といしじょう

戸石城

長野県上田市

別名 : 砥石城、伊勢崎城、(米山城)
旧国名 : 信濃

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牛若丸

過去一きつい登城でした (2023/11/21 訪問)

登城口には「なめんなよ」の石碑が(笑)
正直なめてました。過去一きつい登城で信玄が落とせなかったのもうなずけます。

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T-Shionoya

訪れてわかった砥石城 (2023/04/22 訪問)

4月後半に訪れた長野県上田市の砥石城(戸石城)。

上田盆地の北側、東太郎山東部の神川と矢出沢川に挟まれた南に伸びる尾根。この3つのピークと1つの鞍部に築かれた4要害から成る山城。
元々は尾根西麓の金剛寺集落が上田盆地の要の1つであった模様。

築城時期や築城者は諸説あるようだが、村上氏方の支城であった1550年に武田信玄が攻めるも武田軍は敗退。翌年、武田家臣の真田幸隆が調略により攻略し、以後は真田氏が重要拠点として管理しました。

現在はハイキングコースとして整備された城跡。
訪問時は櫓門のある登山口からスタートし、まずは小さな米山城へ。続いて細い砥石のような岩尾根を進み砥石城。更に進むと尾根幅が広がり、階段状に5段ほど整地された本城が出現。ここで初めて砥石城に広い平場があることを知りました。米山城が出城、砥石城が物見台、本城がいわゆる城で、桝形城が詰城のような構成。

下山は本城から迂回ルートで大手口前を通り、トータル滞在時間は約3時間。
実際に訪れてわかった砥石城が、私の城郭巡りの155城目でした。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:戸石城 (2023/04/19 訪問)

洗馬城から転戦。砥石城駐車場(36.419877、138.291654)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、天文年間(1532年〜1555年)には葛尾城の村上氏の支城でした。
1550年(天文19年)甲斐の武田信玄が北信の村上氏を攻めるため、村上氏の属城であった砥石城を攻めます。
籠城兵はわずか数百であったが、志賀城の残党が中心となっていため士気が高かったと云われ、数千とも云われる攻め手を打ち負かし、武田の武将横田高松も討死しました。
やがて葛尾城から村上義清の軍勢が後詰めにあらわれると、武田軍は挟み撃ちとなり敗走した。これを「砥石崩れ」と呼んでいます。
武田軍を撃退した砥石城であったが、翌1551年(天文20年)真田幸隆の調略によって落ち、武田勢によって改修されました。
その後、村上氏は没落し、武田氏も滅亡、やがて真田氏の城となりますが、上田城が築かれ役目を終えました。

砥石城は米山城、砥石城、本城、枡形城からなる山城です。
整備された登山道があり登山口はいくつかあるようですが、道案内があり、わかりやすい南の登山口から攻城しました。
そこから北へ向かうと本城、その間に大手口があり、さらに北に枡形城、南西峰に米山城があるようです。
残念ながら、時間の都合で米山城、本城、枡形城は攻城できず下城です。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=和合城に向かいました。

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小城小次郎

何しろ話題がてんこ盛り (2021/11/03 訪問)

上田原の戦い、戸石崩れ、戸石城乗っ取り、第一次・第二次上田合戦の舞台となった。エピソードが一つもないお城が圧倒的に多い中でこれだけ話題てんこ盛りなお城も珍しいのではなかろうか。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 真田氏?
築城年 不明
主な城主 村上氏、真田氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、堀切
指定文化財 県史跡(戸石城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県上田市上田城山2505-ホ他
問い合わせ先 上田市文化振興課
問い合わせ先電話番号 0268-23-6361