ほらじょう

洞城

岐阜県飛騨市


旧国名 : 飛騨

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主郭奥の大堀切
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しんちゃん

主郭背後の大堀切は必見。 (2024/10/13 訪問)

傘松城と土城以外の「江馬氏城館跡」の城館は以前に訪問しています。新しい写真を求めてやって来たんですね。
この二週間で岐阜の城を「鬼攻め」で30城攻略しましたが、13城はリピートです。たったの30城?‥と思われるかもしれませんが山城ばっかりの内容で30城ハシゴはけっこうハードなんですよ。なんとか登れる間は、山城は主郭を含めひとしきり見ておきたいですね。
まあ戸吹城のようなとんでもない城は論外ですが‥。あと土城も無理して主郭までいかなくていいと思います。削られてるし、私も本当に「危険」と判断した所には行きません。
洞城は標高こそ高くありませんが石神城と連携して烽火台の役目を持っていたようです(江馬氏下館のガイドさん談)。街道上に江馬氏下館、高原諏訪城、洞城、石神城と並んで、街道上の敵を監視し本城である諏訪城に危険を知らせる役目を負っていたようです。
構造はシンプルで尾根上に浅い堀切→二郭→堀切→主郭→背後の大堀切と続きます。一つ一つがしっかり残っており、特に主郭背後の大堀切は必見でしょう。また主郭南側には腰郭が付いているようです。小ぶりなんですが、けっこう「城」しているんですよ。

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六文銭

主郭と思われる。 (2024/09/11 訪問)

標識等何も無し。国史跡とは思えない。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:洞城 (2023/04/25 訪問)

高原諏訪城からの転戦です。登り口標柱前(36.311660、137.326669)に路駐しました。

大永年間(1521年〜1528年)に麻生野右衛門大夫直盛によって築かれたと云われています。 直盛は江馬氏14代江馬時経の二男で、洞城を築いて麻生野を名乗ったそうです。
1559年(永禄2年)武田信玄は山県昌景に命じて飛騨に侵攻すると、江馬時経とともに麻生野氏も降り、所領を安堵されました。
直盛没後に家督を継いだ麻生野慶盛は、1578年(天正6年)宗家の江馬輝盛と不和となって攻められ落城、麻生野氏は滅亡したそうです。

登り口から登りはじめましたが、歩けど歩けど辿り着けません。どこかで道をまちがえたのかな?
30分くらい山の中を彷徨いましたが、雨も強くなり断念しました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=石神城に向かいます。

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todo94

国史跡 (2019/11/17 訪問)

標柱はとても見つけやすいのですが、どこから登城して良いのかよくわかりませんでした。沢を渡って直登し尾根にとりつきましたが、沢を渡るときに石を踏み外して靴がずぶ濡れになってしまいました。主郭下に大きな堀切があり、主郭の一辺には土塁も認められました。飛騨の山の紅葉は黄色がきれいでとても見栄えが良いです。長野県だと茶色が勝ってしまっているので。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 麻生野直盛
築城年 大永年間(1521〜1528)
主な城主 麻生野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 国史跡(江馬氏城館)
再建造物 碑、説明板
住所 岐阜県飛騨市神岡町麻生野
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111