かえさじょう

替佐城

長野県中野市

別名 : 対面城
旧国名 : 信濃

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三の郭より主郭方面
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みんなの口コミ

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小幡上総介 (2023/11/16 訪問)

 武田氏が上杉氏の南進を抑えるために築いた城です。曲輪跡、堀切、竪堀、土塁等が残っています。主郭・二の郭・三の郭の3つの郭があり、堀切で仕切られています。主な曲輪の周辺は公園として整備されています。主郭の背後、北東部には尾根を堀切で断ち切るように整えられていますが、こちらは藪あり倒木ありと散策に少し難渋しました。いい感じの堀切や竪堀があります。しかし倒木などで観づらい状況です。腰曲輪がいくつもあり横堀や竪堀、土塁を見ることができます。今回は余湖くんのホームページの図を参考に散策しました。幾本も竪堀が描かれていますが、数本は確認できました。
説明板には水堀の表記があり、その方へ降りて行きました。余湖くんのホームページでは水が溜まっている場所があったようですが、水堀は見つけられませんでした。ただ、歩いていてグチャリと柔らかい地面があり水がなくなった跡かもしれないと思われる場所がありました。
主要な曲輪付近を観るなら散策しやすい城址だと思います。たださらに堀切、竪堀を観ようとすると先に述べたように少し難渋します。景色はとてもよいです。

 JR替佐駅より徒歩15分くらいで登城口である駐車場へ行くことができます。この時期、各地で熊の出没報告があり不安で熊鈴をつけて散策しましたが、それ以上にすぐ下にある上信越自動車道を走る車の音が大きかったですね。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:替佐城 (2023/04/21 訪問)

飯山城から転戦。城址公園駐車場(36.770386、138.314822)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1564年(永禄7年)頃に武田氏によって築かれたと云われています。
替佐城は対岸の壁田城とともに飯山方面の上杉氏に対する備えとして、武田氏が築城あるいは改修したものいわれ、城将は小幡上総介信貞と伝えられています。

替佐城は千曲川の西岸にあり、替佐駅の西、温泉公園の北の山頂に築かれており、現在は公園として整備されています。
替佐城は西の山頂に本丸を配し、そこから南東に伸びる尾根に二の丸、三の丸と堀切で区画して連ねています。
本丸には土塁はなく削平地のみで、一段下がって周囲に帯曲輪を設けています。
きつねに遭遇しました。ビビって早めに撤退しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=内堀館に向かいました。

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小城小次郎

純粋な武田の城というよりは (2020/08/09 訪問)

武田氏が上杉氏に備えた永禄年間の城らしい。武田氏も川中島よりずいぶんと北に踏み込んだものだが、現在の替佐城を見る限り(なんとなくだが)純粋な武田の城ではなく武田・上杉両者の特徴を備えたハイブリッドなお城に見えた。

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TESTU89

境目の城です (2016/11/03 訪問)

甲斐の武田信玄と越後の上杉政虎が取り合いをしていた北信濃の城です。よって両勢力の特徴を併せ持つ縄張りらしいのですが、そのほとんどは草に埋もれていました。
駐車場はありますが、行くまでの道は車幅しかないので、対向車との行き違えには注意が必要です。行った時期はスズメバチが怖かったです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 武田氏
築城年 永禄7年(1564)
主な城主 小幡信貞(武田氏家臣)
遺構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀群
指定文化財 市史跡
住所 長野県中野市大字豊津城山845