船山城は天竜川の支流と、同じく天竜川の支流である片桐松川に挟まれた河岸段丘の先端地に築かれています。南北朝時代に北朝方であった片桐氏の城で、天正10年の織田信長の信濃侵攻時に城主・片桐正忠は討死したと伝わります。先端部の遺構が多く残る部分は中世前期の城で西側の広大な果樹園から御射山神社、瑞応寺に至るあたりが中世後期の城とされています。おそらく通常は後期の城に住み、有事の際に前期の城を詰めの城にしたのではないかと考えます。果樹園を丘陵の先端部に向かって東に進むとゲートがあるので、そこから中に入ります。詰めの城は4つの郭から成り、郭の間を堀切で遮断し、土塁が一部残ります。尾根先をまっすぐ進んでいく形になりますが、郭の間に高低差もあり端部を石垣で補強してあるのであなどれない防御力を備えています。いくつか堀切をわたり詰めの城の最東部にたどり着きます。詰めの城としては十分な広さがあり、十分主郭の雰囲気を漂わせています。織田氏の侵攻時には最後にはここに籠って戦ったはずなので、詰めの城の最東部が落城時の主郭であったであろうと推測します。そう思うと神妙な気持ちになり一礼して主郭を後にしました。
補足‥漢字で「4つ」と入力するとエラーが出ます。ちょっとAIが過敏に反応し過ぎですね。数の入力もできないのはどうかと思います。
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