ふつかまちじょう

二日町城

岐阜県郡上市


旧国名 : 美濃

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人柱の桧の案内板
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しんちゃん

畝状竪堀と人柱の伝説 (2024/10/20 訪問)

林道は南側より東側がお勧めです。5ナンバーであれば、それほど苦も無く来れますが、3ナンバーだと少し難儀するかもしれません。
なんにせよ山に入ってからのカーブの箇所は落石があるかもしれないので注意が必要です。
城址のすぐ近くにまで車で来れるので、すごく助かります。標高503m、比高200mを車で来れるのはスケジュール的にすごく助かります。
ふっふっふ 勝ったな‥ニヤリ(何にやねん)。
「東海鬼攻め」最終日、幸先が良いですな。
二日町城は東氏によって築かれ、東益之は次男・安東遠江守氏世にこの城を守らせたとされています。現地の案内板には人柱を建てたという伝説が書かれていますが、こんな畝状竪堀ばかりの城に人柱とな? 伝説にせよ、いささか文化的ではないのでは?

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)9日目:二日町城 (2023/04/26 訪問)

宿泊先のホテルより、城碑と説明板前(35.894581、136.846564)に駐車しました。
本来はホテルを朝早く出発して、鷲見氏居館(城びと未登録 岐阜県郡上市)や鷲見城(城びと未登録 岐阜県郡上市)を攻城する予定でしたが、昨日、雨に濡れた影響で風邪をひいたようで、予定を変更して最初に二日町城を攻城しました。
熱があるようなので、本日の攻城は途中でリタイアするかもです。

康永年間(1342年〜1344年)に東益之によって、北の鷲見氏を警戒し築かれたと云われています。 東益之は篠脇城主で、二日町城を築いて次男の安藤氏世を置いて守らせました。
鷲見氏は平安時代末頃に大鷲退治の功により芥見荘鷲見郷を与えられました。
鎌倉時代には所領を安堵され、室町時代には美濃守護・土岐氏の片腕として活躍しました。境を接する南の東氏とはあまり仲がよくなかったそうです。
その北の脅威・鷲見氏は、1541年(天文10年)に東常慶が滅ぼし、本城を篠脇城から赤谷山(東殿山)城に移しました。
しかし、東氏は1559年(永禄2年)に一族の遠藤氏(盛数)によって滅ぼされました。滅亡と共に城主を失ったと思われ、そのまま廃城になったと考えられています。

二日町城は越前美濃国境から東へ伸びた尾根の一つに築かれており、現在は公園となって石碑が建っています。
雨が強く降り、霧もかかっている為、城碑と説明板を確認して撤退しました。
林道は舗装されていますが、狭いです。雨、霧を気にしながら車をゆっくり進めました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=篠脇城&東氏館庭園(城びと未登録 岐阜県郡上市)に向かいます。

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林道は工事中 (2022/03/28 訪問)

登城口まで林道があるのですが、工事中で通行止めになっていました。工事関係者の方に許可をいただき行ってきました。入口の石碑からは、すぐに城域となります。見どころは畝状竪堀です。浅くなっていますが楽しむことはできます。堀切もありました。

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じゅんじん

白鳥のお城 (2010/04/25 訪問)

人柱はやだな

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 東益之
築城年 康永年間(1342〜1344)
主な城主 東氏
遺構 曲輪、竪堀、横堀、堀切
再建造物 石碑、説明板
住所 岐阜県郡上市白鳥町二日町