【猿掛城】
<駐車場他>毛利弘元公墓所前に3台程度あり。<34.680291, 132.660487>から教善寺内に入って行きます。
<交通手段>車
<見所>堀切・櫓台
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅2城目。猿掛城の築城年は定かではないが、毛利氏の吉田郡山城の支城として、1500年に嫡男の毛利興元に家督を譲った毛利弘元が幼い次男の毛利元就を連れて隠居するために入城したか築城した城です。毛利弘元はこの城で没し、毛利元就はこの城で元服し多治比毛利氏として分家となります。1523年に元就が宗家を継いで吉田郡山城に入ったのちの城の詳細は詳細は不明ですが戦国末期まで使用されたと思われます。
登城口は駐車場から教善寺へ行った所に案内があります。登り始めてすぐ寺屋敷跡の連郭が数段あります。そこから主郭の腰曲輪までは特に遺構はありません。主郭は長方形の長い曲輪で北東端に土の櫓台が残っています。主郭北東端から先は高い切岸下に腰曲輪が2段あり、その先は山化しています。主郭南西端から先は深い堀切があり降りるのに一苦労します。堀切先が連続堀切が数条あり尾根曲輪が続いています。行き着いた先に物見曲輪があります。進入口の2か所を堀切で仕切っています。
主郭に登って来た道の教善寺へ降りることはできませんという案内札があったので来た道を戻らず、物見曲輪から毛利弘元公墓所へ着くルートで下山しました。このルートは途中道がロストしていますので注意を。教善寺の北西側に出丸跡があります。
<満足度>◆◆◆
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