撮影したのみ。
しかし本来の豊田城はそこから南東に約2kmの場所で、現在は石碑や案内板が建つ程度。
元々は小貝川西岸に沿う微高地に、屋敷や井楼矢倉を築いた城だったでしょうか。
「石下町史」によると、北側(現在の本豊田住宅地)に寺や城下町を配置し、堀切で分断されていた石碑の南側の農地部分が城の中核だったと推測される模様。
石下の町の大きな模擬天守は、嘗てこのエリアに豊田氏が存在していたことを今に伝えているのですね。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2022/10/30 20:21
2022/10/30 18:57
2022/10/30 18:40
2022/10/30 15:26
✕
人が「いいね」しています。