でわまるおかじょう

出羽丸岡城

山形県鶴岡市

別名 : 丸岡城
旧国名 : 出羽

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遺構説明図 右側が北
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ぎりょう

いつ来ても楽しい鶴岡市② 加藤忠広改易後の居館 (2025/11/23 訪問)

晩秋の鶴岡市への旅、午前中は羽黒三山神社と五重の塔、手向町でかつての門前町の通りを観て、芭蕉のおくのほそ道の出羽三山滞在中にならい蕎麦切りの昼食をとりました。その後湯田川温泉へ向かう途中に、どこか城館跡訪問をと思い丸岡城跡を目指しました。熊の出没が相次いでいることから、集落に近い平城をと考えたからです。
丸岡城は旧櫛引町にあります。城は、村上、置賜へ向かう六十里超街道など交通の要衝に立地し、かつては赤川が縦横に流れ、沼地を形成した要害の地であったといいます。戦国時代に築かれ、この地を治めた押切氏、武藤氏、本庄氏、最上氏が重要拠点として利用しますが、江戸期に入り廃城となります。その後庄内には酒井氏が入部するのですが、寛永九年(1632)に肥後52万石を改易となった加藤忠広が預けられ、この地に居館を置きました。
現在は史跡公園として整備されており、かつては四方を囲んでいたと思われる堀が北側と西側に、土塁跡が北側に、大手門跡や堀跡などを観ることができます。また北側に接する天澤寺には加藤清正の遺骨を納めたという五輪塔もありますが、訪問時には冬に備えた雪囲いが施され、詳しく観ることができませんでした。

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朝田 辰兵衛

todo94さん,ご返信ありがとうございます。 (2023/01/14 訪問)

todo94さん,ご返信ありがとうございます。フライングのカズサンさんに気を使われたのでしょうか…。考える気が失せたか…?
ま,私としては,todo94さんが「暫く考えてみます」とのことでしたので,じっくり待つスタンスでいました。よって,この投稿にて解答します。
解答は,「出羽丸岡城」!
この城の最初の投稿がtodo94さんでした。一番最近の投稿はチェブさん。カルビンさんは鶴岡駅からのレンタサイクル情報を書き込まれていました。たぶん,チェブさんとカルビンさんはわかっていたのでは…と,推察します。
詳細情報は,先日のカズサンさんの投稿を参照ください。全くそのとおりで,北側の水堀を西側から撮影した画像になります。冬場の景色ということで,水堀の水位が上がり凍っています。これだけで印象が変わるかと思います。
実は,藤棚橋のある大手側(東側)は,全然除雪してなくて,吹き溜まり放置状態でした。土塁上を通って大手側に出ました。今なら,私がつけた道が残っているかと思います…<笑>。
なお,清正閣エリアは,ほとんど積雪がありませんでした。

にのまるさん,瞬殺でしたね…(ホントは私がこうなると思ってました)。実は,私もすぐわかりました。たぶん,野口雨情の歌碑から跨線橋を渡っている途中に見える景色かと思います。

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カズサン

加藤忠広公配流の地・出羽丸岡城跡 (2018/04/16 訪問)

 朝田辰兵衛さんがtodo94さんへ「この城はどこ?」と瞬殺希望の1月16日投稿(1月14日訪問)と成って居ましたが、todo94さん、にのまるさんも夫々反応が1回有りましたので、皆さんで投稿交流もいいのかな?と割り込んだ形ですが推定回答いたします。

 投稿写真は出羽丸岡城の北側水堀を西から俯瞰した写真と推定します。

 この出羽丸岡城へは5年前の平成30年(2018年)4月16日訪問して居ます、出羽未踏の城廻りで15日は70歳の誕生日、山形駅前のスナックで同年のママとお客さんで祝ってもらい、翌日月山麓の道ではみぞれ交じりでノーマルタイヤの愛車で冷や冷やした思い出が過って来ます。

 朝田辰兵衛さんの写真を見て、出羽丸岡城と佐久の伴野城が頭をよぎましたが13重の石塔が目に入り、出羽丸岡城の脳内メモリーには石塔のイメージが無く、城びとの昌官忠さんの投稿写真で石塔を確認、私の撮影写真でも石塔を確認し、此処だなと推定に至りました。

 出羽丸岡城は加藤清正公の嫡嗣忠広公の配流先、曇りで雨模様気味と物悲しい気持ちにも成った所でした、でも桜は綺麗に咲き出羽山地の残雪に相まって物静かでも綺麗でした。

 割り込んで申し訳ない、でも出羽丸岡城跡を5年振りに振り返る事が出来て楽しい事でした。
 

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チェブ

加藤 清正さんのお墓の巻。 (2020/09/21 訪問)

「丸岡城」の予習もせず、車を走らしていると道路脇に多きな「加藤 清正公 墓所」の案内板を見かけました。
「丸岡城」に到着するとお隣の天澤寺が清正さんの墓所のようです。

清正さんが亡くなり忠広さんが庄内藩の酒井家にお預けになりました。30歳代の頃です。
理由は忠広さんの息子 光広さんが謀反の連判状を作って遊んでたそうです。光広さんは蟄居し翌年に病死します。
他にも忠広さんが徳川 家光さんの弟と仲が良い等々です。
次男 正良さんは真田家にお預けの身になりました。
後に父、忠広さんが亡くなると正良さん自刃ました。

清正閣という小さなお社の下からは 加藤 清正さんの甲冑が出てきたそうです。
清正閣で使われている石は熊本産です。
遺骨は「丸岡城」でもある忠広館の庭に埋葬したようです。
忠広さんのお父様への想いが強いです。
清正さんの朝鮮出兵の時の虎退治は有名です。石製の、かわいい虎がいます。清正さん、虎之介ですしね。
そして、酒井家の懐が深いって思いました。

実は「丸岡城」より清正さんのお墓の方が観光客が多かったです。
さすが、加藤 清正さん!です。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 押切備前守
築城年 戦国時代
主な城主 押切氏、丸岡氏、武藤氏、上杉氏、最上氏、酒井氏
廃城年 元和元年(1615)
遺構 土塁、堀
指定文化財 県史跡(丸岡城跡及び加藤清正墓碑)
再建造物 石碑、説明板
住所 山形県鶴岡市丸岡字町ノ内68他
問い合わせ先 山形県文化財保護推進課
問い合わせ先電話番号 023-630-3341