さがらじょう

相良城

静岡県牧之原市

別名 : (相良館、相良古城)、(相良陣屋)
旧国名 : 遠江

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櫓風建物の牧之原市史料館
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カズサン

2025年大河ドラマに田沼意次候出演 (2024/01/30 訪問)

 来年2025年の大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺」に主演:横浜流星の蔦屋重三郎、絡むように大物俳優渡辺謙の田沼意次が出演が決まり、年明けの1月30日相良城、相良庁舎周辺の幟旗の賑わいは如何にと3年振りに登城しましたが賑わい幟旗は無く静かな佇まい、唯一相良小学校150年の幟旗はそこかしこ。

 駐車場:牧之原市相良庁舎駐車場を利用。

 賑わっているだろうと思って行きましたが少しがっかり、牧之原市史料館に入り事務所の方にお聞きしましたが、まだ特に動きは無く協議をしてる様?の感じを受けました、史料館一階の階段上がりには「田沼意次候を大河ドラマに!」の看板が掲げられており、決定大河ドラマ感は無し。
 時間経過と供に田沼意次候大河ドラマ感が高揚してくるのでしょうか?・・時間待ちです。

 そんなわけでサラッと相良城を見て回りました。
 二の丸土塁上の松と土塁の表、裏、角の腰巻石垣、三重櫓台石垣を探すも見つからず、特に案内も無い、3年前に除幕した田沼意次候像と対面、仙台河岸の石垣観察、萩間川と架かる湊橋、下流の相良港方向を遠望して終了としました。
 

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三浦の晃ちゃん

跡形もない (2023/11/23 訪問)

田沼意次公の居城で、知られているお城です。石碑と銅像があります。隣には、史料館があります。地元では、名君のようです。ただ、遺構は見当たりませんでした。

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イオ

田沼意次の城 (2023/08/06 訪問)

平安末期に相良氏が築いた相良館、戦国末期に武田勝頼が築いた相良古城を前身とし、徳川家康の鷹狩用の御殿、江戸期の相良藩の陣屋を経て、江戸中期に田沼意次が三重の天守を擁する近世城郭に大改修しました。松平定信が老中になり田沼意次が失脚すると、相良城も廃城となり徹底的に破却されましたが、江戸後期に移封されていた田沼氏が復帰すると相良城跡に陣屋を構え、明治まで続きました。

徹底的に破却されたことにより遺構はほとんど遺っていませんが、本丸跡に相良城趾石碑と田沼意次候銅像、相良城本丸跡の石碑、牧之原市史料館が建ち、二の丸跡には土塁とクロマツが遺り、説明板と相良城図が立てられています。

萩間川に架かる湊橋の南詰には、仙台藩主・伊達重村から贈られた石材によって造られた仙台河岸の石垣が遺っています。また、仙台河岸近くの大和神社の道路沿いには田沼街道の起点石標がありました。近年では再評価が進む田沼意次ですが、意次が架けたとされる湊橋により陸運(田沼街道)が、千石船が横着けできたという仙台河岸により水運が発展し、相良城下の繁栄につながったことから、賄賂政治家と長らく貶められながらも地元では支持され続けてきたんでしょうね。

相良城から北北東に20㎞あまり離れていますが、藤枝宿の大慶寺(藤枝市藤枝)には相良城の御殿が客殿として移築されています。なお、大慶寺は田中城の祈願寺であり、田中藩士の墓所も設けられています。田中城のほうがよほど近いですからね。

さほど見どころのある城ではありませんが、資料館は時間に余裕がなく見送り、能登守利信さんの投稿にある小学校裏手の三重櫓模型も見落としてしまいましたので、いつか再訪したいものです。

…と、これで今回の駿河遠征はおしまい。駿府城の天守台発掘調査現場を前日に行けていれば、あと持船城と小山城にも行くつもりでしたが、やむを得ません。ニッポン城めぐりの静岡イベントも完全制覇しましたし、充分に満足できる遠征でした。
 

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能登守利信

呟き (2023/09/10 訪問)

静岡駅からバスで大沢公園バス停にて下車、MilkyWay Squareにて自転車をレンタル、約5分。牧之原市史料館の城址碑や仙台河岸の石垣、二の丸土塁を眺めながら荒神曲輪跡(小学校裏手)に三重櫓模型がありました。小学校敷地外から見ることが出来ます。地元に愛された城址なんですね。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 田沼意次
築城年 明和4年(1767)
主な城主 田沼氏
廃城年 天明8年(1788)
遺構 曲輪、石垣、土塁、御殿
指定文化財 市天然記念物(相良城二の丸のマツ)
再建造物 石碑、説明板
住所 静岡県牧之原市相良字元本丸跡
問い合わせ先 相良史料館
問い合わせ先電話番号 0548-53-2625