もとどりやまじょう

髻山城

長野県長野市

別名 : (大城・小城)
旧国名 : 信濃

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登山道入口標識
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)4日目:髻山城 (2023/04/21 訪問)

若槻山城から転戦。県道60号線髻山登山道入口(36.725217、138.250183)から小道に入り、登り口付近(36.719924、138.244962)に路駐しました。

上杉謙信が、川中島の戦いに備えて築いたとされています。
1564年(永禄7年)上杉謙信の家臣・直江実綱が、堀江宗親・岩船長忠両氏に武田軍の状況を通報させたとする古文書に、「敵もと々り山江、小旗四、五本にて、毎日武具致すよし候」と記され、武田・上杉氏の川中島の戦いに際し、武田氏の使用が確認されているようです。
髻山城は、長沼城が築城された1563年(永禄6年)頃以降、特に重要視され、その構造から武田氏滅亡後、川中島四郡を支配した上杉景勝とも深く関わったことが想定されています。

県道60号線髻山登山道入口から小道に入り、登り口付近と思われるところから歩きはじめましたが、登城路がみつけられません。
しばらく山の中を歩きましたが、結局、攻城を断念しました。
どこで間違ったのか、いまだに不明です。方向音痴の自分がイヤになります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=割ヶ嶽城に向かいました。

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いんげん丸虫

上杉謙信 (2019/11/10 訪問)

川中島の際に上杉謙信が築いたとされる。壮大な山城です。数ヶ所で石積も見ることができます。西斜面には長い竪堀、横堀もあるのですが、作業道が数本あって不明瞭になってるのが残念です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 上杉謙信
築城年 戦国時代
主な改修者 武田信玄
主な城主 上杉氏、武田氏
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)
再建造物 説明板
住所 長野県長野市若槻西条