この城に居住した落合一族は小牧長久手の戦いの際に森・池田らの連合軍の道案内役に引っ張り出され、長久手で一族ほぼ壊滅したとか。残った一族は帰農したそうだがその方が幸せだと心底思う。石碑は竹藪の中にある。
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2025/04/19 11:47
2025/04/08 20:16
尾張国西部北部未踏の城探訪14/17上末城 (2025/03/30 訪問)
愛知県尾張国西部と北部未踏の城17城の内14城目上末城へ井上城から東に約7.7km程に在り、城郭放浪記さん上末城跡スポットの陶昌院の近くに在るファミリーマート小牧上末店駐車場を目指して走行。
駐車場:ファミリーマート小牧上末店駐車場。トイレ借用し買物して駐させて頂く。
参考資料:城郭放浪記さん、グーグルマップに依る。
ファミリーマート駐車場から東へ登り小道を進行して落合医院を南に折れて一本南の道を西に折れて50m程で城郭放浪記さん上末城ポイントの当たる陶昌院に着く。陶昌院の本堂と鐘堂の間に数台車は駐められそう。
陶昌院の本堂の西に「俗姓落合氏将監藤原安親碑」が有り落合氏の墓が残って居る、南は崖、西も落ち込んでいる、北の国道155号線側で北に落ち込み、グーグルマップに上末城跡史跡マークが有り土塁、堀が残って居る。この辺りが上末城域なのか?
陶昌院、落合氏の墓を参拝して西の山門から参道を降りて北の国道155号線南側に遺構が残る土塁、堀、上末城跡碑、案内板を見学確認した、丁度道側約1m程竹林が伐採されていて石碑、案内板は良く見えた、堀と土塁は目では確認できたが写真では竹が重なり良くは見えない。大事にしたい土塁と空堀です保存管理を宜しくお願いしたい。
案内板によると
上末城跡は森下城ともいう。足利氏の末裔、落合将監勝正が築いたものである。勝正は文明年間(1469年~87年)の人物で、子の安親は織田氏につかえた。天正12年(1584年)の小牧・長久手の合戦では、池田勝入らの三河侵入の道案内をしたという。(小牧市教育委員会)
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2024/10/16 05:38
公共交通のみで(東海&関西遠征)3日目:上末城 (2024/09/24 訪問)
名鉄バスの高根バス停から徒歩20分くらいで、石碑案内板前(35.298050、136.961380)に着きました。
足利将軍家の末裔と伝わる落合将監勝正によって、文明年間(1469年〜1487年)頃に築かれたと云われています。
勝正の子、落合安親は織田氏に仕え、1584年(天正12年)の小牧長久手合戦で秀吉方となり、池田恒興が率いた三河中入り隊の道案内をしていましたが、徳川家康に敗れ、廃城となりました。
現在城址には土塁や空堀が一部残っているそうですが、外から見てただの竹藪なので、中には入らず案内板と石碑、ちょこっと見える土塁を確認しました。
また城の南西にある陶昌院に安親の墓があるようですが、時間の都合で行ってません。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=大草城を目指す為、上末バス停から名鉄バスで大草北バス停に向かいました。
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2024/07/18 19:20
上末城 (2024/05/25 訪問)
【上末城】
<駐車場他>駐車場はなし。ファミリーマート小牧上末店に買い物して駐車しました。
<交通手段>車
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾4城目。現地説明板によると、上末城の築城は文明年間(1469~1487年)に落合勝正によって築かれました。子の安親は織田氏に仕えました。小牧長久手の合戦では池田恒興の三河中入り作戦の道案内をしたそうです。
現地には竹藪の中に土塁が一部残されていて、国道155号線に向けて藪の中に城跡碑と説明板があります。西に面しては少し高台になっていて東に向かって緩やかに登っていっています。主郭跡と思われる陶昌院には行きませんでしたが、落合氏の墓碑があるようです。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 平城 |
---|---|
築城主 | 落合勝正 |
築城年 | 文明年間(1469〜1487) |
主な城主 | 落合氏 |
廃城年 | 16世紀後期 |
遺構 | 土塁、横堀(空堀) |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 愛知県小牧市上末 |