正法寺山荘は永正年間(1504~1521年)の初めに関氏によって京都大徳寺の末寺
として築かれたと伝わります。
羽黒山を背に三方を小野川が天然のほりとなって囲んでいます。
主郭に当たる部分は中央土檀(本堂のことですかね)となっており
周囲を郭で取り囲んでおり、郭間は土塁で区切られ今でもその土塁が
残っています。
面白いのは北東の郭と北西の郭を区切っている土塁が左側に傾くように続き
それが途中で途切れているのでカタカナのレの字のようになっているんですね。
郭の外側に城域を囲うように堀と土塁が続いていて
城域の中にはいくつか井戸も残っているようです。
+ 続きを読む