ざおうどうじょう

蔵王堂城

新潟県長岡市

別名 : 蔵王城
旧国名 : 越後

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堀 直寄 (2023/05/05 訪問)

 金峯神社、安禅寺付近が城址です。土塁と堀の一部が残っています。
与板城の最寄りのバス停「上与板」からバスに乗り「チャレンジャー北長岡店」で下車しました。バス停から徒歩10分くらいです。
金峯神社にはこの時期、風鈴が設置され涼しい音色が迎えてくれます。

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チェブ

狛馬? (2020/09/20 訪問)

あの、春の籠城戦から銅像が気になって しかたありません。、、、わからない方々、すいません。
「蔵王堂城」で「ありましたよ~!」の声が出ました。
『堀 直寄さん、会いたかった!』これは心の声です。

上杉 謙信さんの叔父さん 長尾 為重さんの居城です。上杉家が転封すると、堀 秀治さんが入封し 弟の親良さんが「蔵王堂城」の城主になります 。
後に養子の堀 鶴千代君が9つで亡くなり坂戸に移りました。
この鶴千代君の後見人が、堀 直寄さんです。
「蔵王堂城」違う方が城主になりますが、戦の不手際で飛ばされてしまいました。
そこで、堀 直寄さんが返り咲きします。
ただ、信濃川の氾濫に悩み「長岡城」に引っ越します。「長岡城」を築城途中に「村上城」に移動命令されました。なんだか理不尽です。
あの素晴らしい「村上城」はいろいろな経験の証しなのでしょう。

金峯神社、蔵王公園に車を駐車させてもらいました。
すぐに水堀があり奥が高くなっているので、場所はすぐに分かります。
満足するまで堀 直寄像を眺め、毘沙門堂にお邪魔しました。
帰りに金峯神社を見学すると、狛犬ならぬ狛馬が、、、。
神馬というそうです。
こちらの神馬像は戦争で一時、強制供出しました。

金峯神社は流鏑馬神事をするそうです。
第二次籠城戦、馬像もありかな?

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カズサン

堀直寄公が大切にされ本丸堀土塁が残存 (2020/10/24 訪問)

 下越大葉沢城登城の前に関越道経由長岡ICを降りて前々から気に成ってて中々寄れなかった蔵王堂城を初登城、当日は雨で肌寒い傘を差し雨が止んだ合間に撮影。
 車で高速を乗り継ぎSAで仮眠車中泊早朝、蔵王公園の金峯神社の道を南に隔てた駐車場利用(5,6台可能)
 神社の西に本丸堀と土塁が残ってる、堀は南、東にL型、土塁は南側、北側に残ってるのが確認できる、堀も土塁も中々な大きさ本丸の中には安禅寺とお堂が立ってます、その前に堀直寄公像凛々しい。
 歴史的には慶長3年(1598年)上杉氏が会津に120万石で転封後堀秀治が30万石で北ノ庄より春日山に入封し本城を福島に築城、直寄は坂戸城2万石で蔵王堂城主親良を後見補佐、秀政、嫡男秀治の主家筋と秀政の姉妹を娶った直政、次男直寄家老筋の中お家騒動が起こり堀氏30万石は改易、直寄は秀吉の可愛がられ小姓に、家康にも実力を認められ関ヶ原前哨戦、大坂の陣の功績も有り飯山4万石、長岡8万石、堀氏時代、直寄時代に長岡市の基礎が出来治世安泰、村上10万石栄達、現在の村上市の礎と山頂に聳える石垣の城を造った。

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にのまる

「まもる会」の方に。 (2020/09/26 訪問)

 【家×お城】の武将の像クイズ(カルビンさん出題、朝田辰兵衛さん解答)でマニアックなお城と知り、何かあるに違いないと期待して北長岡から徒歩で向かいました。
 金峯神社の先、安禅寺に水堀と土塁、そして堀直竒像。像を仰ぎ見、解説を読んでいると「どこから来たの?」と声をかけられました。東京からとこたえると「あなたは持っている。10時に住職さんが来られるので話を聞くといい」と。
 声をかけてくださったのは「蔵王堂城の史跡をまもる会」の方で、このとき9時40分でした。住職さんは上越のお寺と兼務されておられ、たまたまこの日はこちらに来られるとのことで、その方もいらしていたのでした。  
 そして住職さんが来られるまでの間、蔵王堂城や堀直竒のこと、長岡の歴史などについてたくさん教えてくださいました。
 安禅寺が本丸で、金峯神社が二の丸。水堀は本来は二の丸の外側にあり、現在の橋の両側の土塁は繋がっていたと。長い土塁が見える気がしてきます。ここに虎口があったのでは本丸に簡単に突入されてしまいそうです。本丸は信濃川が天然の要塞となるので二の丸の防御を強化。道が今でも鉤形なのはその名残なのだそうです。駅から歩く道、城跡に向かうにつれ入り組んだ住宅街となっていて「次の角を右、その次を左。その次は曲がらないで丁字路にぶつかったら右…」とぶつぶつ呟きながら歩きましたが、気づかぬうちに攻め手体験をしていたとは、やはりここはマニアックなお城でした。
 蔵王堂城、長岡城だけでなく村上城や高田城にも関わった堀直竒は朝鮮出兵で築城を学んだのかもしれない。大坂の陣など大舞台で活躍するだけでなく、漁港の整備、米の流通システム考案など領民のこともとても大切にした直竒を地元はもっとアピールしてもいい。そんなお話も伺いました。土塁の上に祀ってある妙徳院のこと、堀部安兵衛のこと、100年ぶりの護摩焚きのこと、堀の水を抜いたらウシガエルがたくさんいたこと、その他にもたくさんのお話を聞かせてくださいました。そして住職さんに取り次いでくださり、本堂の歴史ある仏像などを見せていただき、お話を伺うことができました。親切な方に出会え、ホントに私、持ってたなぁと思います。感謝です。
 「まもる会」の方々は草刈りなど城跡の維持整備活動もされているのだそうです。おかげさまで藪に阻まれることなく見学することができました。
 帰りは信濃川を眺め、長岡駅まで歩いて戻りました。途中、川西屋さんで酒饅頭をテイクアウト。雨が上がったので長岡城二の丸跡にもう一度寄りました。
 良き城旅でございました!

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 中条氏
築城年 南北朝時代
主な改修者 長尾為重
主な城主 中条氏、上杉氏
廃城年 元和2年(1616)
遺構 曲輪、土塁、横堀
指定文化財 市史跡(蔵王堂城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 新潟県長岡市西蔵王3
問い合わせ先 長岡市観光企画課
問い合わせ先電話番号 0258-39-2344