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ぴーかる

中世総構え編 (2022/10/08 訪問)

【百名城62城目】
<駐車場他>城山陸上競技場の南側<35.253790, 139.145827>の駐車スペースを利用
<交通手段>車

<見所>小峯御鐘ノ台大堀切・三の丸外郭新堀・総構稲荷森
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅3城目。中世の外郭遺構と近世城郭が並存する大城郭なので今回は2回に分けて投稿させていただきます。
 初日に石垣山城のあと夕刻の暗くなるまで時間が余ったので前倒しして大堀切・総構えを巡り、残りを2日目の早朝に北条氏政・氏照墓所・東曲輪などを巡りました。
 1日目:上記スペースに駐車して徒歩で巡りました。三味線堀→三の丸外郭土塁→小峯御鐘ノ台大堀切東堀→小峯御鐘ノ台大堀切中堀→小峯御鐘ノ台大堀切西堀→総構香林寺西土塁→総構稲荷森→総構山ノ神堀切・西堀→総構土塁遺構
 2日目:三の丸土塁遺構→北条氏政・氏照墓所→小田原駅前の北条早雲公像→八幡曲輪石碑(城山中学校が八幡曲輪か?)→八幡山古郭東曲輪→古城本丸跡は住宅地になっていて何もない。小田原高校を含む一帯が詰め城主郭部分と思われます。→小田原城の北西側小田原停車場線から右回りに周囲を巡りホテルに戻りチェックアウトして近世小田原城に突入しました。

 勘違いしていたのが総構えの堀や小峯御鐘ノ台大堀切は外郭のでっかい堀があるだけだと思っていましたが、大堀切の名だけあって堀切、土塁の内側に広い曲輪が広がっていました。1つの堀切に1つの城郭に相当する規模で圧倒され感動です。このスケールでは力攻めで落とせるわけないなと実際見てわかりました。つづく・・・

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サボテン

夕日に照らされて 一段と漆の色が生えます (2022/09/14 訪問)

念願の松本城へ行ってきました。天気が良く、ゆうひに照らされて 外壁がとても美しかったです。

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侍ホリタン

2022年秋、紅葉の名城を訪ねて② (2022/11/12 訪問)

姫路城のこの時期は桜の紅葉が最盛期を迎えます。

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橋吉

織田信興最期の地 (2022/10/30 訪問)

古木江城は、伊勢長島の一向宗の抑えとして永禄年間に織田信長の4番目の弟・織田彦七郎信興によって尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)に築かれました。

「道の駅立田ふれあいの里」に隣接する川を挟んですぐ西にある富岡神社は城の鎮守として置かれたと考えられています。
クルマ数台とめられるスペースはありますが、道が狭く舗装されていないので、クルマの運転に不慣れな方はもちろん、二輪車でもダート走行が不安な方は、道の駅に駐車して歩いて来られるのがよろしいかと思います。

鳥居横に史蹟碑と案内板が置かれています。
神社の北には蓮田があります。
このあたりは蓮根栽培が盛んなことに加えて、近年はその美しい花を観光資源として売り込んでいます。
当時、蓮田があったかどうか分かりませんが、存在していれば馬や兵の進行を足止めするのに一役かったと思います。

神社の周囲は、数段の石垣が囲んでいますが、近年土止めとして設けられたものであり、遺構はまったく見つかりませんでした。
それどころか城の範囲も不明だそうです。

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kaz

御城印目的の駆け足旅

今回で3回目か??

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朝田 辰兵衛

散策時間は5分もいらないが… (2022/11/03 訪問)

散策時間は5分もいりませんが,景観に馴染みすぎており,遠景ではなかなかわからないと思います。遠くからだと,パネルが目立ちますので,しっかり記憶されたほうが宜しいかと思います。

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侍ホリタン

2022年秋、紅葉の名城を訪ねて① (2022/11/12 訪問)

昨年も同時期に訪問しましたが10日ほど早かったので紅葉はまだでした。本日は紅葉が見ごろで雲海も見れてラッキーでした。天守へは雲海展望台から遊歩道利用で約1.5キロ、約30分で到着できます。

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BUGTI

周布氏の居城 (2022/11/10 訪問)

館跡と思しき麓の聖徳寺の境内に案内板がありましたが、せっかくの案内がわかりにくい場所にあるのが残念です。墓地を上がって南の尾根伝いに頂上へ登ると堀切があります。頂上は主郭となっていて、その周りをぐるっと帯曲輪が囲っています。土塁のようなものや竪堀もあるのですが、お城特有の矢竹や藪に阻まれてなかなか近づけません。私有地でしょうから整備を望むのも無理というもの。見学できるだけでもありがたいことです。

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AJ

神の視点 (2019/11/30 訪問)

米子城(鳥取県米子市)。この時期、神様でごった返すのはお隣の島根県で、鳥取はむしろ水木先生のおかげで年中、妖怪でいっぱいのはず。それはそうなのですが、そんなゲゲゲワールドにあって神話の世界が垣間見えるのがこの城です。

標高90mに豪放な天守台が並立する珍しい史跡。元は毛利の城でしたが、関ヶ原後はその毛利への抑えとなったため、一国一城令後も破却されずに残ったレアな支城です。

そして、そこから一望できるのが「美保関〜弓ヶ浜〜大山」のライン。いわゆる「国引き神話」で描かれる出雲拡張計画の一部。ある神様が海の向こうから土地を引っ張り、本土に縫い合わせて島根半島をつくるという超越ストーリーですが、実際に大パノラマでこの地形を眺めていると、フィクションを信じたであろう古代人の心理を感じられなくもありません。

さて異形の天守台。左の小天守台は慶長の初めに吉川広家が築き、右の大天守台は関ヶ原を受けて毛利・吉川が移封されたのち、駿河から入った中村一忠によって増築されたそうです。小天守台の石垣は幕末に積み直されたため、打込接で隅部は算木積になっていますが、元は大天守台のような野面積だったと思われます。

また近年の調査では登り石垣(竪石垣)が見つかりましたね。これは秀吉の朝鮮出兵の名残でしょうか。広家は従軍してますから、倭城の普請で得た知見を持ち帰ったのだと思われます。多くの倭城同様、米子城も船着場を確保した平山城。遮断線であるのと同時に、麓の補給口と山上の本丸の一体化を図る目的で造られたようです。

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BUCHI38

石垣観察編 (本アカ、POYO58の続きです) (2022/10/23 訪問)

さて二の丸を出たら次は出丸へ。出丸には観音寺城のような大石垣がありました。この石垣は山麓からも見えたのですが、そこから撮るのを忘れてしまいました。出丸はどうやら下に石垣を築いているので櫓が建っていたのかなと思いましたが、実際のところどうか分かりません。礎石らしきものは少し見つけましたが。出丸の眺めはめちゃくちゃ最高です。出丸からは西の湖が見えます。おそらく京都も見えたと思いますが。その後、北の丸へ行きました。そしたらまたしも石垣、勾配の効いた石垣でした。ワクワクします。北の丸からは綺麗な琵琶湖が見えました。北の丸の景色も負けてない。その後、瑞龍寺に行き、スタンプを押しました。瑞龍寺周辺にも大きな石垣がありました。

恋の聖地で有名である八幡山ですが、標識は少ないもののはっきりと石垣が残っていたのでわかりやすかったです。高取城もそうだったのですが、やっぱり、豊臣秀次も城つくりの名人ではないのでしょうか?今回の城巡りを通して、秀次にも興味を持ちました。

さてこの次は北ノ庄城へと歩いて行きます。続く

評価
遺構★★★
建物-
行きやすさ★★
全体★★★

攻城時間
1時間30分くらい

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るるパパ

5回目です (2022/10/30 訪問)

山頂の西の丸の石垣周辺の木が切り取られ石垣のスケール感がわかるようになりました。地元の皆さんに感謝。丹波最高の山城です。1597年に廃城ということで、そのままに残っています。ここまでリアルを感じる城は他にありません。木の根っこに侵食されて崩れた石垣の姿も自然です。キレイすぎる竹田城(後世の人の手がかなり入っている)より価値があると思います。また黒井城よりも土木量が多く壮観です。瓦の数もすごいです。車がないと厳しいですが、和田地域づくりセンターの駐車場に止めて和田小学校経由で、ぜひチャレンジしてください!

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るるパパ

見たことない形で感激です。 (2022/10/24 訪問)

城が4つ、それぞれ独立してあり、深い堀に囲まれています。高低差30メートル以上あると思います。段を重ねて上から防御するのが普通なのに、1つ1つが独立(孤立?)することに、どういう意味があるのか、興味深いです。色んな城があるなあと興奮しました。ちょっと小幡城的個性を感じました。

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るるパパ

でかいです。 (2022/10/27 訪問)

元は有馬氏の居城でむちゃくちゃ広いです。特に二の丸が。高低差を巧みに利用し、堀も深い。20mぐらいあります。幕府軍が攻めあぐねた理由がわかりました。時間がなく1時間ほどで見て回りましたが、なぜ有馬氏の廃城にすんなり一揆軍が入れたのかなあと思いました。

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POYO58

続日本100名城スタンプ巡りNo.1(再攻城) (2022/10/23 訪問)

久しぶりの投稿です。さあこの日からスタンプデビューを果たしました。これから頑張っていくのでよろしくお願いします。
近江八幡城は豊臣秀次が築いた石垣のお城です。この城がつくられたのは小牧・長久手合戦の後で、家康との和睦を済ませていない頃、秀吉が指揮して築かれました。相当な緊張下で築かれているため、堅固な山城となっていました。

山頂まではロープウェイで行けますが、ハイキングコースを使っていくこともできます。ただハイキングコースはあまりおすすめしません。八幡山城までがだいぶ遠いです。ロープウェイは片道500円、往復850円でした。ロープウェイで登る前に少し八幡堀を見てから行きました。ロープウェイの道のりは短く、あっという間に着きます。

山頂に到着すると最初に見えてくるのは二の丸の大きな石垣。ここは見どころと言ってもいいでしょう。野面積みの石垣が建っています。そこで道は二つに分かれています。そばに階段があり、それを登ると恋の聖地にたどり着きます。城全般がいい方は階段を登らず、もう一つの道をまっすぐ歩いた方がいいです。そこをずっと行くと出丸にたどり着きます。

では出丸の情報は次の投稿で 続く

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チェブ

北条氏?んんっ?ダンシング オール ナイト! (2022/11/06 訪問)

3回目の「片倉城」。
*久々の投稿で、脱線していきます。ご注意下さい。

前回はポケモンGOの方々が、入口から 陣を構えていたので、足早に本丸・二の丸へ進軍してしまいました。今回は駐車場も空いていてスムーズなスタートです。
入口にはアート作品があり、芸術がよく分からない私は、城主の誰かの銅像も あればいいのに、と思いました。水車小屋方面に向かうと離れた所に像があり、今度こそ北条氏かと思い近づくと、『ダンシングオールナイト』という題のアート、、、。写真②です、、、。
左手に水車小屋を眺めながら本丸を目指しました。

「片倉城」は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出演中の大江 広元さんが和田合戦の後、領地にしたそうです。
定かではないようですが、ドラマの中の大江 広元さんは素敵なので、大江氏が治めた事とします(←TVの観すぎです)
その後、大江氏を祖とする長井氏、それから北条氏が「八王子城」や「滝山城」の支城にしたそうです。

大きな二の丸と、小いちゃい本丸は親子が遊んでます。その回りは堀や土塁がありました。
神社には銀杏の木が。ギンナンを踏んでしまって、帰りの車中は、、、。
お気を付け下さい。

私は10月の初旬より、目眩と仲良く過ごしていて、出掛けたりスマホを長い時間 見ることが出来なくなりました。
この「片倉城」攻めも、近くで食事をして店名を見て気が付き、行きました。
ふふふっ、私も、城びとでした。
スープカレーの『奥芝商店 八王子 片倉城』という店名です。昭和レトロな内装でビートルズが流れてました。カップルも家族連れもいます。
あっ、お一人様の男性客も3人いらっしゃいました。
半分位、食べた時に写真を写すのを忘れた事に、気が付きました。すいません。
「片倉城」攻めの際、いかがでしょうか?

病院巡りばかりで歩かなかったせいか、筋力低下した10月。
『ダンシング オール ナイト』の像の前で、その体力が羨ましいと、思った「片倉城」ふわふわ散歩でした。

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赤い城

家康が設けた御殿 (2022/10/16 訪問)

越谷駅から徒歩で15分くらい。
元荒川沿いに石碑があります。
説明が書かれた皮もそばにありますが遺構はありません。
日光街道の宿場町に家康が置いた御殿ですが明暦大火で消失しました。
わざわざ行くこともないかと思いますが他にも歴史を感じられるところもあるようなので越ヶ谷を訪れた際に寄り道でどうぞ。

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村木砦 (2022/11/12 訪問)

 愛知県東浦町にあり、今川義元が尾張を攻略するために築いた砦です。城びとは未登録です。織田信長は水野信元と共にこの砦を落とした村木砦の戦いでは信長自ら鉄砲を撃ったとされています。戦後、信長は負傷したり死んだりした部下のために涙を流したと信長公記は伝えています。信長は出陣するときに那古野城の留守を齋藤道三に依頼し、道三は安藤守就らを派遣しました。あまり有名な戦いではありませんが、信長にとっては重要な一戦だったと思います。以前から気になっていたので行ってみました。
遺構はありませんが、八剱神社に石碑と案内板がありました。堀跡が道路として利用されています。

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まめ五郎

広ーい (2020/06/20 訪問)

広ーいスペースですね

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まめ五郎

再訪問 (2022/10/08 訪問)

100名城スタンプ開始1番目のお城で、御隅櫓の来場スタンプを100名城スタンプと勘違いし押印していた為、再度登城しました。

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赤い城

中曽根神社 (2022/10/16 訪問)

西新井駅から徒歩で15分。
中曽根神社が城跡です。
境内には石碑と説明が書かれた石碑が置いてありました。
遺構は残っていませんがかつて行われた発掘調査やレーダー探査では土橋や曲輪があることが判ったそうです。
千葉氏の築城で城内に祀られた妙見社が中曽根神社の始まりだそうです。

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