たかすじょう

高須城

岐阜県海津市

別名 : 高洲城、高須御館、(高須陣屋)
旧国名 : 美濃

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小城小次郎

藩主人材のるつぼと化した (2023/04/13 訪問)

関ヶ原後に高須に入った徳永氏は大坂城普請の怠慢(飲みすぎ?)を咎められ改易されたが、小笠原氏を経て尾張藩の支藩となってからは尾張はじめ全国各地に藩主を供出する人材のるつぼと化した。会津の松平容保もここ出身だ。

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ぴーかる

高須城 (2023/05/03 訪問)

【高須城】
<駐車場他>駐車場はないが、城跡公園の横の道は広いです。
<交通手段>車

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅6城目。高須城は南北朝時代の1338年に美濃国石津郡の地頭となった氏家重国が館を築造したのが始まりとされます。1592年には豊臣秀吉に仕えた高木盛兼が1万石を与えられて領主となりました。関ヶ原の戦いでは高木盛兼は西軍に付き東軍の徳永寿昌に攻められて城を退却します。関ヶ原後は功により徳永寿昌が入封し約5万石で高須藩を立藩します。第2代藩主徳永昌重の時に改易になり一旦廃藩となったりしますが、江戸時代中期以降は名古屋藩の支藩として幕末を迎えます。水害が多い地域だったようです。現在遺構は残っていないようで城跡公園に寄りました。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:高須城 (2023/04/27 訪問)

駒野城からの転戦です。城跡公園入口(35.222300、136.630290)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、1338年(暦応元年)美濃国石津郡に地頭職を賜った氏家重国が館を構え、これを高須城の前身とする説があるようです。
1522年(大永2年)大橋重一が築き、以降、信重、重長と続きます。
大橋氏は後に勝幡城の織田信秀に属し、天文年間(1532年〜1555年)以降は高津直幸、平野長治、秋山信純など多くの城主が入れ替わりました。
関ヶ原合戦後、松ノ木城から徳永寿昌が50,700石で高須城に入り高須藩となりますが、二代徳永昌重は1627年(寛永4年)大坂城改修工事で監督不行届があり改易され、出羽国鶴岡藩酒井忠勝、さらに出羽国新庄藩戸沢政盛にお預けとなりました。
同じく、嫡男徳永昌勝もお預けの身となっていましたが、1648年(慶安元年)に赦され、子孫は2,200石の旗本として速続しています。
1640年(寛永17年)下総国関宿から小笠原貞信が22,700石で高須へ移ってきましたが、度重なる洪水などに悩まされ、自ら領地替えを幕府に願い出て、1691年(元禄4年)に越前国勝山へ転封となりました。
その後は天領となっていましたが、1700年(元禄13年)尾張藩主徳川光友の次男で信濃国高井藩主松平義行が高須藩へ転封となり、以降、高須藩30,000石として代々続いたようです。

高須小学校の北側の「城跡公園」に説明板があります。遺構は残っていません。城跡公園入口に路駐した為、速攻で撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=八神城に向かいます。

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イオ

尾張徳川家御連枝 (2023/02/04 訪問)

南北朝期に氏家重国が築いたとも、戦国前期に大橋重一が築いたとも云われ、織豊期には高木盛兼の城となっていましたが、関ケ原の戦いでは西軍についたため、東軍についた松ノ木城の徳永寿昌と今尾城の市橋長勝らに攻められて降伏しました。戦後は徳永氏が城主となって修築し城下町を整備しましたが、改易により幕府領となり、小笠原氏を経て尾張徳川家御連枝の松平義行が入って高須松平氏で明治を迎えました。高須松平氏といえば幕末の高須四兄弟が有名ですが、初代の義行は尾張徳川家二代・光友と三代将軍・家光の長女(千代姫)の子であり、本家にあたる尾張徳川家の藩主を五代も輩出した大変な名門だったんですね。

駐車場はなさそうなので、城跡公園の東側に路駐して登城開始。城跡公園は三の丸跡に位置し、東側に高須城跡(関ケ原の戦い)の説明板が立てられています。公園北側の高校敷地が二の丸跡で、さらに北の大江川沿いの企業敷地が本丸跡のようですが、遺構は見られません。公園の南には三の丸と城下を隔てる水堀が東西に続き、朱塗りの主水橋(往時は板橋)が架けられています。主水橋の南詰は殿町ポケットパークという小公園になっていて、水堀跡を親水公園的に整備し、主水橋や高須城と城下町の説明板が設けられています。ポケットパークの東端で水堀跡は南に分岐して続き、かつては武家屋敷と町家を区画する水堀だったようです。

城跡公園から南東に約1kmには歴史民俗資料館があり、高須城や高須松平氏の展示もあるようなので見学したかったんですが、開館時間前だったため大江川に架かる橋から眺めるだけに留め、またの機会に。また、桑名市の六華苑には高須城(陣屋)の御殿が移築されているようなので、こちらもいずれ…。
 

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 氏家重国
築城年 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)
主な城主 氏家氏、高木盛兼、徳永氏、小笠原貞信、松平義行
廃城年 元禄4年(1691)
遺構 土塁、堀跡
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県海津市海津町高須