かえさじょう

替佐城

長野県中野市

別名 : 対面城
旧国名 : 信濃

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登城口
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朝田 辰兵衛

武田方の北信濃軍事拠点🏰 (2024/05/06 訪問)

上杉方の飯山城を見据え,武田方の北信濃軍事拠点として築かれたと伝わります。
JR替佐駅から,徒歩約20分で登城口に到着。散策は冬枯れシーズンがおすすめです。
内堀館とセット攻城を計画するなら,JR上今井駅も徒歩圏内です。飯山線の運行ダイヤを考えると,往路か復路のどちらかで「徒歩の1駅スルー」がおすすめです。

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甚右衛門

千曲川西岸攻略第四城 (2024/05/18 訪問)

内堀館から更に北進。案内板があるので入口は分かりやすい。駐車場があるので良いが、すれ違いがちょっと厳しいのと、途中の左折するところの角度がキツく登りは切り返すことになった。駐車場からは5分位で攻城出来ます。本丸や二ノ丸の曲輪や堀切が残っており、眺望もなかなかです。

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小幡上総介 (2023/11/16 訪問)

 武田氏が上杉氏の南進を抑えるために築いた城です。曲輪跡、堀切、竪堀、土塁等が残っています。主郭・二の郭・三の郭の3つの郭があり、堀切で仕切られています。主な曲輪の周辺は公園として整備されています。主郭の背後、北東部には尾根を堀切で断ち切るように整えられていますが、こちらは藪あり倒木ありと散策に少し難渋しました。いい感じの堀切や竪堀があります。しかし倒木などで観づらい状況です。腰曲輪がいくつもあり横堀や竪堀、土塁を見ることができます。今回は余湖くんのホームページの図を参考に散策しました。幾本も竪堀が描かれていますが、数本は確認できました。
説明板には水堀の表記があり、その方へ降りて行きました。余湖くんのホームページでは水が溜まっている場所があったようですが、水堀は見つけられませんでした。ただ、歩いていてグチャリと柔らかい地面があり水がなくなった跡かもしれないと思われる場所がありました。
主要な曲輪付近を観るなら散策しやすい城址だと思います。たださらに堀切、竪堀を観ようとすると先に述べたように少し難渋します。景色はとてもよいです。

 JR替佐駅より徒歩15分くらいで登城口である駐車場へ行くことができます。この時期、各地で熊の出没報告があり不安で熊鈴をつけて散策しましたが、それ以上にすぐ下にある上信越自動車道を走る車の音が大きかったですね。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:替佐城 (2023/04/21 訪問)

飯山城から転戦。城址公園駐車場(36.770386、138.314822)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1564年(永禄7年)頃に武田氏によって築かれたと云われています。
替佐城は対岸の壁田城とともに飯山方面の上杉氏に対する備えとして、武田氏が築城あるいは改修したものいわれ、城将は小幡上総介信貞と伝えられています。

替佐城は千曲川の西岸にあり、替佐駅の西、温泉公園の北の山頂に築かれており、現在は公園として整備されています。
替佐城は西の山頂に本丸を配し、そこから南東に伸びる尾根に二の丸、三の丸と堀切で区画して連ねています。
本丸には土塁はなく削平地のみで、一段下がって周囲に帯曲輪を設けています。
きつねに遭遇しました。ビビって早めに撤退しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=内堀館に向かいました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 武田氏
築城年 永禄7年(1564)
主な城主 小幡信貞(武田氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群
指定文化財 市史跡
住所 長野県中野市大字豊津城山845