月山富田城・新宮党館跡からイエローバスで米子城入口へ。(48分・200円)
バスを降りると石垣の聳える城山がどんっ!
雑誌やWEB上で見る写真からはこれほど町なかにあると想像できていなかったので、けっこう衝撃的でした。
登城は枡形登城口から。
スタート地点に枡形が残存していると気分も盛り上がります。
鏡石に矢穴にと、石垣チェックから始められるのも楽しい。
表中御門跡石段を上がり、枡形を見下ろして「どどどどーっと攻めてくる敵を閉じ込め上からバンバン撃つ様子を想像」という城めぐり人の習性を発動。
一網打尽に撃退したところで先へ進みます。
(工事中のため湊山公園方面へは抜けられませんが、ここから本丸方面と内膳丸へは登れます。)
二の丸にある長屋門は明治初期まで11代続いた城代荒尾氏の家臣小原家の門で、米子市に寄贈され、この場所に移築されたのだそうです。(現地解説板より。)移築前の写真も展示してありました。
白漆喰に下見板張りの立派な門です。山陰歴史館として第二の人生を過ごしたあと、現在は登城者を静かに見守っている……かのような佇まいなのですが、ぐるっと周囲をひとまわりするとまるで一軒の家のよう。格の大きさを感じます。
米子市内に現存する唯一の武家建築だそうです。江戸時代のお武家さんの暮らしを肌で感じられる貴重な建造物がこれからも大切に保存されますように。
御殿御用井戸跡脇がその先への登城路でした。草に覆われた井戸跡は落とし穴みたいなので近づきすぎに要注意です。
数百メートルの小径を登ると本丸石垣が目に飛び込んできました。
航空写真で見て憧れていたあの石垣の場所に立っているのだと思うと感慨深かったです。独特な段組みは、素人には、考えた人すごいなぁと思うばかりでした。近づくと写真③のように見えたのは現地に行ってこその気づきでした。
番所跡からは二の丸のテニスコート、三の丸広場も見下ろせました。三の丸は令和3年に国史跡に追加指定されたそうです。
長大な石垣に沿って四重櫓跡、鉄御門跡へ。
下り階段が続いていたので少し下りてみました。石仏めぐりルートで登るとここに出るようです。ここから登れば竪堀がよく見えたのかもしれません。文久3年の絵図で見るとこちらが大手のようなので、次回はこちらから登ってみたいです。( ..)φメモメモ
折り重なる石垣を見上げたときのかっこよさはそれだけでも見飽きることはありませんが、ここに石落とし付きの櫓が建ち狭間だらけの土塀が続き……と考えると、石は投げつけられるわ矢は飛んでくるわで、かっこいいとか言っている場合ではないわというリアルが浮かんできます。
本丸に到着するとみごとな絶景が待っていました。
平和な時代の城から望む海は最高です!
天守台、四重櫓台、水手御門跡、遠見櫓跡をまわりました。
礎石がとてもよいです。
石積みの年代ががらっと変わるのがおもしろいです。(同時にメンテの大変さを思います。)
風がとても強くて石垣から落っこちそうでヒリヒリしました。
四重櫓跡の忘れ石に手をついて下を覗き込みました。……この石はそのためにあるのか!!天端にちょこんとある石、どこかで見た記憶が。和歌山城だったかな。
学校帰りの高校生らしき人たちもいて、放課後の寄り道が城址だなんて、羨ましすぎでした。
下界に戻りつつ内膳丸へ向かいます。
内膳丸には二重櫓数基の武器庫が設けられていたとのことです。
天守台もよく見えました。五重天守を空想再建してみると、本当にかっこいい眺めでしかないです。
そしていちばん見たかった登り石垣。
工事中の遊歩道の向こう側でしたが、木々が伐採され、その姿をはっきりと見ることができました。内膳丸から遠見櫓へ登っていっている景観はぐっと迫ってくるものがありました。もっと近くで見られる日が来るのかな。
滞在時間は1時間30分くらいでした。
鳥取行きの電車は1時間に1本です。
スタンプを押しに行かなくてはいけなかったので、余裕をもって少し早めに切り上げました。
そして徒歩で向かった米子駅。
米子空港が鬼太郎空港というのは聞いたことがあったのですが、JR米子駅は「ねずみ男駅」。
0番ホームが楽しすぎでした(´艸`*)
また、駅舎も新築中で、来月末(7/29)に南北自由通路や駅ビルとともにオープンするそうです。
<おわり>
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