臼杵城はかつて臼杵湾に面した丹生島に築かれていました(今は陸でつながっています)。大友宗麟は大内氏に取って替り勢力を伸ばした毛利氏と激しく争いました。永禄4年(1561)門司での戦いで敗れ、北部豊前での戦いで大敗し、毛利氏へ対抗するために急遽この城を築城したとされています。
臼木丹生島に攻め込むためには陸路では六ヶ迫峠や津久見峠を越えなくてはならず、東は湾に面し西は臼杵川が流れているので防御の点でも申し分なかったそうです。臼杵城は宗麟の隠居城とされましたが、剃髪して休庵宗麟と名乗ってはいるものの実際にはまだ三十半ばで、実権は宗麟が握っていたため大友館に対するもう一つの本拠としての意味合いもありそうです。
城址は東が本丸跡で西が二の丸跡とされているようです。現在は公園化されていて様々なモニュメントで飾られ、天守櫓跡に面して空堀遺構が残っています。
※本丸周辺の写真は2014年1月の写真を流用しています。
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