くろだじょう

黒田城

兵庫県西脇市


旧国名 : 播磨

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右:丘城の黒田城、左:天狗山
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二つの黒田城 丘城と山城 (2023/05/05 訪問)

城びと先人が、山城の存在に触れつつも、丘城の方だけの訪問をレポートされています。また、山城への登山道も全く未整備と認識されていましたが、その後、整備された模様です。
丘城には、西側の鳥居列からアプローチするのが最短ですが、南から東麓を北側に回り込む道を採りました(古城盛衰記さんアプローチを倣い)。丘に登り始める前に、山側の獣対策のフェンス沿いに説明板があるのが目に入り、近づいてみると、山城への誘いではありませんか(写真④)。比高200mは良いにしても、移動距離が1108m😞。この日、黒田城は、最後に持ってきて、楽にこなすつもりで既に16時半。だが、知ってしまったので、登ることにしました。50m毎に官兵衛君が道と残り距離を示してくれます。ただし、山の上の方になると風で飛ばされ気味です。
だいぶ登ったところの平削地に説明板があります。平削地は尾根に沿ってけっこう長いです。更に行くと物見台の標柱があります。物見台の先は少し下りますが、最高所の天狗山山頂はまだ先です。
一時間程で往復し、丘城の黒田城も見学して本日の予定を終了しました。付近の山城はどれも、比高もさることながら、移動距離が長く攻略に時間がかかりました。

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ぴーかる

黒田城 (2021/11/21 訪問)

【黒田城】
<駐車場他>城跡専用駐車場あり。
<交通手段>車

<感想>北はりま攻城の旅5城目。黒田官兵衛の生誕地は定説では姫路となっていますが、西脇市黒田庄黒田にある荘厳寺の「荘厳寺本黒田家略系図」には黒田氏および黒田官兵衛は黒田庄町黒田の出自となっているようで、官兵衛は黒田庄黒田の出身とする説があります。
 
 城跡自体は未調査や不明の部分が多く、稲荷神社のある小山の山頂部が3段程の曲輪になっています。北東側に高い山がありGoogleマップにも黒田城址となっていますが山全体に柵が回らされ中には入ることができませんんでした。内部も未調査らしいです。稲荷神社との間には横堀遺構が見られました。北西側に姥が懐という黒田家屋敷跡と黒田官兵衛生誕碑があります。


<満足度>◆◆◇

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勝野武士

官兵衛の里探訪、其の弐。 (2019/04/13 訪問)

続きです。
皆様、今暫くお付き合いを…。

さて、姥が懐→黒田城→多田構居と訪れた後、荘厳寺に来てみました。
なぜこのお寺に来たかというと、播州黒田氏の家系図『荘厳寺本黒田家略系図』が所蔵されていて、ありがたいことにその複製を拝観できるのです!

黒田氏の発祥は近江佐々木氏がルーツで官兵衛は姫路城で生まれた、というのが通説なのですが…。
この系譜によると、官兵衛は黒田重隆の次男として生を受け(通説では重隆は祖父)、治隆という兄がいて黒田氏の後継者として黒田城主となっていたのですが、敵襲によって黒田城は落城して治隆は戦死、官兵衛は落ち延びて小寺職隆の猶子となり(通説では職隆は実の父上)やがて姫路城を任されるに至った…ということが系図に記されております。

福岡藩の藩祖たる黒田官兵衛の父である黒田(小寺)職隆が小寺一族でありながら主家を裏切り秀吉に味方したあたりが何か都合が悪かったのでしょうか。
あ、一応職隆の弁護をしておきますと、彼は清廉潔白な性格で秀吉の信頼がとても厚かったそうですよ。

それはさておき、こういう系図を見るのは非常に興味深く面白みがありますね。
荘厳寺、是非黒田城とセットで訪れてみて下さいませ。
拝観料は200円、御朱印も書き置きですが300円にて戴けます。

そしてさらに、車で南へ10分ほどのところに兵主神社があります。
ここにある拝殿は秀吉の命によって官兵衛が戦勝祈願成就の為の奉納金を奉納し、それを使って建てられたものだそうです。
茅葺きの大屋根を持った豪壮かつ素朴な拝殿です。こちらも必見ですよ!

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勝野武士

官兵衛の里探訪、其の壱。 (2019/04/13 訪問)

先に謝っておきます。
スミマセン、2回に分けます…。

ということで、官兵衛の故郷にやって参りました。
その名も『黒田庄』。
電車ならJR加古川線本黒田駅下車が便利かと。黒田庄駅だと遠いのでお間違え無きよう(後でご紹介する兵主神社の最寄り駅ではありますが)。
マイカーならなお便利です。

で、最初に訪れたのは、もちろん黒田城。
天狗山から南西に続く尾根の先端にあたる小山に築かれた城…だと思ってました。
しかし実際はどうやら、天狗山の尾根づたいに曲輪が築かれていたようで、ちょうど中腹辺りに主郭があったのではと推定されているそうで。
但しあまり調査が進んでいないらしく登山道も全く未整備、私の服装があいにく軽装でもあるため今回はスルーして、頂上に現在お稲荷さんが祀られてるエリアのみの訪問としました。

車が3台ぐらい停められるスペースがあり、その近くに橋がかかっていますので、そこからスタート。
鳥居をくぐりながら登るルートもあるのですが、あえて麓から回り込むルートを個人的にオススメします。
このルート上には、黒田官兵衛生誕地にして黒田氏の日常生活の場だったという『姥が懐』というところがあり、そこから登ると、尾根を分断する堀切を見ることができるのです。

山頂には先述の通りお稲荷さんが祀られていて、そこが主郭といわれています。
土塁も堀切も見あたりません。平坦地のみが残ります。
もしかしたらこのエリア自体が出丸である可能性もあるかなと。詰めの城にしては狭いし標高低過ぎるような気が…。
しかしここからは黒田庄が見渡せます。眺めは以外と良いです(←失礼か)。

ちなみにここから西に500メートル程先に『多田構居』の跡があります。
市営住宅建設に伴った発掘調査で建物跡や遺物が出てきたそうです。ここが黒田氏が代々政務を執った所だといいます。
今は説明板があるだけで何にも残ってません。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 黒田氏
遺構 曲輪、土塁、竪堀
再建造物
住所 兵庫県西脇市黒田庄町黒田