見渡す限りの山の中、少し汗を流して訪問
駐車場から15分ほどの登山です
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2023/10/26 06:55
2023/10/26 06:45
2023/10/25 23:36
エジプトの ピラミッドみたい 六段壁(字余り) (2023/10/21 訪問)
岩村城は織田信長の伯母、おつやの方が城主を務めたことで「女城主」の城として
有名で、日本三大山城の一つに数えられています。城下町から登ってもよし、出丸跡
の駐車場から直接本丸に取りついても良し‥なのですが結局、山頂から石垣や石畳に
つられて下の方までいってから、また石畳をえっちら登って来ることになりました。
この城の売りは、なんといっても本丸北西に展開する六段壁で、まるでペルーの
古代の遺跡やエジプトのアレのようです。ピラミッドってもっと真っ直ぐだろと
ツッコミが入りそうですが、あるじゃないですか階段ピラミッドってやつが‥。
(だいぶ苦しい)
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2023/10/25 23:05
規模は中程度だが枡形虎口や喰い違い虎口などの遺構が良く残る。 (2023/10/22 訪問)
今城は天文年間(1532~1555)に小池家継が築城したと現地案内板に書かれています。
高低差はそれほどありませんが遺構が非常に良く残っています。車で来られる方は
今公民館に駐車してほしいと注意書きがありますので、利用させていただくと良いと
思います。北西側に入口があり、そこから枡形虎口を経て直接本丸に入れますが、
本来は北側を迂回して、二の丸、本丸へと入っていくようなので、一度二の丸に入って
から本丸に入ります。本丸の東から南にかけて土塁が良く残っています。西側は切岸に
なっていて三の丸が眼下に広がります。南は食い違い虎口になっていて西に道が折れ
曲っていき三の丸にたどり着きます。成り行き上、ロープの外に出てしまったので
そのまま城を後にしました。
今公民館 岐阜県可児市今2008付近 35°22'56.8"N 137°02'59.2"E
35.382444, 137.049778
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2023/10/25 21:20
変態じゃないけど
とりあえず私も持ってました。
ラブホの近くの標柱、堀も残っていました。
ごめんなさい、負けず嫌いが出ちゃいました。
「赤い城さんもアップしていませんでした」は褒め言葉、ちょっと嬉しかったのとアップしておけばよかったかな、と。
(やっぱり変態か)
また関東の城、攻めたいです。
追伸、見返したら同じ写真アップしてました。
近くに牛舎か豚舎があったような。香りが・・・・。
本丸には堀も廻っていて見ごたえのある城ですね。
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2023/10/25 21:18
規模は小さいが遺構はしっかり残っている。 (2023/10/22 訪問)
根本城は甲州の武田氏の一族の若尾氏によって標高285mの城山に築かれています。
登城道は良く整備されていて、迷わずにすむよう親切に案内板が多数設置されて
います。尾根上を進み北側から城域に入ります。本曲輪の北に堀切を挟んで搦手曲輪
、南西にも曲輪を配し東西に竪堀が配されています。本曲輪の北側には大きな土塁が
残り、規模は小さいですが遺構はしっかり残っています。今回は登城道の前にある
駐車場を使わせていただきました。
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2023/10/25 20:53
2023/10/25 20:43
レア画像御礼~越中より愛をこめて~ (2023/10/09 訪問)
にのまるさん,レア画像ありがとうございます。「翔んで埼玉」県の青鳥城の城碑ですネ。あらためて検索してみたら,この城址碑画像をアップしている方は(元祖変態プリンス?の)カルビンさんだけなんですねぇ…📷
設置場所の確認が難しいのかなぁ…。赤い城さんもアップしていませんでした…。
ここを攻城する機会があったら,しっかり確認したいと思います。埼玉ということで,顔に泥を塗って行ったほうがいいかな…<笑>。
私からは「レア画像返し」ということで,越中ツアーズで万葉線(高岡駅~中新湊駅間)利用時,復路で「ドラえもんトラム」の運行とタイミングが合いましたのでコレを。放生津城よりも感動を上回りました…<笑>。
放生津城の城址碑はただの「城址」という表記となっています。『城址はここだけじゃねェぞ~!』と叫びたくなります。
かるたの件ですが…
「年内を目標に…」と申されてました。じゃあ,横浜までに間に合わせなきゃダメだろうと思い,「じゃあ,横浜で」と返した次第です。ビミョーかもしれません。
ま,にのまるさんや私などは,このキャンペーンで入賞を果たし,副賞として手元に届くことを期待しましょう!
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2023/10/25 20:39
周囲を囲む深い堀切。 (2023/10/22 訪問)
顔戸城は応仁の乱(1467~77)の頃、この地で活躍していた斎藤妙椿によって築かれた
と、現地の石板に書かれています。東西およそ150m、南北およそ167mの規模と記載
があり、周囲を深い空堀が囲い、主要部はさらに高地にあり周囲に土塁が残っています。
なかなか登り口が見えませんでしたが、なんとか登れそうなところを登ってみると
郭の中は藪になっていて、その向こう側は宅地のようなので、土塁だけ見てすぐに
退散しました。
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2023/10/25 20:23
現状は城址公園。 (2023/10/22 訪問)
高山城は承久の乱の頃、土岐氏の一族高山伊賀守秀頼によって築かれたと現地案内板に
書かれています。戦国期には平井頼母が城主となり、織田信長と武田信玄、勝頼との
領土争いで激しい戦いが繰り広げられたそうです。今では三の丸が駐車場となり、
北側の展望台がある広場が本丸のようです。二の丸は広場の一部になったのか、詳細が
不明ですが本丸の西側にあったようです。公園化によって形状は変化したものの
かつての山城としての雰囲気は残っているように思われます。
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2023/10/25 13:55
2023/10/25 12:29
やっと山頂の総石垣群探訪出来ました (2023/10/02 訪問)
12年前の7月未踏、今回と同じ中学合同同級会で前回は還暦3年後、今回は卒業60年の集まり前日に、市場城を終えて車で林道を通り馬場跡駐車場へ、山頂部の郭総石垣群を12年目に探訪する事が出来ました。
駐車場:山頂部馬場跡駐車場、数台は可能、仮設トイレ、熊注意看板あり
参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップ、直近に観光案内所で若桜鬼ヶ城パンフレット入手且つ係りの人に十二分に説明を受けました。
先ずは若桜駅に車を駐めて、観光案内所へパンフレット(パンフレットに車での林道地図も載っている)を入手し十二分に説明を受けて車で進行、若桜駅から工程は約4、5km程のアスファルト舗装道、要所2ヶ所に案内板あり、アスファルト舗装の終点にも駐車場有、更に未舗装の道を馬場跡駐車場へ。
馬場跡駐車場には仮設トイレ、案内解説板、熊注意の看板、鬼ヶ城150mの指示板あり、熊除け鈴はつけてますが少しビビりますが丁度車で県外の方が登城されて人が増えて一安心、その後役場の方も来られてさらに安心。
掘割、土塁を越えて石垣郭の北方向へ害獣除け電気フェンスを通て、ホウヅキ段西側沿い石垣横を通り、搦手枡形虎口石垣、裏手は武者隠し曲輪、見上げるホウヅキ段、本丸、天守台は三段石垣の様子、本丸西角の破城痕は物悲しいが大きな残存石が見事、搦手から本丸西の石垣沿いに在る帯曲輪を通り二の丸へ、本丸廊下橋虎口と城名石碑を見上げ、二の丸、三の丸へ、三の丸には大手枡形虎口石垣がよく残ってる、三の丸から城下の俯瞰も素晴らしい。
三の丸の大手虎口と西櫓台間を通て二の丸へ、本丸廊下橋虎口を登り本丸枡形虎口石垣、破城の痕はあるが良く残ってる、本丸は広く、南隅に天守台が有る、天守台虎口を通り天守台へ、天守台からは戸倉峠方向のR29播磨方向と氷ノ山越えのR482但馬方向の街道が良く見通せる、要所に鬼ヶ城築城の意味が分かる。
観光案内所の方に六角石垣の事をよくよく聞かされたので別尾根筋へ降りて見る事に、作業されていた役場の方に聞くと5分くらい?と聞き、脚力は弱ってきてましたが六角石垣、なかなか遠い下り坂、帰りこれを登るのかと思うと不安になる、やっと六角石垣に着き、案内板と六角石垣の天端を撮影、更に降りる気に成れず撤退、二の丸へ登るその間一回滑って転ぶことも、六角石垣は皆さんの写真で確認しました。
約2時間城内を堪能しました、作業されてる役場の方がいらっしゃり安心も有り楽しい時間でした。
若桜鬼ヶ城の石垣は関ケ原後の慶長5年(1601年)秀吉配下であった山崎家盛が関ケ原の功で城主となり、大きく改修して総石垣の織豊系城郭に変身させた、一国一城令と元和3年(1617年)池田光政の因幡・伯耆2か国の鳥取藩と成り、山崎家は備中成羽へ転封、城は破却廃城へ。
山崎家は家盛、嫡男家治と続き、築城の名手として若桜鬼ヶ城、成羽城、丸亀城の見事な石垣を世に披露する事に成ります。今残ってる成羽城(陣屋)、丸亀城の石垣は天下一品です。
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2023/10/25 01:09
厩橋城と前橋城と再築前橋城と群馬県庁 (2023/09/02 訪問)
夏の18きっぷの5回目です。
2018年春に訪れた際に県警本部まわりの土塁で満足してしまっていたので再訪しました。
まずは群馬県庁舎32階の展望フロアへ。
前回訪問時に見た夕焼けが忘れられず、真っ昼間だったけれど上がってみました。
が、何やら大きなイベントの真っ最中。眺望はおあずけのようでしたので、26階のふれあいテラスへ下りてみました。するとそこには群馬県の大きなジオラマが!陶器製で上を歩いても平気。群馬県にはなんだかんだで10回近く足を踏み入れているのではないかと思うのですが、訪れた場所の記憶はあっても県全体の地理や地形はまるでわかっていなかったので、これはとても勉強になりました。
地上に下りて、周囲の土塁をまわります。
一帯は本丸御殿跡。幕末から明治維新後までのわずかな期間存在した「再築前橋城」の記憶を今に伝える残存土塁は今もがっちりと県の本丸を守っています。樹木のせいか孕みのようなところがあったのが気にかかります。
続いて、北側の道路を渡ったところにある前橋公園へ行きました。楫取素彦らの銅像に「花燃ゆ」を思い出します。
この公園内にとても大きな土塁が残されていました。鮮やかな緑に覆われた土塁は桜並木の遊歩道を備えており、登って歩くことができます。「再築前橋城復元図」と比べてみると、土塁の端あたりに砲台が設置され、右へカーブして天守台跡の方へ続いていたようです。さちの池の向こう側から眺めるとより土塁らしさを感じられました。
一旦公園から離れ、前橋護国神社、東照宮、臨江閣をまわってから天守台跡である虎姫観音堂へ行ってみました。県庁舎の真裏(西側)で、利根川をはさんだ対岸は石倉城跡になります。
天守があったのは酒井氏の時代で、現在の県庁舎は当時は三の丸だったようです。「前橋城絵図」に描かれているのは三層の天守。現地にも「前橋城天守閣推定復原図」が掲示されていました。栄枯盛衰、利根川と共にあったこの地の歴史を感じられる場所でした。
続いて向かったのは車橋門です。再築後の遺構でさえ少ない中で、酒井氏時代の城の姿を伝える大変貴重な門跡だそうです。
区画整理事業により片方の台石が移動され間隔が狭くなっているそうですが、表通りから裏の通りまで抜けられるように整備されているので門の雰囲気を味わうことができました。
最後に、駅へ戻りつつ大手門跡へ行ってみました。
2年前、工事現場で酒井氏時代の大手門の石垣が発見されたと話題になったところです。埋め戻されていることは承知のうえで本町1丁目交差点へ。“大手門”のつく新しめのビルがあったのでこのあたりかなと。車橋門との位置関係も把握できたので、何もなくてもその場所を押さえておくのは大事だなと思いました。
かつて家康に“関東の華”と言わしめた「厩橋城(4代藩主酒井忠清の時に前橋城と改称)」と、住民らの100年の悲願が咲かせた“最後の華”「再築前橋城」。
重なり合う二つの華を背景に成長してきた町なかを2時間ほど歩いてみて、少ない遺構を繋ぎ合わせて自分の頭の中で城をよみがえらせる楽しさを味わいました。
※現地解説板のほか、
「関東の華前橋城・ときめきの県庁前史」(群馬県埋蔵文化財調査事業団)
「江戸東京博物館地域展-前橋遺跡―」チラシ
「前橋まちなか&新前橋駅周辺マップ」
を参考にしました。
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2023/10/24 23:20
のどぐろ
朝田さんへ
悪魔に心を売った件ですが、
そのままストレートに受け止めるはずなどございません😁
何かがきっとある……とは思いましたが、
元ネタわからず撃沈⤵︎⤵︎⤵︎
気分を害すなどもありえません!
うまい返しができなかったのが逆に申しわけないです(;'∀')
聖飢魔Ⅱ、リアル世代なのですが^^;(閣下の仮の年齢より下です。念のため。)
なので、るの門は素直なエンジェル👼の心で見てきました(ことにしました)。
「お城EXPO in 姫路」は行けませんでしたが、かるた進捗情報ありがとうございます。イオさんも!
お二人ともさすがです!抜かりない!!
では12月の横浜でお披露目でしょうか?????
のどぐろ、おいしそうです。
つみれの唐揚げも葱いっぱいのアサリ汁も。。。
お返しに城グルメの写真があればいいのですがなかったので、↓の写真をどうぞ。
この錆びきって埋もれた1本の城碑にどれほど感動したか!
こんな写真、変態さん♬にしか送れません。
(ある意味、おいしい城グルメです。お腹いっぱいになりました😋)
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2023/10/24 22:31
2023/10/24 22:06
落合五郎城 岐阜県中津川市 (2023/10/21 訪問)
落合五郎城は木曽義仲の家臣・落合五郎兼行の居館跡で、中津川バイパスの北の丘に
ある、おがらん四社のある場所に築かれていました。街道を望める立地はすばらしく
遺構は残ってはいないものの案内板や石碑が設置されています。幼い義仲を養育した
中原兼遠には樋口兼光、今井兼平、落合五郎兼行と義仲の愛妾(妻)となる巴の
三男一女があり、まさに義仲ファミリーともいえる面々です。ドラマとかでやって
欲しいですね。
お伽藍(おがらん)神社 岐阜県中津川市落合241−12
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2023/10/24 21:39
規模はそれほど大きくないがアクセスが良好で遺構も満足できる。 (2023/10/21 訪問)
阿木城は阿木川の北側にある丘陵地に築かれており、道沿いに登城道が二つあり南側が
Aゲート、北側がB(ゲート?)で南のAゲートからアクセスするのが良いと思います。
害獣除けの策をカチャっとあけて入るのですが、これがなかなか開けやすい。ゲートは
全部このタイプになっていると助かりますね。城の規模はそれほど大きくないですが、
楕円形の主郭の東に二の郭、西に帯郭が二段に配され土塁も残ります。主郭の虎口は
南北に付いていて、二の丸側の切岸はなかなか見ごたえがあります。東西の尾根を大き目
の堀切で断ち切ってあり、東の堀切を確認しながらB地点から車道に出ますがこちらには
柵がありません。Aゲートの柵はなんだったんだろうと考えつつも、遺構に満足して
Aゲート付近に停めた車を目指します。
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2023/10/24 21:36
若松城 (2023/09/09 訪問)
【若松城】
<駐車場他>駐車場はなし。川代5号線<33.901973, 130.820251>に停車しました。
<交通手段>車
<感想>1泊2日北九州・豊前中津の旅6城目。若松城は黒田六端城の1つで洞海湾の入口にあった中ノ島に築かれた城でした。城主に黒田二十四騎の1人である三宅家義を置きます。三宅家義は知行3600石、代官料1万石で船手頭を務めました。若松城に多くの軍船を備えていたそうです。若松城は一国一城令により廃城となります。島は1940年まで残っていましたが現在は削平されて海に没しています。若戸大橋の中央真下辺りにあったそうです。
上記ポイントに停車してダッシュで撮影しました。にのまるさんの投稿で「かばしま石」の事を知り、戸畑図書館前の記念石を訪れました。島ごと無くなってしまった城跡に島の石だけでも見られて少しだけ花を添えることが出来ました。
<満足度>◆◇◇
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2023/10/24 21:22
国人領主因幡毛利氏の城 (2023/10/02 訪問)
鳥取市南の八頭町に未踏の城が有り、今回の帰省時に訪ねました、認識なかった市場城で別名私部城(キサイチジョウ)とも言われてる。
駐車場:県道282号線沿い中私都郵便局の川を挟んで西の砂利舗装駐車場を利用(35°25'04"N 134°18'42"E)、他に市場公民館彩祭館の駐車場とグラウンドとトイレ有、集落市場城入口の元駐在所跡2台可。
参考資料:古城盛衰記さん城郭放浪記さん余湖図コレクションさん城びと、因幡の山城(鳥取教育委員会文化財課)グーグルマップに依ります。
利用した駐車場から県道282号線の1本南の集落の道を東に約100m超で入口が有り、市場城、かえる岩の案内指示板がある、南に集落の道を進み、農作業の女性の方に情報を聞くが「登るの?」と訝る様な返事、道は良く無い様な返事、城びとあさんの投稿、古城盛衰記さん城郭放浪記さん写真にかえる岩が有りそこまで登れればと考えていたのですが、昨夜の雨で濡れて居り、落ち葉が深く積もっており、先の道も濡れて滑りそうな状態でもあり、ここで登城を断念しました。皆さんの写真で良しとしました。
歴史は入口の詳しい解説板にありますが、築城時期は不明で鎌倉期室町期には国人の因幡毛利氏(安芸毛利氏と同族)の拠点と考えられます。丘陵頂部から放射状に延びる尾根上には曲輪群が設けられています。(因幡の山城、鳥取市教育委員会文化財課編H28/3/30による)
因幡守護山名氏とも戦い、秀吉鳥取城攻防戦戦では安芸毛利氏に加勢し、鳥取城落城と共に落城の様子。
あまり整備されていない山城は私の体力、脚力では無理が有るようです。
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2023/10/24 21:08
階段は急だがサクッと登れる。 (2023/10/21 訪問)
川口城の登り口は麓にある天神社の右手にあります。そこから階段を上っていくと
ほどなく主郭下に展開する帯郭にたどり着きます。帯郭には竪堀(堀切)が二本ほど
かかっています。そこからすぐ主郭にたどり着きます。やや左に傾いた南北に長い
形状をしていて、歩いてみたところ南北27m、東西11mくらい。案内板には南北
約30m、東西約10mとありますから歩数計側もおおよそ合っていると思います。
主郭南には東屋があって西南側には矢作川が望めます。武田勝頼の軍勢の来襲を
受けた時には次席家老澤田次郎大夫貞次の子、新左衛門が討死したと案内板に
書かれています。城主の代わりに討死したということになりますが、その後の川口城
のことは不明です。
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