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にのまる

36見附めぐり⑯~常盤橋御門~

常盤橋御門は江戸城外堀の正門なのだそうです。ぐるぐる巻きの外堀に正門があるなんて考えたこともなかったのですが、大きな絵図で見ると大手門へと繋がっており、目から鱗でした。江戸五口のひとつでもあり、交通の要衝として重要なところだったそうです。
国史跡である常盤橋御門は常盤橋公園として整備されており、枡形石垣の一部を見ることができます。川べりの石垣には刻印石も見られます。

石垣の前に架かるモダンですてきなアーチ橋が常磐橋です。今年の5月に東日本大震災による被害の修復が終わり、歩いて通れるようになりました。
常磐橋は関東大震災でも大きな被害を受けていて、その再建に尽力されたのが渋沢栄一翁。公園には「第一国立銀行」の方向を向く大きな銅像が建てられています。

“36見附めぐり③”で投稿しましたが、取り壊された小石川門の石材が常磐橋の建造に用いられています。一度はお役御免となった石垣石が別の場所で石橋に生まれ変わる。それだけでもすばらしいのに、その後の二度にわたる震災ダメージからも不死鳥の如くによみがえる…。石垣が紡ぐ長く険しくも美しい物語に感動しております。備前岡山藩主・池田光政公にお伝えしたい。
千代田区の広報(vol.1542=web版あり)に今回の修復にあたっての詳細やご苦労が載っていました。もう二度と壊れないでずっと残ってほしいです。
なお、「ときわばし」の漢字表記は人道用の石橋のみ“盤”ではなく“磐”が使われています。

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にのまる

36見附めぐり⑮~呉服橋門~

呉服橋御門があったのは日本橋川から外濠川に分流する現在の呉服橋交差点付近。川・橋・標柱の3点セットが見えたので嬉々として近づいてみたらそちらは一石橋でした。
呉服橋交差点あたりには呉服橋門の名残は見当たりませんでしたが、今夏オープンしたTOKYO TORCH常盤橋タワーの前に真新しい説明板が設置されていました。東京駅日本橋口の横断歩道を渡ったところです。建設中のトーチタワーは完成するとあべのハルカスを抜いて日本一の高さになるそうです。390メートルの物見櫓から真下に見る江戸城下の風景!今から楽しみです。
何も残ってなさげ(?)な呉服橋門ですが、文化3年(1806)から幕末まで“遠山の金さん”お勤めの北町奉行所が門内にあったそうです。前回投稿しました鍛冶橋門石垣移築展示のある丸の内トラストタワーがその場所で、平成12年からの発掘調査で遺構が発見され、現地に説明板と奉行所の石組み下水溝の一部が再現されています。
刃傷事件当時の吉良邸があったのもこの場所だったのだそうです。(討ち入りがあったのは墨田区両国の現・本所松坂町公園)
戦後、瓦礫とともに埋められた外濠川。この地面の下に長きにわたるたくさんの歴史が眠っているのだと思うと、歴史を正しく知ることの大切さを思います。

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にのまる

36見附めぐり⑭~鍛冶橋御門~

東京駅八重洲南口に近い鍛冶橋交差点付近に説明板がありました。交差点に立ち周囲を見渡すと、景色はまるで違ってしまっていても、見附跡は今でも都市の生活に欠かせない場所として生き続けているのだと実感します。
ここに当時の遺構はありませんが、別の3か所で鍛冶橋門付近の石垣を見ることができました。
ひとつ目は“36見附めぐり③”でご紹介した小石川後楽園築地塀の復元石垣です。(写真⑧に再掲します。)
ふたつ目は東京駅八重洲中央口前(写真⑥⑦)です。平成16年の発掘調査で見つかった石垣の一部が移築展示されています。
もう一か所は、丸の内トラストタワー敷地内です。写真⑤の中央の大きな8個の石が鍛冶橋門の石垣だったのだそうです。
東京駅周辺でこんなに楽しい石垣探しができるなんて思ってもいませんでした!

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いんげん丸虫

三階城 茨城県鉾田市 (2021/12/05 訪問)

市指定史跡。3年位前に雑草が伐採されて整備されたという記事、ネット、HPでの写真を
見て期待して訪城したのですが、熊笹の生命力は強くかなりの藪状態でした。
熊笹の中を潜りこみ外周の堀を一周しましたが、遺構は良く残ってます。
3階城の名のとうり、主郭を中心に3段階に曲輪があり横堀が2重に取り囲んでいます。

県道に小さな看板がありますが、そこからの車の侵入は妙な角度があり注意が必要です。
そのあとの農道も雑草によって車底を擦りますね。
遺構は素晴らしいのですが、現状は少し残念。

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朝田 辰兵衛

小伝馬町牢屋敷跡(東京都中央区) (2021/12/18 訪問)

慶長年間に常盤橋門外からこの伝馬町に江戸の牢屋敷が移されました。明治8(1875)年,市谷囚獄役所に移転するまでの間,数十万人もの罪人がこの地に投獄されたと伝わります。安政の大獄で捕らえられた吉田松陰や橋本左内,梅田雲浜らもここに収容。勤王志士90余名が処刑されました。
アクセスは,東京メトロ日比谷線小伝馬町駅の十思公園行きエレベーターで地上に出ると目の前に大安楽寺と石碑です。公園は右手。

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十郎

ぐるっと一周 (2018/06/16 訪問)

お城というか歴史的建造物ですかね。
意外と広い。

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カズサン

【最上稲荷と吉備津神社】岡山県岡山市 吉備路廻り (2011/07/16 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、鬼ノ城、雪舟寺宝福寺を終えて、前日備中高松城資料館を見学して無かったので寄り見学、資料を頂いた後、混んでましたが駐車出来ましたのでガイドマップで目星を付けていた「手打ちうどん・よこた」で昼食し表記寺社に参拝。

 ・最上稲荷は三大稲荷の一つ、他は京都の伏見稲荷、愛知の豊川稲荷。
  山門がインド風の建造物、高台に在り見晴らしも良い

 ・吉備津神社は吉備津彦命を祀る岡山県最古の神社。
  比翼入母屋造りの本殿、拝殿は国宝、回廊が約400mも有り神秘的な雰囲気。
  鳴釜の神事、桃太郎のモデル吉備津彦としても有名です。

 ・吉備路には今回寄りませんでしたが吉備の国を代表する古墳「造山古墳、作山古墳、こうもり塚古墳」が有名で、造山古墳は仁徳、応神、履中天皇陵に次ぐ全国4番目の前方後円墳です。

 ゆっくりと吉備路を廻りまほろばの古を体感するのも心の健康をつつがなく保っていく一つと成る事でしょう❣

 この後は還暦同窓会を済ませて3年後の中学同窓会(同級会)を明日17日(日)に控えて岡山道、中国道、鳥取道経由して故郷鳥取へ帰郷です、相前後しての城廻りも大切な時間です。

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カズサン

【備中・宝福寺】岡山県総社市 雪舟寺として有名 (2011/07/16 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、古代山城鬼ノ城を汗かき大満足で終えて下城して、直ぐ西の画聖雪舟が修行した寺として有名な宝福寺を参拝探訪しました。
 真夏の日中でしたが木々に覆われて凛として涼しさを感じました、車は宝福寺参拝者駐車場を利用。

 裏手の駐車場利用でしたので参拝ルートは、旧国宝三重塔、仏殿、天井の龍の画は水飲み龍、方丈、方丈前に雪舟修行時代に柱に縛らり付けられ涙を足で描いたネズミの逸話は有名で小僧さん姿の雪舟石像が設置、雪中碑、説明文で理解しましたが表面の文字、画は良く観えません、参拝途中の白い睡蓮はホッとします。

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イオ

2021年マイベスト5城!

まっぴーさんに乗っかって、今年もやります2021年マイベスト5城!

今年もコロナ禍で城めぐりしづらい状況ではあったものの、とりあえず私の住む県では緊急事態宣言もまん延防止重点措置も出されることはなかったので、宣言等が発令中の地域の城には行かない(仕事のついでは可)ことを条件に、のべ73城に登城しましたが、その中で私の印象に強く残った5城は…

第5位 下坂氏館(滋賀県)

戦国期の城館の姿がほぼそのままに遺っており、今後、他の城館跡で往時の姿を想像する際にイメージの元になってくれそうです。ガイドさんたちも親切に丁寧に案内して下さり、地元に大切にされていることを実感しました。

第4位 大和郡山城(奈良県)

再建された極楽橋ももちろんですが、そのままではいずれ消滅してしまう外堀を、治水整備や公園整備、道路整備に活用しつつ後世に存在を伝えていこうとする取り組みに感銘を受けました。

第3位 彦根城(滋賀県)

城内はもとより城下にも見どころ満載で、足軽組屋敷の辻番所は大変見応えありました。3年続けての登城ながら、一日かけてとことんめぐってみてますます好きになりました。国宝天守に庭園に博物館に城下町にひこにゃんにグルメに……最高ですよね。

第2位 新宮支城・望月城(滋賀県)

どうしても一方だけを選べなかったので、2城まとめて。いずれも非常識なまでの高さと分厚さの土塁で四方を囲んだ城館で、ぜひ現地でこの圧倒的なスケールを体感していただきたく。こんなもの凄い土の城が徒歩圏内にいくつもある甲賀は楽しかったです。

第1位 小谷城(滋賀県)

一日ではめぐり切れずに二日(一日半)を要しましたが、寄り道した先々で思いがけない石垣に遭遇したり、寄り道しがいのある素晴らしい城でした。石垣に土塁に堀切に竪堀に眺望と、山城の見どころを全て詰め込んで、紅葉も綺麗だった小谷城が今年のマイベストです!

…その他、安土城や安宅氏城館群なども印象的でしたが、5城(6城ですが)となるとこんなところで。今年も遠征はできていませんし、近隣でも京阪神三府県は宣言等が出ている期間が長かったので、自ずと滋賀県中心の城めぐりになりましたが、計23城をめぐってもまだまだ行きたい城が山ほどある滋賀県はすごいなぁ、と改めて。

では皆さま、来年こそは、今度こそは心置きなく城めぐりできる一年になることを祈念しつつ、よいお年を!
 

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todo94

痛恨の一撃 (2021/11/13 訪問)

岡太神社がその故地。小松内府・平重盛ゆかりの城と云うことで供養塔があります。大河ドラマ「平清盛」では、その後の朝ドラでブレイクした窪田正孝さんが演じていました。最終回の視聴イベントは良き思い出です。視聴率は低かったけど個人的には真田丸と同じくらいに楽しめた大河ドラマでした。

そしてここでもやらかしてしまいました。城址碑ノーチェックです。

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やま

優美な平城③ (2021/12/27 訪問)

大和郡山城は何度か訪れていましたが、再建された極楽橋は見学したことが無かったこともあり、出張の帰りにちょっと寄り道。今回は裏手側から、竹林門前を通過し堀沿いに大手門へ。大手門、大手向櫓、大手東隅櫓を見物したあと毘沙門曲輪を抜けて極楽橋へ。青空のもと復元された極楽橋は美しかったです。極楽橋を渡り、白沢門跡~天守台を見学しましたが、平日であったこともあり、人がいなかったので写真撮影に熱が入りました。古都奈良の大和郡山城はいつきても独特のオーラがあり、気持ちが落ち着きます。

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刑部

主郭部は神社 (2021/12/19 訪問)

茨城県の最東北にある車城址、田園の中にある小高い山に築かれてます。車城址の案内板を辿ると入口に着きます、路肩の広い所に車を止めて登城しましたが頂上の神社まで車で行けそうでした。軽自動車四駆なら何とか大丈夫だと思います。神社を補修してるので軽トラが上がってる様子でした。ちなみに歩くと10分程で神社です。途中井戸跡の表示あり他特に目立った遺構は見つかりません。

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まーく

加賀攻城編 ④波佐谷城 (2021/12/25 訪問)

一向一揆勢が居城したと伝わる山城
天正8年、織田方の武将柴田勝家に敗北した
宇津呂丹波・藤六の親子が城主と伝わる

駐車場はなく、公民館前に駐車させていただきました

御城印は那谷寺前の那谷食堂花山亭にて販売
こちらでは大聖寺城、松山城、小松城、岩倉城、
御幸塚城の御城印が購入可能です

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まーく

加賀攻城編 ③蓮台寺城 (2021/12/25 訪問)

公には認定されていない城址のようです

大正時代になって氷室として利用されたであろう穴倉が
ありますが、遺構はほとんど残っていません
竹林の中の登城は気持ちよかったです

道の駅こまつ木場潟の向かいにJAがあり、その左手の塀沿いに
進んで、バイパスのガードをくぐると駐車できるスペースあり
ただし大型車は無理かもしれません

御城印は鳥越一向一揆歴史館にて販売
こちらでは和田山城、虚空蔵山城、高尾城の
御城印も購入可能です

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まーく

加賀攻城編 ②御幸塚城 (2021/12/25 訪問)

別名『今江城』と呼ばれた城址だが
現在は今江小学校グラウンド脇に石碑が残るのみで
遺構は残っていません

一段下に公園があり、そこに車2〜3台駐車できる
スペースがあります

御城印は那谷寺前の那谷食堂花山亭にて販売
こちらでは大聖寺城、松山城、小松城、岩倉城、
波佐谷城の御城印も購入可能です

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ふゆづき

混迷する最後の城 (2021/12/19 訪問)

武田家最後の城となった新府城に10年振りに訪問しました。
これまでの訪問は、車で行っていたのですが、今回は青春18切符が使える時期を待って電車で訪問してみました。
最寄りの駅は「新府駅」ですが、無人駅ですので、地図を見ながら方向を確認した方が良いでしょう。
駅を出て(下りのホーム側)、新府城の方角案内に沿って10数分桃畑の中を歩くと、小高い丘が見えてきて、新府城に到着します。
駅かた来た場合、大手門方面や本丸に向けた階段でアクセスしがちですが、今回は出構を右手に見ながら搦手門から登城することとしました。
搦手門から虎口をとおり、帯曲輪に向かうと、城内から東西の出構を確認しつつ、大手門方面に出ることができます(西出構には解説板もついています)。
最初にこの城に来たときから、この出構について疑問があります。これまで読んだ解説では、この出構は横矢掛のために作られたとありますが、この構では塀を巡らした上で兵を配置するほどの十分な幅がなく、一寸中途半端な存在でしかないと思っていたのですが、どうなんですかね。
二の丸、本丸と城内を進んでいくと、二の丸に馬出(図面を見ても現地を見ても丸馬出とは思えませんが)を確認することができます。
本丸の面積は広く、搦手方面には八ヶ岳を望み、大手門方面には樹木の伐採が十分になされているのであれば、富士山を望むことができたのだと思います。
本丸から食い違い小口、三の丸を経て大手門枡形と三日月堀に囲まれた丸馬出に向かいます。
東西に別れた三の丸は、樹木が生い茂り東西の区分が困難ですが、大手門枡形と丸馬出は状態良く復元されています。
この枡形の間からは富士山を望むことができ、また甲州街道に向かった大手門からは、kの城を中核として領国支配を考えた末期の武田氏の考えが良く理解できるように思います。
この城についてのもう一つの疑問は、何人くらいの城兵を入れるつもりだったのかという点です。
確かに武田氏の城とsては、大きな方ですが、末期とはいえ100万石以上の領国を有していた大名の主城としてはいささか小規模であるように思います。
城域の拡張計画はあったのだとは思いますが、現存する城郭の範囲とすると、大凡3000~4000人位の守備隊がいれば十分であり、小田原城のような規模ではありません。
そのように考えると、未完成(半造作)という点は差し引いても、その規模といい、出構といい、いささか中途半端な主城ではないかと思わされる再訪でした。

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まーく

加賀攻城編 ①小松城 (2021/12/25 訪問)

一向一揆勢が築いた城砦
一国一城令で一旦廃城となるが、寛永16年
加賀藩3代藩主前田利常の隠居城として
例外的に幕府から認められ復活

駐車場はありません
小松高校のグラウンド端に天守台が残っています
切込ハギの石垣が美しい

御城印は那谷寺前の那谷食堂火山亭で販売
こちらでは他に御幸塚城、岩倉城、波佐谷城、
大聖寺城、松山城の御城印も購入可能です

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todo94

大社小学校の一角 (2021/11/13 訪問)

この近辺は駐車スペース見いだすことが全くできません。大社小学校の一角にある城址碑と説明板の写真を自動車に乗ったまま撮影するというのも一つの手かもしれません。

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いんげん丸虫

上入野城 茨城県城里町 (2021/12/05 訪問)

小松寺の背後の山頂に横堀が巡った広い主郭に曲輪、すぐ裏手の尾根にも堀切、土塁が
あります。
山頂の遺構は壮大でちょっとしたハイキングコースのようになっていて明確です。
南、東の堀切や段曲輪も良いのですが、残念ながら藪でもったいない状態ですね。
小松寺に駐車可能で10分位の登りで着きます。横堀が見どころで、お薦めです。

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やま

古都の遺構 (2021/12/27 訪問)

稗田環濠は、大和の環濠の代表例として有名で、教科書などで見ていましたが、今回初めて見学に行ってきました。
周囲を歩くと環濠の形態がよくわかります。東西約260メートル、南北約260メートルの規模でなので回りを歩いても15分程度で一周できます。北東側は七曲りよばれる特異な形をしています。西側と南側は幅広くつくられています。
内部も探索しましたが、東西、南北に大きな道がとおり、そこから細い道がのびています。道はT字形に交差したり、袋小路になっていて、遠くが見通せないようになっており、防御に適した構造になっていました。集落の東南には売太神社があり、神社を中心として環濠が発達したのがわかります。環濠は改修され水が湛えてられており、濠の法面も整備されていました。家屋も切妻造りで草葺と瓦葺の屋根が組合わせてある白壁の大和棟が残っており、古都を感じる素晴らしい場所で癒しがありました。

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