甲府市・韮崎市訪問の三ヵ所目は躑躅ヶ崎館(武田氏館)跡を訪問。武田信虎、信玄、勝頼の三代にわたって武田氏の本拠地として使用された館である。天正九年に勝頼が韮崎市に新府城を築城して本拠地を移すが、武田氏滅亡後、文禄年間に甲府城が作られるまで再びこの館が領国経営の拠点となったという。その時期に南側に新しい曲輪が築かれ、大手筋の馬出が石垣造りの防塁に変わり、主曲輪の北西隅に天守台石垣(天守があった?)が築かれるなど大きく改変されたようだ。
館の構造は200m四方の主曲輪を中心にいくつかの曲輪を設けた構造だった。主曲輪は現在、信玄公を祀る武田神社として利用されており原状をとどめていない。今回は南側と北側に桝形虎口を設ける西曲輪とかつて丸馬出と三日月堀があったという大手筋を中心に見て回った。桝形虎口は規模・構造が新府城のものとよく似ており武田氏の築城技術の一端を感じることができた。また主曲輪と西曲輪を画する堀や北側の堀もよく残っており武田氏時代のイメージを伝えているようだ。
主曲輪、西曲輪の北側は現在も発掘調査が続いており、新しい発見や遺構整備に大いに期待したいものだ。
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