たかすじょう

高須城

岐阜県海津市

別名 : 高洲城、高須御館、(高須陣屋)
旧国名 : 美濃

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しんちゃん

高須〇〇ニック。 (2024/04/14 訪問)

さあ、高須〇〇ニックの時間です。もちろんピクの方です、栗じゃないですよ!
高須城の最初の築城者は新田義貞を藤島城に攻め、討ち取った越中の氏家中務丞重国とされています。慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で城主・高木盛兼は西軍に味方し、福島正則の命を受けた松ノ木城主・徳永法印寿昌らに攻められ、寿昌の勧めで降伏します。
戦後は徳永寿昌が美濃・尾張国に合わせて5万600石を領し、初代高須藩主になりますが、二代昌重の代に大阪城改築の不手際と嫡子との諍いを咎められ改易となります。(中略‥)
元禄13年、尾張藩主光友の次男、松平義行が信濃三郡から当地に封じられ、高須藩3万石の藩主となり、尾張徳川家や有力藩主の嗣子が絶えた時際に跡継ぎを供給する役割を負うことになりました。
戊辰戦争で新政府軍と戦った陸奥国会津藩9代藩主・松平容保と尾張徳川家14代/17代当主・徳川慶勝は兄弟であり、ともに高須藩から養子に出ています。
高須城は案内板が二つあり、一つは「もんどばし」の東の水濠の中、もう一つは北の城跡公園に設置されています。水濠より北側、城跡公園周辺が三の丸跡とされ、瑞応院・海津明誠高校のあるあたりが二の丸、県道8号をまたいで流通センターのあるあたりが本丸跡のようです。

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小城小次郎

藩主人材のるつぼと化した (2023/04/13 訪問)

関ヶ原後に高須に入った徳永氏は大坂城普請の怠慢(飲みすぎ?)を咎められ改易されたが、小笠原氏を経て尾張藩の支藩となってからは尾張はじめ全国各地に藩主を供出する人材のるつぼと化した。会津の松平容保もここ出身だ。

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ぴーかる

高須城 (2023/05/03 訪問)

【高須城】
<駐車場他>駐車場はないが、城跡公園の横の道は広いです。
<交通手段>車

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅6城目。高須城は南北朝時代の1338年に美濃国石津郡の地頭となった氏家重国が館を築造したのが始まりとされます。1592年には豊臣秀吉に仕えた高木盛兼が1万石を与えられて領主となりました。関ヶ原の戦いでは高木盛兼は西軍に付き東軍の徳永寿昌に攻められて城を退却します。関ヶ原後は功により徳永寿昌が入封し約5万石で高須藩を立藩します。第2代藩主徳永昌重の時に改易になり一旦廃藩となったりしますが、江戸時代中期以降は名古屋藩の支藩として幕末を迎えます。水害が多い地域だったようです。現在遺構は残っていないようで城跡公園に寄りました。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:高須城 (2023/04/27 訪問)

駒野城からの転戦です。城跡公園入口(35.222300、136.630290)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、1338年(暦応元年)美濃国石津郡に地頭職を賜った氏家重国が館を構え、これを高須城の前身とする説があるようです。
1522年(大永2年)大橋重一が築き、以降、信重、重長と続きます。
大橋氏は後に勝幡城の織田信秀に属し、天文年間(1532年〜1555年)以降は高津直幸、平野長治、秋山信純など多くの城主が入れ替わりました。
関ヶ原合戦後、松ノ木城から徳永寿昌が50,700石で高須城に入り高須藩となりますが、二代徳永昌重は1627年(寛永4年)大坂城改修工事で監督不行届があり改易され、出羽国鶴岡藩酒井忠勝、さらに出羽国新庄藩戸沢政盛にお預けとなりました。
同じく、嫡男徳永昌勝もお預けの身となっていましたが、1648年(慶安元年)に赦され、子孫は2,200石の旗本として速続しています。
1640年(寛永17年)下総国関宿から小笠原貞信が22,700石で高須へ移ってきましたが、度重なる洪水などに悩まされ、自ら領地替えを幕府に願い出て、1691年(元禄4年)に越前国勝山へ転封となりました。
その後は天領となっていましたが、1700年(元禄13年)尾張藩主徳川光友の次男で信濃国高井藩主松平義行が高須藩へ転封となり、以降、高須藩30,000石として代々続いたようです。

高須小学校の北側の「城跡公園」に説明板があります。遺構は残っていません。城跡公園入口に路駐した為、速攻で撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=八神城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 氏家重国
築城年 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)
主な城主 氏家氏、高木盛兼、徳永氏、小笠原貞信、松平義行
廃城年 元禄4年(1691)
遺構 土塁、堀跡
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県海津市海津町高須