浜松城に令和5年初の登城をして浜松城古城引馬城に東照宮がありますのでここにも初詣と寄りました。
引間城は浜松城公園駐車場から国道152号線を越えて東に樹木が茂った小高い所が浜松城古城引馬城跡です、引馬城は曳馬城、引間城とも呼称されて居ます。
引馬城は今川氏時代飯尾氏が治めており、現在の5月浜松凧合戦祭りは飯尾氏の長男誕生を祝う凧揚げが発祥と伝わって居ます、城域の構造は三方ヶ原台地の南側先端の北東に突き出した丘陵に田の字のように曲輪を4ヶ所設けて堀で夫々囲み、特に東側の堀が大きかったようです。(古地図絵図を見ると)
虎口で有名所は引馬城の北口に当たる玄黙口(元目口)です、ここは三方ヶ原合戦で家康が命からがら逃げ込んできた虎口として有名です、その前には北東約500m程の所に在る八幡神社楠の木のむろに潜み難を逃れ、更にその前には敗戦を心配し駆け付けた夏目次郎左衛門が家康の身代りと成り、現在布橋犀ヶ崖資料館の近くに夏目次郎左衛門の石碑が立って居ます、尚夏目次郎左衛門は明治の文豪夏目漱石の先祖との事。
もう一つの虎口は引馬城の東口に当たる霜垂口(下垂口)食違い虎口と成って居り、浜松城に取り込まれたましたが江戸期以降も東口の一つとして下垂口として残りました。
現在は四曲輪の内北西に当たる曲輪(本丸)に明治期に元城町東照宮が勧進されて居ます、元城町集会所、解説板、城名石碑も設置されて居り、平成26年頃発掘調査もされて、周辺の土塁、家康時代の遺物も発見されても居ります、その後同地に二公像(若き日の家康、松下家に仕えた時代の秀吉)が据えられています。出世の街浜松の宣伝かも像の間に入り写真を撮って居るようです。出世を願う方はどうぞお越しいただき写真撮影を!
堀は道と成り他の曲輪は住宅と成り開発されて居ます。
元城町東照宮初詣で久しぶりに引馬城跡を散策しましたので撮った写真を投稿します。
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