国史跡 楠葉台場は淀川の東岸に築かれています。
設計の責任者は勝海舟で、なかなか鋭角的で先進的な
デザインで、淀川を北上してくる夷敵を打ち払うために
砲台が三台、南西側を向いていたのですが、
新政府軍に寝返った津藩の連中に北西の高浜台場から砲撃を受け
応戦はしたものの退路を断たれることを恐れ、大阪に落ち延びたそうです。
台場でありながら、関所の役割も果たしており、北と南に
虎口を設け番所を設置、京街道のルートを曲げて
ここを通過させていたようです。陣所の役割も果たしていたようで
台場としてはちょっと欲張り過ぎたのでは?と感じました‥。
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