枚方公園駅から徒歩10分弱で、御茶屋御殿広場入口(34.813687、135.642878)に着きました。
枚方城は京阪枚方公園駅の東側の丘上にあったとされ、現在の枚方小学校の付近がその推定値と考えられています。
枚方は、奈良時代に百済王氏(百済の最後の王の流れを汲む氏族とされます)が渡来した地で、その子孫と称した本多氏が枚方城主を務めていました。
本多内膳正政康は豊臣秀吉に仕え、その娘が秀吉の妾になったことから、豊臣氏との関係が深まり家運も栄えたとされます。
しかし、秀吉亡き後は1614年(大阪冬の陣)の前年に、徳川方によって陥落。翌年の1615年(大阪夏の陣)で大阪城が落城するに伴い、枚方城も廃城になったとされます。
推定値とされる枚方小学校には向かわず、御茶屋御殿広場に行きました。
遺構は残っておらず、御茶屋御殿跡にある説明板に枚方城の名前を見つけることができる程度です。
雨が降っているので早めに撤退しました。攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=楠葉台場を目指す為、枚方市駅から電車で橋本駅に向かいました。
+ 続きを読む