しょうぼうじさんそう

正法寺山荘

三重県亀山市


旧国名 : 伊勢

投稿する
①虎口と土塁
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)5日目:正法寺山荘 (2024/09/26 訪問)

津駅からJRで亀山駅に向かい、そこから三重交通バスで白木口バス停に着きました。
白木口バス停から徒歩30分ちょっとで、正法寺山荘(34.865806、136.390242)に着きました。

築城年代は定かではないようが、永正年間(1504〜1521年)に関盛貞によって築かれたようです。関氏が当初京都大徳寺の末寺として創建したそうです。

土塁、井戸、石組用水路、建物跡が確認できます。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=新所城を目指す為、徒歩で鷲山バス停に向かい、そこから三重県亀山市コミュニティバスを利用して西の追分バス停を目指しました。
ちなみに、鷲山バス停から西の追分バス停方面に向かうバスは1日3本です。65歳以上の方の運賃は半額の100円になります。(自分も半額になりました。)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

明確に土塁、石積みが残る国の史跡 (2023/06/24 訪問)

正法寺山荘は永正年間(1504~1521年)の初めに関氏によって京都大徳寺の末寺
として築かれたと伝わります。
羽黒山を背に三方を小野川が天然のほりとなって囲んでいます。
主郭に当たる部分は中央土檀(本堂のことですかね)となっており
周囲を郭で取り囲んでおり、郭間は土塁で区切られ今でもその土塁が
残っています。
面白いのは北東の郭と北西の郭を区切っている土塁が左側に傾くように続き
それが途中で途切れているのでカタカナのレの字のようになっているんですね。
郭の外側に城域を囲うように堀と土塁が続いていて
城域の中にはいくつか井戸も残っているようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

桜の名所 (2023/01/19 訪問)

三方を小野川に囲まれ天然の堀となり、背後は羽黒山が守る要害となる地にあります。土塁、石積み、井戸、石積みされた排水溝等を見ることができます。よく整備され概ね歩きやすかった。山荘へ降りて行く手前に堀もしくは堀切かと思われるような地形がありましたが、当時のものか否かわかりません。春は桜がきれいだそうです。桜も見たいのですが、城跡を見るときは花見のシーズンを避けています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

正法寺山荘 (2022/09/25 訪問)

【正法寺山荘】
<駐車場他>城跡内に8台程度の駐車スペースあり。
<交通手段>車

<見所>石垣・屋敷跡
<感想>現地説明板によると正法寺山荘は関一族の武将、関盛貞(織豊時代の関盛信の曽祖父にあたる人)が永正年間(1504年~)の初めに築いたそうです。戦国時代にあってもこの砦へは連歌師が訪れ、詩歌や茶の湯が行われたそうですから関氏の拠点亀山城の保養所的な役割の砦だったかのように思います。当時は周辺にも寺院が建ち並んでいたそうです。
 城跡は3方向に小野川が回り込むように流れており、西方向は山になっています。広い削平地に郭は石垣で方形に仕切っています。石積みの虎口や石段や暗渠・石組井戸も見られます。石は角が取れた丸みのあるもので脇にある小野川から集めたものと考えます。全体を小野川に沿うように土塁で囲んでいます。
 16世紀初頭に築造されたとは思えないほど遺構が明瞭に残されていて納得の国史跡で見応えあります。夏場に伸びきった雑草がそのままで来訪時期を間違えたのが少し惜しかった。城跡に桜が植えられているのでその時期はすごくいいと思います。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城郭情報

分類・構造 平城
築城主 関盛貞
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 関氏
遺構 曲輪、土塁、井戸
指定文化財 国史跡(正法寺山荘跡)
再建造物 説明板
住所 三重県亀山市関町鷲山
問い合わせ先 亀山市観光協会
問い合わせ先電話番号 0595-97-8877