小山の下に旗立山の説明板、山上の広場に伊藤祐親入道供養塚。
鎌倉殿めぐりをしているつもりはなくても一帯ほぼゆかりの地でした。
葉山の賑わいの中で穴場スポット的な眺めのいい静かな城址でした。
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2022/11/21 00:53
2022/11/21 00:49
庚申塔 (2022/10/29 訪問)
佐原城から芦名城(館跡)とされる大楠小学校まではバス2本乗り継ぎでしたが、路線バスだけで三浦半島を横断できるのはありがたいです。
小学校手前左側の階段を下りたところにある庚申塔、“かつては小丘上にあったが明治末に現在地に”とあります。その丘が坂の上の芦名荘(東側の岩山=詰城)だったところでしょうか。
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2022/11/21 00:48
歴史を伝える石碑にじわっとくる (2022/10/29 訪問)
久里浜駅より歩きましたが、京急線だと北久里浜駅の方が若干近いです。
目指すは畑の中にあるという石碑。Googleマップで道路の行き止まりのところと確認しました。坂の途中のマンションの少し下に最初(写真①)の案内があり、そこから坂道を登りきったところに2つ目(写真②)の案内。そのすぐそばに『佐原十郎義連城跡』の碑と説明板がありました。鎌倉時代初期を駆け抜けたお城のようでした。
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2022/11/21 00:45
権現山公園と合わせて。 (2022/10/29 訪問)
青ケ台城より徒歩で向かいました。
現地の撮影は遠慮しました。
以下、バーターです。
最寄りの金沢八景駅に隣接する「権現山公園」は江戸時代は円通寺の境内だったところで、今年の4月に開園したばかりの新しい公園です。まず目に飛び込んでくるのは歩道橋下の石垣。コンクリートの壁に化粧の施された古い石垣が貼りつけてありますが、公園整備の際にはさらに古い(1707年以前)石垣が見つかったそうです。円通寺客殿奥の階段を上がったところにかつて東照宮があり、さらに登ると見晴らしのいいベンチスペースがありました。
茅葺き屋根の客殿は見学可能。三つ葉葵が目を惹きます。この客殿の中に中世から現代までの金沢の移り変わりのパネル展示があり、なかでも中世や近世は大変興味深い内容でした。
ここから鎌倉へとつながる六浦道は切通しめぐりをした際に朝比奈切通しまで歩いた道でした。
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2022/11/20 23:58
平田篤胤生誕&終焉の地 (2022/10/17 訪問)
殿様でもないイチ思想家が生まれた城下で生涯を終えるのも珍しい。墓も市内の秋田大学の裏手の山中にあるが、遺言により墓は師である本居宣長の伊勢松坂の方向に向けられているといわれている。
その他、生誕地の近くには藩校(明徳館 )跡がある。尚、隣接地には秋田県立秋田明徳館という名の高等学校の立派な校舎があるが、藩校の流れを直接汲むわけではないようである。
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2022/11/20 23:35
見所は高石垣と城代屋敷跡 (2022/10/30 訪問)
安濃津藩の支城である伊賀上野城
城代屋敷跡の隅には筒井時代の天守跡碑があります。
高石垣以外には城代屋敷跡の石垣や空堀、城下の藩校等が残っています。
1.模擬天守
2.本丸西面の石垣
3.本丸南西面の石垣
4,本丸南東面の石垣
5.城代屋敷跡北西面の石垣
6.城代屋敷跡西面の石垣
7.城代屋敷の表門跡
8.移築永倉
9.藩校崇広堂の長屋門
10.城址遠景(芭蕉の森から)
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2022/11/20 23:29
近隣に「ドキュメント72時間」で有名な「うどん自販機」 (2022/10/17 訪問)
久保田城に移る際に佐竹氏が破却した城だが、現在は神社と公園となっており案内板があるのみで遺構はなく、親子が遊んだり喫煙者が居たりと近所の人々の憩いの場になっている。
ちなみに、近隣には「ドキュメント72時間」で有名となった「うどん自販機」があったが、その後撤去されスグ隣の秋田市ポートタワー「セリオン」に移転し営業中。TV効果で大変有名になったせいか様々なグッズも販売されており、土崎の町おこしに一役買っている。
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2022/11/20 22:32
土塁で囲まれた本丸の各出入り口に見どころ (2022/10/17 訪問)
観光的には中土橋通りから登城するのだろうが、大手門跡から旧三の丸を抜けて黒門跡経由で二の丸に入るのが本来のルートと言える。全体的には公園として整備されてしまっているものの遺構はそれなりに残っており、土塁で囲まれた本丸の各出入り口に見どころが点在するが、特に帯曲輪門跡に見応えがある。ちなみに、二の丸には秋田犬との触れ合いコーナーがあり楽しめる。
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2022/11/20 21:09
2022/11/20 19:13
はちはく(サザンスカイタワー八王子 3F) (2022/11/20 訪問)
本日は天気予報が雨だったので、降りだす前に軽く八王子城の御殿を見てきました。
八王子城のガイダンス施設に立ち寄った際に、特に集めている訳ではありませんが八王子城の御城印の情報(ここでの配布・販売は無し)があり、八王子駅南口にある桑都日本遺産センター 八王子博物館にて対応しているとの事だったので、雨も降ってきたし屋根付きの施設と言う事で行ってきました。
現地はサザンスカイタワーの3Fの結構な広さの区画で、入場無料な上に撮影OKという大盤振る舞いです。
ここでは八王子城と滝山城の御城印が販売されておりますが、購入の際には必ずその2城を見学済であるエビデンスの提示(写真や100名城スタンプ等)が必要になるのでご注意を。
現在八王子城ガイダンス施設とはちはくの2ヶ所の課題をクリアすると先着で北条氏照の御朱印が頂けるそうなので、お時間あれば行ってみてはいかがでしょうか?(~12/11迄)
珍しくお城以外の情報記事書いてみました。。。
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2022/11/20 17:46
石垣を必要としなかったのだろう (2022/05/03 訪問)
古図では本丸に「山城」と記されている通り、現地に行くと確かに山の上だと実感できる。石垣がないのでワンランク低く見られがちだが土の城の粋を集めたこのお城には城壁としての石垣が必要なかったのだと思う。
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2022/11/20 17:40
二の丸にハマった広島城訪問 (2005/11/27 訪問)
過去のお城巡りの振り返り第22弾は、広島県広島市の広島城。
広島湾に流れ出る太田川を水堀とした、その河口部の三角州に築かれた近代城郭。
築城時は現在と違い海が近く、厳島神社や瀬戸内航路に繋がる地。
陸路は京都と福岡を結ぶ山陽道が通り、北へは出雲や石見銀山に通じるエリア。
1589年に毛利輝元が築城を開始し、吉田郡山城から本拠を移転。
関ヶ原の後は福島正則が引き継ぎ、一説ではこの時の拡張整備で山陽道(西国街道)を城内に引き入れた模様。
その後は明治まで浅野氏12代が城主を務めました。
現在、三の丸から外側の城郭は失われたものの、内堀内の本丸と二の丸は天守と櫓が復元され広島城跡公園に。
広い本丸は元々北の上段が御殿、南が馬場だったようで、下見板張りのシブい天守は南小天守と東小天守を持った連立式だったとのこと。
実際に訪問すると、本丸は大本営時代の名残が濃く、城の雰囲気は薄い印象。
一方で小島のような馬出構造の二の丸が、武士の時代の城らしさを感じさせてくれた広島城でした。
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2022/11/20 17:30
山名城から尾根歩きで (2022/11/17 訪問)
山名城址の入口から尾根に付けられた遊歩道を西へ向かう。遊歩道は石碑埜路(いしぶみのみち)と名付けられ、至る所に万葉集の歌碑が建てられている。金井沢碑の分岐からやや下り、下がりきった所からが主要な跡になる。
説明板に根小屋城は永禄11年(1568)、或いは13年に、武田信玄が山名・鷹の巣の間に新城を築き、信州佐久郡の望月甚八郎・伴野庄の伴野助十郎を入れ守らせた。鷹の巣とは寺尾にある茶臼山城址のことで、北条氏康・上杉謙信に対する狼煙台として築かれた・・・等々が書かれている。
下りきった鞍部には右回り、左回りの道がある。ここにも万葉集の歌碑があり、その裏は堀跡らしく思える。右回り・左回り共に堀切の底を歩くようだ。右周りに行くと堀切の先に追手の標識があるが、どの辺りから上がってくる道があるのか。左には本丸に続く入口。先の右手には自然地形なのか竪堀のように切れ込んでいる。上は郭があるが、笹・木々が多く先に進むのを諦めた。本丸の虎口は右に直角に折れ枡形を形成している。本丸内からは一部で高崎市街が眺められる程度。枡形虎口の反対に坂虎口跡があり、下るにしても急斜面過ぎる上に枯れ葉が多く立木に捕まらなければならない。どなたかの意見で本当に虎口だったか疑問とあった。西に回り込むと堀切がある。堀の左は狭い郭のようだが、下草・木が多く分からない。東の鞍部に向かうが横堀の底らしい。
予備知識なく、井戸跡・土橋跡などまだ観るべき場所があったのが後日分かった。山名城説明板同様、簡単な縄張図でも載っていればもう少し堪能できたか。
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2022/11/20 16:13
西播磨の山城「落ちない城:白旗城」 (2022/11/19 訪問)
「西播磨山城11」の投稿です。
まずは登城口に「落ちない城 白旗城」とタイトルのある説明板が目を引きます。
「落ちない城」であるから受験生向けに上郡町の何か所かで白旗城の絵馬が販売されており、
ふもとと山頂の絵馬掛所で願掛けするのだそうです。
獣除けの柵の中に入りほどなく進むとふもとの絵馬掛所があり、それを過ぎると登りとなります。
尾根までは踏みしめる足元の石や山肌に散らばる石、立っている大岩も青く、また周りの杉の木も
幹が青く、幻想的な青い森の中を進んで行きます。不思議な場所に居るような感覚に包まれました。
その途中には石垣や木に止められた大岩などがあり、ここで既に見どころ満載。
石垣は斜面に長く伸びており、登り石垣のような造りとなっているように見えます。
尾根に上がると様子は一変して、山城の領域と入って行く。
堀切があり、櫛橋丸跡や二の丸、本丸と山城の遺構を満喫しながら歩いていると広い三の丸に到着。
青い森の上にこんな広大な曲輪があり、またその先まで進むと、また堀切や竪堀も残っており、
最後まで飽きさせません。
山頂の広大な山城跡を十分に楽しんだ後、登ってきた幻想的な青い森、途中にあった石垣や大岩を
山下りの目線で見て下りると二重の楽しみを味わえる印象的な山城です。
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2022/11/20 15:30
西播磨の山城「名のとおり大岩が乱在する山城」 (2022/11/19 訪問)
「西播磨山城11」の投稿です。
麓の若王子神社に登城口があり、そこから30分ほど登ると本丸に着きます。
そこから進んで10分も掛からないところに三角点があり、その周りには名のとおり大岩が乱在して圧巻です。
頂上の三角点から少し下りると岩が楯の様にあるのが良く解ります。
本丸の周りには帯曲輪がいくつも見られますが、急傾斜と木々に阻まれて行くのを諦めました。
登城口のある若宮神社の前には舗装された駐車場とトイレがあります。
でもここに行くには、手前の鳥居をくぐり抜け、狭い道をとおり、獣除けの柵に着き、その扉を開けて、さらに神社前の
鳥居の下を潜って行きます。普通車なら通行可能ですが、小型車の方が無難です。
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2022/11/20 14:11
2022/11/20 14:02
山上碑・根小屋城とセットで (2022/11/17 訪問)
駐車場が完備された山上碑・古墳入口からが便利。入口から石段を上れば山上碑がある。上野三碑と呼ばれ、完全に残るものでは最古らしい。一帯の山域は高崎自然歩道(部分的に関東ふれあいの道と重複)でよく整備されている。
案内板には源義家の孫、新田義重の子、義範がこの城に拠って山名氏を称し、以後八代にわたり当城を護ったと言う。築城方法から弓矢から鉄砲の時代なった頃に修復されたようだ、等と書かれている。
城址は遊歩道から右に入るが、入口辺りは城域の西端になるようだ。初めに堀切が見え、西斜面を上がれば木々の生い茂った小さな郭がある。戻り東に行くと少し大きめの堀切がある。この堀切から右手に本丸入口が設けられている。図では堀切の先から北に遺構があるらしいが、落ち葉・木々が多く踏み込むのを躊躇した。本丸よりも東の二の丸が広い等とあるが、事前知識がなく確認出来ず。本丸の西の郭に上がってみるが、狭い郭が確認できる程度だが、堀底からの高さは実感できる。本丸南下から東には、平地・堀切らしき場所もあり、おそらく二の丸下辺りと思われる所の高低差がすごい。
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2022/11/20 13:49
城びと未登録のお城攻め「和田城」と「和田塚」の巻き。 (2022/11/13 訪問)
私、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観て、巴御前のイメージが変わりました。
木曽 義仲さんの妾だった巴御前。その後、和田 義盛さんにお預けの身となります。
和田合戦で義盛さんが亡くなると、 越中で 弔う日々を過ごし91歳の生涯を閉じたそうです。
鎌倉での、巴御前に触れたくて、幸せに暮らしたであろう「和田城」にお邪魔しました。
「和田城」は、神奈川県 三浦市 初音町に石碑と説明板が民家の前にありました。
道路の反対側は学校です。路駐して写真を写して移動。学校を右手に見て左折すると、三浦野菜の広大な畑が広がってました。
道は狭く、農機具小屋があったので、畑の為の道かもしれないと思い退陣しました。
北条 義時さんVS和田 義盛さんの和田合戦。
敗れた和田一族が眠る 「和田塚」にも行きました。
鎌倉市の由比ヶ浜地下駐車場に、車を停めて歩きました。5~10分くらいです。
江ノ電に『和田塚駅』があったので、公共機関でもアクセスは良いです。
ドラマの影響か、たくさんの方々が手を合わせてました。
因みに、ドラマの中で『巴が作った 握り飯です』の義盛さんのセリフが印象的で、由比ヶ浜でおにぎりを食べてみました。
和田合戦の最中に、浜で食べるシーンもありましたし。
この日、強風波浪警報の由比ヶ浜は、砂まじりの おにぎりに なりました。
トンビも狙いを定めてますので、穏やかには食べる事ができません。
女武者と描かれる巴御前。
男勝りというより、芯の強い女性だったのでしょう。
巴御前の印象が少し変わった「和田城」攻めでした。
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2022/11/20 13:45
三好長慶が畿内を支配した城 (2022/11/19 訪問)
芥川山城と言うが山の名前は三好山である。古文書には芥川城とあるようだが、町中の西国街道沿いに別の芥川城という居館もあり、さらにややこしいことになっている。東の曲輪群にはいくつもの曲輪とわかる平場が残っていて、屋敷とかがたくさんあったのではと思わせる。西の曲輪群は本丸からの眺望も良くてハイキングの人で賑わっていた。大手の石垣と東の曲輪にある竪土塁は見どころです。広い城址ですが、割と苦労せず登れて気楽に山城を楽しめる良い城だと思います。
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2022/11/20 11:54
登城路 (2022/11/03 訪問)
駐車場利用した愛発舟川の里展示室から日吉神社、参拝、元西愛発小学校跡地、疋壇城跡への車道を登り、2郭多段曲輪群下石垣、車道に虎口の様な開削道、本丸東側の大箱堀、本丸東側多段帯曲輪石垣、巨石も有り、4郭の元西愛発小学校跡地、4郭より本丸南側を眺め、本丸南東角の疋壇城跡案内板と城名石碑を眺めて、元小学校南東の階段道、疋田町通りに降り、疋壇城跡案内標柱を確認、傍に1台の駐車は可能。※郭の番号は余湖図コレクションさん疋壇城俯瞰図の番号を使用しました。(前回と今回の投稿)
ルートの写真を投稿します。
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