たかはらすわじょう

高原諏訪城

岐阜県飛騨市

別名 : 旭日城、江馬城
旧国名 : 飛騨

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堀切1
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:高原諏訪城 (2023/04/25 訪問)

江馬下館からの転戦です。県道484号(36.324937、137.314067)の標柱付近に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、江馬氏によって築かれたと云われています。
1582年(天正10年)八日町の戦いで江馬輝盛が三木自綱に敗れ戦死すると、小島城主・小島時光によって攻められ、大雪で防御柵なども破損していたことなどもあり、防御体制が万全でなかったために落城し、廃城となりました。これにより、高原郷の領主としての江馬氏は滅亡することになりました。

遺構として土塁や竪堀、堀切、曲輪が確認できます。特に堀切は大規模なものです。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=洞城に向かいます。

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りあそーる

道路 (2022/06/17 訪問)

ダンプカーとかも走っているので駐車場所注意です!
下の円城寺の裏からも登れますが暑かったので断念しました。主郭でカモシカ親子に会いました。草刈りもされてて見やすいです。
見晴らしも良い。

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イシテル

江馬氏館の詰城 (2021/07/17 訪問)

車を「道の駅 スカイドーム神岡」の駐車場に止め、まずは江馬氏館跡庭園へ向かいました。
そこで係員の方に高原諏訪城への道を聞くと、江馬氏館跡庭園の先にある円城寺から登ると30分程度で到着すると伺い、円城寺へ向かいました。円城寺の境内に入りましたが、登城道が分らず、結局はスマホのGPSを頼りに車道を進み登城口の表示のあるところまで延々と歩きました。
車道の登城口から主郭までは10分程で、途中に竪堀、土橋、切岸などあり、主郭から神岡の街を一望して、江馬氏館跡庭園も上から眺められます。
下城は、車道側でなく、係員の方に教えていただいた円城寺に続くと思われる山道を選びました。少し急坂で、また前日の雨でぬかるんで歩きにくい状態でしたが、こちらの登城道が醍醐味があります。下りると、階段があり、そこから一旦、車道に出ますが、車道の反対側に下城道があり、それを下りると、江馬氏館跡庭園で教えていただいた円城寺の脇道に出ました。登城は秋葉神社を目印に円城寺の脇道に入り、奥の鳥居を目指すとそこから登城道が続いています。そこからだと30分程で主郭に登れると思われます。
車道の登城口も車1台は停められると思いますが、江馬氏館跡庭園の駐車場に停めて、円城寺脇道から歩いての登城をお勧めします。

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くっしー

飛騨の城跡へ行こう!2020 「中井均先生と歩く!高原諏訪城探訪」 (2020/09/27 訪問)

飛騨市主催のイベントに参加してきました。
午前が、滋賀県立大学の中井均先生と一緒に高原諏訪城を探索。午後は公民館で「高原諏訪城を考えるー縄張りから見た江馬氏館との関係ー」と題した講演会でした。
高原諏訪城は竪堀・堀切がはっきり残っています。それから、中井先生が絶賛されていたのが「切岸」。非常に急こう配になっていて現状でも登るのは難しいですね。土のお城として非常にレベルのたかい城です。それから注目は、主郭からの眺めがめちゃくちゃ素晴らしい。保存会の方たちが丁寧に整備をされているそうで、30分かけて登るだけの価値ありです。また主郭から江馬氏館が見えます。高原諏訪城と江馬氏館がセットであることの証といっていいと思います。
さて、午後の講演会ではその江馬氏館との関係が話題となりました。江馬氏館は発掘調査の結果、16世紀の前半までしか使われていなかったことが分かっています。一方で、高原諏訪城は1582年に落城したとされています。セットであるはずの江馬氏館は約50年前に廃絶していたのに高原諏訪城は16世紀末まで使われていた。これはどういうことなのかということに対していくつかの仮説が提示されていました。中井先生によると江馬氏館移転後は実用的な城というよりは、先祖伝来の地として維持され続けたのではないかということでした。ただこれは、まだまだ議論の余地があるみたいですね。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 江馬氏
築城年 永禄7年(1564)
主な城主 江馬時盛
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 国史跡(江馬氏城館)
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県飛騨市神岡町和佐保
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111