わごうじょう

和合城

長野県埴科郡


旧国名 : 信濃

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村上連珠砦 (2024/11/07 訪問)

 虚空蔵山から西に延びる尾根の先端にあり、南、西、北は岩鼻の急崖で、尾根側は大堀切で守られています。4つの郭があり大堀切、石積み、土塁などを観ることができます。大堀切はよく残っていて両側は竪堀となっています。縄張り図を見ると2郭と3郭、3郭と4郭の間にも堀切とありましたが、埋まっていてよくわかりません。また各曲輪は雑草に占拠されていて石積みや土塁は隠れていました。土塁は肉眼ではわかるのですが、写真にすると雑草の存在しかわかりません。景観はすばらしく葛尾城、荒砥城、出浦城、狐落城、三水城などを観ることができます。この地方を治めていた村上氏が小県、佐久方面からの攻撃から居城である葛尾城を守るために虚空蔵山一帯に築かれた城塞群(村上連珠砦)の一つに数えられています。高津屋城や虚空蔵山城などが村上連珠砦には含まれていて和合城から縦走できるのですが、今回はパスしました。
 しなの鉄道西上田駅を利用して下塩尻コースを使って登城しました。途中、石積みが多く見られますが、畑跡ということです。急坂もありますが、比較的歩きやすかった。帰りは鼠宿コースを使って下山しましたが、こちらは道も細く歩きにくかった。途中、道を間違えたかと思いましたが、無事下山できました。帰りはテクノさかき駅を利用しました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:和合城 (2023/04/19 訪問)

戸石城から転戦。登山口標識付近(36.426886、138.195552)から墓地方向に向かうと墓地横に駐車スペースがあります。

築城年代は定かではないようですが、村上氏が葛尾城南東の支城として築いたものと考えられています。和合城は虚空蔵山一帯に築かれた村上氏連珠砦の一つです。
1553年(天文22年)村上義清が越後へ逃れると、武田氏の家臣多田昌澄が入ったと云われています。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺の変で横死すると、上杉氏の属城となり、徳川氏に属していた真田氏の抑えとして上杉氏の家臣島津忠直が守りました。

尾根の分岐点前で予定時間(60分)の半分が経過して、距離的に120分コースとわかったので途中で引き返しました。
登城路には石垣がたくさん見られます。
下山時、石(岩?)に足を取られ、左ひざを痛めてしまいました。
本日は葛尾城の攻城を予定していましたが、ちょっと無理そうです。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=中之条陣屋(城びと未登録 長野県坂城町)に向かいました。

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じんじゃー

村上連珠砦群先鋒の城 (2017/11/05 訪問)

太郎山に連なる村上連珠砦の最西にあるお城です。北西にあるベイシアの裏手に墓地があり、そこから登城できます。
尾根を右に進むと大堀切がありそこからが城域です。大まかに4段の切岸からなる連郭式の城で、主郭は土塁が全周していて木も刈り払われているので坂城から上田までの街道が一望できます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 村上氏?
築城年 不明
主な城主 多田氏(武田氏家臣)、島津忠直(上杉氏家臣)
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 町史跡
再建造物 碑、説明板
住所 長野県埴科郡坂城町南条