くろだじょう

黒田城

兵庫県西脇市

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黒田城跡主郭。お稲荷さんが祀られています
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勝野武士

官兵衛の里探訪、其の弐。 (2019/04/13 訪問)

続きです。
皆様、今暫くお付き合いを…。

さて、姥が懐→黒田城→多田構居と訪れた後、荘厳寺に来てみました。
なぜこのお寺に来たかというと、播州黒田氏の家系図『荘厳寺本黒田家略系図』が所蔵されていて、ありがたいことにその複製を拝観できるのです!

黒田氏の発祥は近江佐々木氏がルーツで官兵衛は姫路城で生まれた、というのが通説なのですが…。
この系譜によると、官兵衛は黒田重隆の次男として生を受け(通説では重隆は祖父)、治隆という兄がいて黒田氏の後継者として黒田城主となっていたのですが、敵襲によって黒田城は落城して治隆は戦死、官兵衛は落ち延びて小寺職隆の猶子となり(通説では職隆は実の父上)やがて姫路城を任されるに至った…ということが系図に記されております。

福岡藩の藩祖たる黒田官兵衛の父である黒田(小寺)職隆が小寺一族でありながら主家を裏切り秀吉に味方したあたりが何か都合が悪かったのでしょうか。
あ、一応職隆の弁護をしておきますと、彼は清廉潔白な性格で秀吉の信頼がとても厚かったそうですよ。

それはさておき、こういう系図を見るのは非常に興味深く面白みがありますね。
荘厳寺、是非黒田城とセットで訪れてみて下さいませ。
拝観料は200円、御朱印も書き置きですが300円にて戴けます。

そしてさらに、車で南へ10分ほどのところに兵主神社があります。
ここにある拝殿は秀吉の命によって官兵衛が戦勝祈願成就の為の奉納金を奉納し、それを使って建てられたものだそうです。
茅葺きの大屋根を持った豪壮かつ素朴な拝殿です。こちらも必見ですよ!

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勝野武士

官兵衛の里探訪、其の壱。 (2019/04/13 訪問)

先に謝っておきます。
スミマセン、2回に分けます…。

ということで、官兵衛の故郷にやって参りました。
その名も『黒田庄』。
電車ならJR加古川線本黒田駅下車が便利かと。黒田庄駅だと遠いのでお間違え無きよう(後でご紹介する兵主神社の最寄り駅ではありますが)。
マイカーならなお便利です。

で、最初に訪れたのは、もちろん黒田城。
天狗山から南西に続く尾根の先端にあたる小山に築かれた城…だと思ってました。
しかし実際はどうやら、天狗山の尾根づたいに曲輪が築かれていたようで、ちょうど中腹辺りに主郭があったのではと推定されているそうで。
但しあまり調査が進んでいないらしく登山道も全く未整備、私の服装があいにく軽装でもあるため今回はスルーして、頂上に現在お稲荷さんが祀られてるエリアのみの訪問としました。

車が3台ぐらい停められるスペースがあり、その近くに橋がかかっていますので、そこからスタート。
鳥居をくぐりながら登るルートもあるのですが、あえて麓から回り込むルートを個人的にオススメします。
このルート上には、黒田官兵衛生誕地にして黒田氏の日常生活の場だったという『姥が懐』というところがあり、そこから登ると、尾根を分断する堀切を見ることができるのです。

山頂には先述の通りお稲荷さんが祀られていて、そこが主郭といわれています。
土塁も堀切も見あたりません。平坦地のみが残ります。
もしかしたらこのエリア自体が出丸である可能性もあるかなと。詰めの城にしては狭いし標高低過ぎるような気が…。
しかしここからは黒田庄が見渡せます。眺めは以外と良いです(←失礼か)。

ちなみにここから西に500メートル程先に『多田構居』の跡があります。
市営住宅建設に伴った発掘調査で建物跡や遺物が出てきたそうです。ここが黒田氏が代々政務を執った所だといいます。
今は説明板があるだけで何にも残ってません。

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勝野武士

黒田官兵衛生誕の地?

三年くらい前に訪城しました。
スミマセン…うろ覚えで書きます。
規模は決して大きくなく、標高120mくらい?の小山に竪堀らしき跡といくつかの削平地が残る。麓には生活の場(館跡?)があって、そこで官兵衛が生まれたのだとか。
地元の伝承によると、落城の際に脱出した官兵衛の母が幼い官兵衛を家臣?に託して、自らは加古川を越えられず溺死してしまったという。悲しすぎる…。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 黒田氏
遺構 曲輪、土塁、竪堀
再建造物
住所 兵庫県西脇市黒田庄町黒田