足利将軍家の末裔とされる落合将監勝正によって1469~1487年頃に築城されたと云われます。
勝正の子、安親は織田氏に仕え、1584年 小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉軍に付き、池田恒興らの三河中入り隊の道案内をしましたが徳川家康軍に敗れ、上末城はその後廃城となったとされます。
北側は国道155号線の上末交差点付近の竹藪から、その南側台地の陶昌院まで一帯が城跡とされます。
国道から城址碑と説明板が見え、そこから竹藪に入ると、竹だらけですが空堀が良く残されています。
その上に土塁がありますが、宅地で立入禁止の札が掛けられており上がることはできません。
竹藪の南側の宅地、陶昌院一帯を廻ると、陶昌院の北西側・西側・南側は切岸のような所もあって周囲より高台であることが分かり、南西側に藪の出郭のような所がありました。
陶昌院の境内には、落合氏将監藤原安親碑があり、落合氏、落合安親の墓が残されていました。
明確な遺構としては、北側の空堀・土塁のみでしたが、尾張の平城では街中に遺構が残された貴重な城だと思います。
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