1601年、和歌山城主の浅野幸長の家臣 浅野忠吉が新宮に入り築城を開始しました。
1615年の一国一城令で一旦は廃城となりましたが再建を許可され、1618年に忠吉は再び築城に着手しました。
1619年、忠吉が安芸へ移り、代わって紀州藩付家老の水野重仲が新宮城に入り、水野氏が10代続き明治に至りました。
新宮城は熊野川の河口付近に築かれた総石垣の平山城で、11年ぶりに行きました。
山麓のニノ丸(南曲輪)、山上の松ノ丸・鐘ノ丸・本丸の各曲輪への枡形虎口、本丸周辺の綺麗に積み上げた算木積み・切込み接ぎ石垣が見事です。
特に本丸の石垣は高く見応えがあります。
天守台は南西側の真ん中が崩落し改変されていますが、南東側から見ると立派です。
前回、出丸は本丸から見下ろしただけでしたが、今回は出丸に入りました。本丸と出丸の間は堀切状となっていますが、橋が架けられていた時代があったともされ、出丸から本丸北側を見ると改修し埋めた石垣の痕跡が分かりました。
前回は松ノ丸から水ノ手へは通行止めで降りれませんでしたが、今回は水ノ手に行く事ができ、城跡では珍しい船着場・炭納屋跡があり、打込み接ぎの石垣が見事です。
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