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Tokyobay

歴史資料館で親切に説明してもらう (2022/11/14 訪問)

中山御殿跡までは車で行けるので迷うが、まず歴史資料館を訪ねて相談。DVDや模型を見ながら登城に関する概要説明を10分程度受けて案内図をもらうが、U字型の構造がちょっと小谷城に似ている印象。結局下から登城したが、結果的にはそれでよかった。アチコチゆっくり見て往復2時間程度。近年かなり整備したようで全体的には歩きやすくなっており、城内の各郭まで職員の軽自動車が往来しているのに驚く。石垣は結構残ってはいるが、発掘時に新たに積み増したものが混在しており、上手く加工処理しているので良くも悪くも新旧の違いが判らないのがちょっとモヤモヤする。往路と復路は別ルートを推奨しているものの、土塁跡(虎口かと思ったら、工事用に破壊して作った道らしい)からの下りは結構道が悪く急で狭いので多少気を付ける必要がある。
帰りにも歴史資料館を訪ねて登城中に感じた疑問点について色々と尋ねると、模型(凄くよくできているので必見)や航空写真を用いて30分程度かけて親切に説明してくれ「英雄たちの選択」撮影秘話等々興味深い話も教えてくれた。ここは3大山城には入っていない(5大山城には入っている)ものの、雑誌「歴史人」で唯一100点満点獲得したことにより「日本最高の山城」としてアピールしており、監修した小和田先生(息子)のサインも見せてくれた。また、地元では「山中鹿介を大河ドラマの主人公に」という運動もしていて町全体での盛り上げムードが感じられる。
尚、現在の道の駅駐車場からの登城ルートは観光用に作ったもので、本来の登城ルートは菅谷口からのルートとのこと。城安寺のある菅谷口からは車で登れるのだが、結局は中山御殿跡前の駐車場に到達するので車で一周できるようになっている。ちなみに、中山御殿跡前の駐車場隣(大手門前)には民家が一軒あるのだが、地元では「城主」と呼ばれているようである。

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ばばよ

文化財ウィークなら主郭に入れるが... (2022/10/29 訪問)

文化財ウィークを利用して、開放された主郭に入ることができます。
が、私のカメラ(スマホ)の腕に加えて、昨年までの他の方の投稿には見られない立ち入り禁止のビニールテープのために、土塁の魅力がうまく伝えることが難しいです。

●アクセス
西武池袋線 石神井公園駅 徒歩15分

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ばばよ

見て楽しい、知って楽しい (2022/08/15 訪問)

上田駅から坂をのぼって向かいます。
現存西櫓、再移築の南櫓に北櫓、再建の東虎口櫓門は見所いっぱい
また駅から城に向かう途中には上田藩主居館表門が上田高校にあります
看板によると本丸には天守が建てられず、7棟の隅櫓と2棟の櫓門が建てられたものの、藩主は三の丸の居館に在住していたようです。
本丸には御殿もなかったようで、櫓も倉庫としての役割だったとか。
城の役割としては非常に興味深いですね。

平城でよく真田は守りきったなと思いましたが、元々は信濃川の支流の河岸段丘の真上だったようです。
そのため尼ヶ淵はよく崩落事故を起こしていたようですが、戦においては背を気にせず守れたということですね。

町、城ともに真田人気をうかがわせておりました。

●アクセス
上田駅から徒歩12分

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ばばよ

石碑は見つけやすい (2022/07/23 訪問)

天守台はいろは坂を登っていけば見落とすことなく見つけられます。
石碑の裏に解説あります。

例に漏れず、耳をすませばで有名なロータリーまで足を運びました(城と関係ないので写真は略)。

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赤い城

畑の中に石碑 (2022/10/23 訪問)

苅野丸山城から大雄山線で小田原に戻りお土産の蒲鉾を購入。
小田原城に立ち寄ることもなく小田急線に。
秦野駅で下車し徒歩で45分くらい。
東小学校の脇に案内板が立っています。
付近に駐車場はなさそう。
案内板に沿って堀跡と思われる田んぼを渡ります。
さらに案内板があり、進んで行くと石段の上に石碑と説明板があります。
周辺は畑、蕎麦の花が咲いていました。
周囲には川が流れていて堀として機能していたのでしょうか。
鎌倉時代の波多野氏の居城とされていますが詳細な位置は定かではないそうです。

神奈川県は足柄、中川がまだと横浜市内が少し残っています。
これから山城シーズン、北関東中心になりそうなのでもう少し時間かかりそうです。

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todo94

日本遺産の城④ (2022/11/03 訪問)

日本遺産「日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」の構成資産の城、4城目。尾道の寺めぐりをした後訪れました。この日、尾道ではイベントがあったようで駅前やラーメン店はたいそうな賑わいでしたが、この城には誰も居ません。登山者用の駐車場完備。鳴滝山登山道とは道の反対側に登城口があります。案内表示板の文字はかなり読み取りにくいです。海から結構離れた山城ですが、尾道水道をしっかりと見張ることは出来そうです。

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刑部

防衛の為の城 (2022/11/06 訪問)

専用の駐車場があり案内板もあります山城にしては見やすい城址です、地元の人がしっかり保護していることがわかります。

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まめパパ

天守閣 (2022/11/12 訪問)

ライトアップされた天守

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にのまる

三浦半島のんびり路線バスの旅 (2022/10/29 訪問)

 近くなのでいつでも行けると先延ばししていた三浦半島の6城を一日かけてまわってきました。(写真⑤の順です。)
青ケ台城跡地は宅地化され旧状は不明とのことです。(大系より)
金沢文庫駅からとりあえずいちばん近そうな公園「釜利谷赤坂公園」へ徒歩で向かいました。途中から急坂で、山を切り崩した団地であることは一目瞭然。
城ピンの場所は公園から写真②の階段を上ったところでした。見晴らし最高。ここが砦を築いた山上だったのかもしれません。せっかくなので城ピンちょうどの場所に立ってみました。あと、近くの消火栓……。

“ニアミス判明”は何度かありましたが、今度は場所が場所だけにびっくりです。
先に赤い城さんの苅谷丸山城レポを読んでいたら少し踏み込んでみたかもしれないし、当日、時間が重なってお見かけしていたら、距離おいて、しれーっとついていったかもしれない(¬_¬)し、情報聞きだそうとしたかもしれないです^^;

ちなみに神奈川県コンプのめどは立っていません(-_-)zzz

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朝田 辰兵衛

河原崎城散策 1/2(登城コース)を。 (2022/11/05 訪問)

事前データ収集段階でハッキリしなかったのが,河原崎城の登城口。漠然と伊南川の南・和泉田集落を走る,福島県道351号線にヒントがあると判断し,乗り込みました。
和泉田郵便局の西約300mのところに,二渡神社。グーグルマップでは「御蔵入り三十三観音和泉田泉光堂」と表記されています。この向かいに緑色ベースのパネル。そして,かわいらしく河原崎城駐車場の標柱も。てっきり,ここが登城口かな…と。
二渡神社の奥に進むと,丸太3本でできた橋で沢を渡り,沢沿いに上流へと。この時点で『あまりいい散策道ではないな…』と。だんだんと厳しくなっていったので,西側の杉林のほうへ進路を変えました。そのまま進むと道らしくなり,気がつけば西側コースに合流。私が進んできたコースは杉林コースでした。
西側コースをしばらく登ると,東側コースとの合流点がありました。

下山ルートは西側コースを選択。雨が降ってきたこともあり,東側コースの散策は断念しました。
福島県道351号線から西側コースへのアクセスは,二渡神社から西約300mのところ。かわいい標柱がありました。舗装道の突き当りから右斜め前の林道を進みます。すると,パネルと西側登り口の標柱アリ。
西側コースをお勧めします。

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朝田 辰兵衛

河原崎城散策 2/2(城域)を。 (2022/11/05 訪問)

西側コースと東側コースとの合流点からは延々と九十九折の登山となります。麓の駐車場には数台の車がありましたが,誰とも出会いませんでした。登城道は整備されており,不安はありません。ただ,主郭廻りが帯曲輪なのか,整備された回遊道なのかわからなかったです…。
標高:652m,比高:182m。主郭奥の堀切は,とても行けるような状態ではありませんでした。
雨男だからか,下山時には雨が…。
しかし,JR只見駅に着いたころには,すっかりあがりました。
標高:871mの柴倉山に虹がかかっていましたので,サービス画像として最後に入れておきます。

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ぴーかる

岩原城 (2022/10/09 訪問)

【岩原城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅5城目。岩原城は現地説明よって板によると、室町時代に大森氏によって築城されたとあります。説明板の横に城の想定図がありそれによると三郭まで連郭式になっており主要部を取り巻くように大きい郭で守っていたようです。残る土塁遺構は西物見郭の一部のようです。主要部のすぐ南側が崖状の比高地となっています。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

播磨東端の端谷城 (2022/10/24 訪問)

 今回の別枠高松城復元桜御門、備前、播磨未踏の城廻り終りの城は神戸西区の端谷城、神戸都市部近くの山中に素晴らしい山城が残ってる、比高も低く私でも登れるかなと行って見たい城にマークして登城のチャンスを待って居ました。

 妻鹿城から東に約30~40km程、国道2号線バイパスを走行し、古城盛衰記さんガイドの県道52号線沿いの端谷城駐車場(34°43'33"N 135°03'o6"E)を目指す。舗装されて約20台は可能、駐車場北側に案内解説板が設置されてる。

 駐車場から南を流れる櫨谷川に架かる橋を渡り寺谷公会堂横を通り北に登って行くと満福寺の石段に付く、満福寺と端谷城跡の石碑が建ってる、石段は急なので車道を通る、車進入禁止の鎖チエンを跨ぎ二曲がりの坂道を登る、途中に案内解説板縄張付きが有るが日焼け劣化が酷く判読困難、満福寺境内の3の丸、境内に衣笠氏の顕彰碑、衣笠氏関係か?墓石が建てられている、一段上がって本堂、東に庫裏なのか建物が有るが人の気配は感じられない。
 車道坂道北側は切岸の様な崖、途中に北の山側2の丸本丸に登る道が有る様なのですが案内板も無く不安、傘を差しての探訪でしたので3の丸跡の満福寺境内のみの探訪としました。
 皆さんの投稿を見ると三の丸北二の丸本丸に堀切、土塁が残り南、東の櫨谷川が堀の代わり西に支流も堀代わり、南に突き出た丘陵を崖と切岸、堀切、土塁で護っていた。
 
 案内板に由ると城主衣笠氏は鎌倉時代よりこの地櫨谷を治め、室町時代赤松氏の傘下、戦国期三木城の別所氏の傘下で支城の役割を果たし、三木城の落城後、落城廃城となる。

 登城後明石海峡大橋線の神戸西ICが約5km程の所に在り、高速移動に大変便利、今回の未踏の城廻りは走行距離約1200km程に成りました。
 
 

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カズサン

にわかの雨で麓から眺める (2022/10/24 訪問)

 秀吉に姫路城を譲り黒田官兵衛が居城した妻鹿城(国府山城)を恒屋城から南下約18~20km程市川沿いの登城口を目指す。
 ガイドは古城盛衰記さんとグーグルマップに依ります。登城口と駐車エリアは市川東側県道517号線沿い(34°47'50"N 134°41'41"E)にあり駐車エリアは砂利舗装で約3台は可能、隣のフェンスに囲われた駐車場は私有地で施錠されてる。
 恒屋城辺りから雨が降り妻鹿城辺りでは雲が黒く成り土砂降り雨が少し小降りになるまでの待って傘を差しながら周辺を撮影、眺める、市川に架かる水道橋、その近くに市川工業用水道管理所建屋、奥に城跡の在る国府山麓に荒神社があります。

 登城口を眺め、樹木鬱蒼としており雨模様でもあり駐車場確認して終りとしました。
 姫路城が今日に在るのは黒田官兵衛の見識による、秀吉に譲った行為が秀吉姫路城、輝政姫路城と継承されて日本一の大城郭姫路城となり、日本、世界の方々に見て頂ける。妻鹿城はありがたい城です。
 

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カルビン

さ~けさえ入れば♪ (2022/11/12 訪問)

土日が連休にならない状態が続いていた為、コロナ感染者が減ってきてもなかなか遠出出来なかったのでですが、やっと2日連続の休みが取れたので、名城スタンプを求めて石川県に行ってきました。
・・・時遅く、既に第8波の入口になっていたので、久しぶりの遠出もこれでまた暫くお預けだなぁ・・・orz

鳥越城の続100名城スタンプが目当てだったものの、8月の大雨による地滑りの影響で城域に入れないとの事でした。
が、二曲城と共に既に鳥越城は7年前に訪問済なので、割り切ってスタンプだけ入手目的で、残った時間を近場の史跡巡りに宛てたうちの1ヶ所が富樫氏館でした。

富樫氏と言えば加賀一向一揆に最初は協力し、徐々に一揆討伐に走って逆に潰されてしまったイメージがあります(小説の受け売りですが・・・)
最寄りの野々市工大前駅の公園に石碑(と山川館解説)がありますが、実際の富樫氏館はそこから南に10分弱歩いた場所にあります。

更に直接館とは関係ありませんが、駅から西に30分前後歩いた場所に富樫氏の由来の説明が書かれた所があり、距離を甘く見ていた為に危うく鳥越城方面のバスの出発する鶴来駅への電車のがして、バスに間に合わなくなる所でした・・・危なかった(汗)

遺構的には立ち寄る必要有る?的な場所ですが、ちょっと立ち寄るには持って来いの場所でした。。。しかし北陸鉄道線は本数が1時間1本程度の為、公共交通機関メインの場合はバスの時間と合わせて予定立てていないとぶっつけではリカバー出来なくなるのでご注意を


ちなみに北陸鉄道線、額住宅前駅あたりからから先、鶴来駅までは車中で携帯いぢったり本を読むのはオススメしません。。。縦揺れがなかなかの迫力があり、ほぼ酔うと思われますので(ーー;



タイトルの意味解った方、同年代と見た(笑)

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Tokyobay

若槻礼次郎生誕の地 (2022/11/15 訪問)

松江城下の偉人と言えば小泉八雲が有名だが、若槻礼次郎生誕の地でもあり三の丸には胸像もある。生誕地である雑賀町には碑が建立されているが、現在は古いアパートになっていることに驚く。その他、城下には民法典論争で有名な法政大学の設立にも寄与した法学者の梅謙次郎生誕地の碑もある。また、亀田橋付近の濠端には芥川龍之介や志賀直哉が住んでいたこともあり、案内板が設置されている。ちなみに、白潟公園には川路利良と対峙した玄丹おかよの像があり、幕末の松江藩が難しい立場であったことを物語っている。

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Tokyobay

水の手門に見応えあり (2022/11/14 訪問)

一般的には大手門から一ノ門経由で本丸に入り、天守に登って同じルートで帰るのだろうが、北ノ門から本丸を出て水の手門を抜け、中曲輪から本丸石垣越しに天守を見上げると、また違った松江城が楽しめる。特に、水の手門の遺構は見応えがあり、これを見逃すのはもったいない。その後は二の丸で櫓見物をしてから南門を出て千鳥橋を渡り、三の丸経由で各々の銅像をチェックして大手門に戻るのがオススメルート。

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イオ

石垣散策マップ (2022/10/15 訪問)

仕事で近くに来たついでに和歌山城へ。今回のお題は、和歌山城のホームページでダウンロードできる「石垣散策マップ」(http://wakayamajo.jp/pdf/ishigakimap.pdf)です。和歌山城の石垣は豊臣・桑山期、浅野期、徳川期でそれぞれ特徴が異なっていますので、石垣散策マップを片手にめぐってみました。

① 天守台石垣
天守台の石垣は羽柴秀長による築城時に積まれた最古の石垣で、結晶片岩による野面積みです。随所に転用石も見られ、写真では石落とし直下の白っぽい石が転用石(たぶん宝篋印塔)です。

② 新裏坂下の石垣
浅野期に積まれた和泉砂岩による打込接ぎの石垣です。新裏坂下の石垣には様々な種類の刻印が施されています。

③ 砂の丸の高石垣
徳川頼宜が城主となった際の大改修で設けられた砂の丸の高石垣は、和泉砂岩による打込接ぎです。

④ 鶴の渓の石垣
天守曲輪北麓の鶴の渓の石垣は、豊臣・桑山期の結晶片岩による野面積みで、天守台石垣と比べて巨大な石が用いられています。

⑤ 不明門跡付近の高石垣
徳川期の高石垣で、隅角部に熊野地方産の花崗斑岩、その他は和泉砂岩を用いた切込接ぎです。非常に精緻に積まれています。

⑥ 松の丸櫓台石垣
不明門と同じく徳川期の石垣で、隅角部に花崗斑岩、その他は和泉砂岩を用いた切込接ぎです。こちらも見事な高石垣です。

⑦ 一中門跡の石垣
徳川期に積まれた花崗斑岩による切込接ぎの石垣で、多角形に加工した石材による亀甲積みが見られます。

⑧ 石垣の変遷がわかる場所
松の丸下の豊臣・桑山期の結晶片岩による野面積みの石垣に、徳川頼宜の大改修で設けられた南丸の門の和泉砂岩による打込接ぎの石垣が接続されている様子がよくわかります。

⑨ 石材の変わり目
一中門跡の⑦の反対側の石垣も徳川期の切込接ぎですが、途中で石材が異なっており、向かって左側には花崗斑岩、右側には和泉砂岩が用いられています。よく見ると真ん中あたりで五角形の花崗斑岩が和泉砂岩側(右側)に食い込んでいるのがわかります。

⑩ 石垣を後世に伝える
西の丸西側石垣は浅野期の和泉砂岩による打込接ぎですが、長い年月の中で劣化していたのを平成29年から令和元年にかけて修理しています。これからもこの和歌山城の石垣を後世に伝えていっていただきたいものです。

「石垣の博物館」と呼ばれる金沢城には及ばないまでも、和歌山城の石垣もなかなか見応えがありますので、ご来城の際にはぜひ!
 

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todo94

日本遺産③ (2022/11/03 訪問)

日本遺産「日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島」の構成資産の城、3城目はしまなみ海道の中で本州に一番近い向島の余崎城です。この城は城を示す表示が全く見当たりませんでした。恐らく私有地で所有者の許可が得られていないのでしょう。入り口がバリケードで塞がれているその先の祠の脇から石段が続いていたので登ってみましたが途中で道が分からなくなっていました。

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赤い城

まさかのニアミス− (2022/10/23 訪問)

大雄山駅から徒歩で50分。
周辺は小さな集落で道は細く駐車場もありません。
林道沿いに踏み跡があったのでそこから踏み入ると主郭部に着きます。
朽ちた小屋の先に進むと竪堀が二条。
ここが見どころでしょうか。
ただし当時の遺構かどうかは定かではなさそうです。
で、先日のにのまるさんの投稿を拝読しびっくり!
同じ日の攻城だったようです。
私は午前中の登城、他に訪れる人もいなく。
メジャーな城ならともかくここに同じ日に登城とは!
お会い出来なかったことが逆に残念な気がしています。
このあと私も波多野城へ、これまたニアミスだったようです。
神奈川県は先にコンプリートしたいかな?

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