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ばばよ

解説石碑あり (2022/05/29 訪問)

宮城氏館同様、神社内石碑、遺構なし、ターミナル駅からアクセス悪いという城跡ですが、こちらは城跡を明記した石碑あり、また解説もあります。

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ばばよ

神社に石碑 (2022/05/29 訪問)

都内によくある、神社内に石碑のみ。
川の中洲にありますが、昔は氾濫などで川の流れがよく変わったので、遺構がないのはやむなしかと。
ターミナル駅からのアクセスもよくなく、案内板もないので、遠方在住の方には推奨度低めです。

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カズサン

置塩城跡山麓公園より眺める (2022/10/24 訪問)

 感状山城跡の山麓、羅漢の里周りを後にして播磨の山中を東方向に走り置塩城跡を目指す。ガイドは古城盛衰記さんとグーグルマップに依り夢前川沿いにある登城口をナビの目的にする。
 登城口前には道沿い川側に10台程の駐車エリア(34°55'05"N 134°40'38"E)が有りました。
 登城口には置塩城跡の解説板、石碑、看板、標識が設置して有り、資料箱には令和4年第27回置塩城まつりのチラシ10月30日が置いて有りました、置塩城まつりの幟が川沿い通りに多数たなびいて居ました、資料箱には置塩城跡ガイドパンフレットは品切れでした、入手出来ず残念です。
 登城口には害獣除けゲートが有り開閉して登城に成って居ります、しかし山頂、本丸への登城体力気力は有りませんので山麓で赤松氏の山城の雰囲気を味わって帰りました。
 また登城口より奥に約150m行きますと櫃蔵神社がありトイレと路肩に3台位は駐車可、神社の隣奥に置塩城跡山麓公園が駐車場と併設されて広く設置されて居ます、山麓公園より置塩城跡の山容が良く眺められました、しかし閉鎖中、何かイベントがあった時に開放するのでしょうか?
 皆さんの山頂、曲輪、堀切など遺構の投稿写真を眺めて登城気分を味わいたいと思います。
 

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イオ

勝竜寺城公園 (2022/10/02 訪問)

京都盆地の南西端、小畑川と犬川の合流点に築かれた平城で、西国街道と久我畷が交差する交通の要衝に位置します。室町期に陣城として活用されていた勝龍寺を戦国後期に三好氏が恒常的な城郭化し、織田信長の上洛により三好氏が追いやられると、細川藤孝が城主となって現在見られる織豊系城郭に改修しました。藤孝の丹後移封に伴い城代が置かれましたが、本能寺の変により明智光秀の支配下となり、山崎の戦いで光秀が敗走した後は廃城となりました。

本丸と沼田丸は勝竜寺城公園として綺麗に整備されていて、本丸の周囲は水堀と土塁がめぐり、土塁の上には土塀、北東隅には模擬隅櫓が建てられています。南側虎口(南門)から本丸に入ると、正面の模擬櫓(管理棟)2階は歴史ミュージアムとして細川藤孝・忠興、明智光秀・玉を中心とする史料等が展示されていました。忠興と玉は勝龍寺城で新婚時代の数年間を過ごしたことから、本丸には細川忠興・玉(ガラシャ)像が建てられており、「ガラシャおもかげの水」と呼ばれる地下水100%の水道水を飲むことができます。本丸内には4か所の井戸が確認されており、川に囲まれた地だけに水は豊富に得られたようです。
本丸北西部の枡形虎口(北門)には石垣が設けられており、積み直しされているものの下段部分には往時の石垣が遺っています。山崎の戦いの後、勝龍寺城に撤退した光秀は坂本城を目指して北門から落ち延びたと伝わります。北門をはじめとして勝龍寺城の石垣には転用石が多く用いられていて、発掘調査で出土した石造物が北門脇に集めて展示されています。本丸西辺の巨大な土塁上には「殿主」があったと考えられ、建物土台とみられる石垣の基底部も発見されています。かつては南に張り出して南門に横矢が掛かるようになっていたようです。

本丸西隣の沼田丸も公園化されており、井戸跡と駐車場(無料・10台ほど)、広場があります。本丸と沼田丸の間には水堀と帯曲輪があったようですが、現在では堀の名残の水路が見られるくらいです。

勝龍寺城には4年半ほど前に登城していますが、当時は(今も?)お城の見どころがわかってなかったこともあり、枡形虎口や西辺土塁なんて全く記憶に残っておらず、再訪ながら思いのほか新鮮な気持ちで見て回ることができました。勝龍寺城は細川藤孝の改修により周辺の集落を含む惣構となっていますので、今回は勝竜寺城公園だけでなく惣構内もめぐってみるとしましょう(続く)。
 

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にのまる

足柄神社から狩川を超えたところの小山 (2022/10/23 訪問)

足柄城からの帰り、「柄沢」バス停で下車しました。地蔵堂~関本(大雄山駅)間は本数があるので途中下車しても大丈夫です。
丸山城は林道に囲まれた小山で、林道をグーグルマップの登城口ポイントあたりまで行ってみましたが登り口も見当たりませんでしたし興味だけで踏み込んでいいところとも思えませんでしたのでそこまでとしました。
踏み込めなかった代わりに遠景を撮ろうとよさげな場所を探していたら狩川沿いにベンチがありました。あたりはのどかな里山で、ここからの眺めがほんとうにすてきでした。石垣や堀跡、土塁などのパーツもいいけれどこうやって少し離れたところで眺めながら想像するのもよいなと思いました。

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赤い城

本丸跡には長姫神社 (2022/10/10 訪問)

東濃の城を廻り力尽きたこともあり、飯田市に宿泊。
ホテルから徒歩で数分のところにあったので早朝に訪問。
まずは水の手御門跡の石垣を見学しました。
結局ここが見どころだったと思いました。
二の丸は整備されていて美術館が建っていました。
橋を渡った先の本丸跡には長姫神社が建っています。
小笠原氏庶流の坂西氏が築城したとされます。
戦国時代には武田氏、織田氏が支配、その後幕末まで存続した城です。
この時期、近くでは松茸シーズン。
物色しましたが手は出ませんでした。

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カズサン

登城口麓を訪ねる (2022/10/24 訪問)

 赤穂城初二之丸庭園鑑賞を終えて播磨の有名な山城「感状山城」を目指す、ガイドは古城盛衰記さんに依り県道44号線を北上し羅漢の里を目指して道沿い川沿いの第一駐車場(34°52'33"N 134°26'46"E)を利用、30台位は可能。
 感状山城山頂まで登る体力気力は無くせめて麓位でも訪ねて赤松氏の感状山城の雰囲気でも感じたいと訪ねました。
 第一駐車場から約100m程進むと、羅漢の里石窯パン工房が有り、前には感状山城案内所しかし月曜日でお休みの様、パンフレット、ガイドマップをゲットしたかったのですが残念です。鍛冶屋川に架かる橋に感状山城跡登山口の案内指示板が有る、また桔梗隼光鍛刀場の案内板も掛かってる、橋を渡り登山口に石柱が左右に建ち、門と成って居る、周囲に感状山城登城ルートが載ってる羅漢渓谷マップ案内板も有る。
 深山幽谷の感状山城麓を堪能しました、素晴らしい渓谷です。
 
 山頂、各曲輪、石垣などは皆さんの投稿写真を眺めて体験を共有したいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 
 

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いんげん丸虫

高野平城 群馬県東吾妻町 (こうやひら) (2022/11/06 訪問)

標高737m、岩櫃城の2.5km北にあり、その砦と伝
わっています。
主に3つの平場に2つの堀切が確認できます。
南の麓にほとんど通行量のない林道があり、そこに
駐車して登城出来ます。藪漕ぎはありません。
雰囲気の良い場所でした。

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トク

【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第9回)大友館 (2022/09/23 訪問)

(鶴賀城②(戸次川の戦い)からの続きです)

大友館は、源頼朝から豊後の守護を命じられ鎌倉から移り住んだ(初代)大友能直が居としたのが始まりで、典型的な守護館(方形居館)です。それから約400年間大友氏の居館となり、「(21代)大友宗麟」(写真①)と子の「(22代」大友義統」の時に最盛期を迎え、府内も堺や博多と並ぶほどの貿易都市になったといわれています。館もこの時に最大規模になったようで、発掘調査では多くの南蛮の壺や皿などが発見されています。また、館の一角には大友氏の菩提寺である萬寿寺がありましたが、島津との戦いで焼失したため江戸初期の1631年に北へ500mの現在の地に再建されました。再建当時の山門も現存しています。(写真⑥⑦)

大友館では発掘調査の後、2030年までに宗麟時代の館を再現し歴史公園として整備する計画になっています(今からとても楽しみです)(写真③)。遺跡内には、「南蛮BVNGO交流館」(写真②)があり、ここで大友氏の歴史とかつての館の様子などが紹介されていました。

戸次川の戦いで大友・四国連合軍を破った島津家久は、この大友館に迫り館と府内の街に火をかけました。もはや圧倒的な不利な状況であったため、大友義統はさらに高崎山城に逃げ、仙石久秀と長宗我部元親は船で四国に逃げ帰り、ほぼ戦わずして島津家久は大友館と府内の街を制圧する事ができました。


【余談】また私事ですいませんが・・・
実は、この萬寿寺は私の家の菩提寺でもあり、今回は父の命日だった事もあり墓参りも兼ねて訪れました。そしてこの大友館跡は、写真④の看板から左奥は、私が幼いころは祖父の土地(田)であった記憶があります。その後たぶん叔父が相続して売却され、どう回り回って国の土地になったのか、50年も前の事なので私にはわかりませんが、それからここ最近になって大友館の全容が明らかになり、祖父の土地がそのような歴史的な場所の一部だったことを初めて知った次第です。この近くには、私の実家だった場所や、私の出身の小学校・中学校・高校があり、小さい頃よく遊んだりした場所なので、何かとても懐かしく感じました。その話を「南蛮BVNGO交流館」の方々と話していたら、とても盛り上がって話が尽きなくなってしまいました。(でも私は大友氏の末裔ではありませんよ!(笑))。

次は「高崎山城」を目指します。
 

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イオ

恵解山古墳(京都府長岡京市勝竜寺) (2022/10/02 訪問)

恵解山古墳(いげのやまこふん・城びと未登録)は古墳中期に築かれた乙訓地域最大の前方後円墳で、山崎の戦いにおいて明智光秀が本陣として改修したとされ、発掘調査により西側の数か所で堀が検出し、西側くびれ部分からは火縄銃の銃弾が出土していますが、戦国後期に勝龍寺城に籠った松永久秀方を三好三人衆方が攻囲した際のものなどとも考えられるようです。

恵解山古墳の後円部は墓地となっていて墓参者以外の立ち入りが制限されていますが、前方部と周濠は公園として綺麗に整備され、前方部には葺石が、墳丘平坦面や西造り出しには埴輪列が復元されています。陣城としての遺構は(地表面には)見られませんが、三段の墳丘を周濠で囲んだ地域最大の古墳は陣城として好適地でしょうし、墳丘頂部には山崎の戦いの陣が置かれた可能性について記載された説明板が建てられています。

なお、恵解山古墳から南に徒歩8分、サントリー京都ビール工場南東隣の境野一号墳も光秀の本陣とされ、石碑と説明板が建てられています。恵解山古墳のようにわかりやすく整備はされていませんが、説明板によれば境野一号墳も古墳前期の前方後円墳で、発掘調査では堀と火縄銃の銃弾が発見されており、地形的にも本陣にうってつけの地と考えられるとのことで、どちらが光秀の本陣かはともかくも、いずれも山崎の戦いで陣城として活用されたものと思われます。
 

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ニコ・ロビン

スンプー( ・᷄ㅂ・᷅ ) (2018/03/18 訪問)

大御所の城( ・᷄ㅂ・᷅ )スンプー!
行った時は、天守台発掘調査中で、その中は入れず。
でも、家康の石垣だけじゃなく、秀吉時代の石垣とか瓦とかも出てきてんだよねー。凄い話( ・᷄ㅂ・᷅ )!
スンプ城は時代的にも、時代も安定してて江戸初期で再興する必要もないからなぁ。
でもあんなに平らなとこで発掘調査やってて、水害が起きたら水没して、グチャグチャにならないのかな?

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にのまる

中腹の金太郎さんちまで行ったことがあったので「行ったポチ✓」してしまおうかと思ったこともあったけどしなくてよかった。 (2022/10/23 訪問)

足柄城も籠城中の眺望クイズで気になっていたところですが、なかなか訪問の機会を得られませんでした。
というのも、大雄山駅から足柄万葉公園まで行ってくれる路線バスが4・5・10・11月の土日祝日のみの運行で、帰りの終バスは14時台という公共交通機関ユーザーにはなかなかハードルの高い設定で、思い立ったらすぐ登城、というわけにはいかなかったからです。(終バス逃したら途中の地蔵堂まで3.3km歩くとか、駿河小山駅まで6.3km歩くとかの方法もあります。)
しかしその分、いざ行くとなったら気合も入り、遠足気分で行ってきました(・∀・)/

バス停から足柄城跡までは少々歩きます。途中、足柄峠、足柄古道、足柄の関などにまつわる案内板があり、都度足を止め、周辺散策をしながら歩きました。「足柄明神社のご案内」に『足柄城の明神くるわ跡』とあったので紅白の鳥居の先に行ってみると、すぐに明瞭な空堀が現れました。ここは出曲輪だったようです。

足柄の関跡あたりから遊歩道に入りました。ここは南郭跡。山の神の小さな祠に、古来よりの富士山信仰の厚さを感じました。堀切跡道路に架かる橋を渡って一の郭へ。来年9月までこの広場は相模国南足柄領とのこと。神奈川県ポチ✓めぐり中なのでグッジョブです👍

二の郭は絶好の富士山展望所。この二日後に初冠雪となったのは少し惜しかったですが、雄大な眺めに来てよかった!と思いました。ここで暫し休憩し三の郭→四の郭→五の郭と進みました。各郭間の空堀、スケールが大きく見ごたえがありました。井戸跡はあるとほっとする遺構ですが現在の形状からそれと認識するのは難しかったです。一の郭に戻りつつ最後に蔵屋敷跡へ。ロープが張ってあり中へは行けませんでした。目立った石垣遺構は歩きながら見つけられませんでしたが、規則的に並ぶ露出石がところどころにあり、もしかしたらそうなのかもなどと思いながらの散策でした。

神奈川と静岡の県境を行ったり来たりしましたが、ここが神奈川県城びと登録城の52/70城目となりました。



#山崎の戦いは明智軍(藤田隊)です♪
全力で戦います('◇')ゞ

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宗春

鉄道開業150年パスを利用!東北シリーズその6 二本松城 (2022/10/24 訪問)

鉄道開業150年パスを利用して東北シリーズその6
宿泊は全国旅行支援で40%OFF♪
3日目は福島県。

二本松駅近くのホテルに前泊し、朝7:30から登城開始。「にほんまつ城報館」が開く9:00迄に城歩きを終わらせる作戦。

入口にある観光案内所でパンフと地図を頂きました。案内所のおばちゃんが親切に本丸までの道を教えてくれました。感謝!

当日は菊まつりが行われるようでしたが、時間が早かったので準備中。それでも「二本松少年隊の像」は菊で飾られているのを見られました。

本丸は意外と高い場所にあり、天守台からは街が見下ろせ、良い景色でした(^^)

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ぴーかる

やっと攻略 (2022/10/08 訪問)

【百名城58城目】のつづき。
<駐車場他>城跡駐車場無料あり
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪・土塁・切岸
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅1城目。2021年7月訪城時は土砂崩れで主要部分が閉鎖中だった為、岱崎出丸のみの攻城となっていました。主要部分を未攻略のまま箱根峠は越えられません! 9:00到着し順路は入り口の三の丸堀→田尻の池→西の丸南側を通って西櫓馬出し→西の丸→元西櫓→北の丸→架橋をわたり天守台→本丸→兵糧庫曲輪→二の丸→二の丸虎口から駐車場に戻るの順で攻めました。主要部分はやはり岱崎出丸よりより堅固で各曲輪間の堀切と切岸の高さ圧巻ですね。もちろん障子堀もかっこいい! 変わっていたのが二の丸の削平地がえらく傾斜面になっていたのが特徴的で建物があったり、城兵が二の丸で縦横に走り回ったりできるのかなあと思いました。
 たっぷり1時間40分かかりスケジュールが押したのでもう一度岱崎出丸の方へは見れませんでした。特徴のある土造りの山城、納得大満足の5つ★で攻めきりました。

<満足度>★★★★★

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こげら

一乗谷朝倉氏遺跡 (2022/11/08 訪問)

念願の一乗谷朝倉氏遺跡を訪れました。
先ずは、開館したばかりの遺跡博物館で基礎知識を得て後、レンタル自転車で朝倉氏遺跡をめぐりました。
秋の一乗谷は、風情に溢れています。

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いんげん丸虫

城山城 長野県高山村 (2022/10/29 訪問)

標高655mの山城です。
城山ツツジ公園として整備されていて、駐車場もあ
ります。一つの尾根に3つの曲輪、複数の堀切で区
切られています。残念ながらかなり遺構は薄れてし
まってますね。丸太、材木が堀切に置かれてるのも
よくありがちなパターンで城ファンとしては...
主郭には展望台があって、そこからの見晴らしは抜
群でした。

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駿府城

静岡 御城印・魚朱印巡りを開催しています!

10月1日(土)から駿府城公園とスマートアクアリウム静岡(静岡市葵区)とのタイアップ企画として、「静岡 御城印・魚朱印巡り」を開催しています。開催期間は11月30日(水)までで、開催期間中に御城印と魚朱印を両方集めた方には、オリジナルコラボ缶バッチをプレゼントしています。
 
ぜひこの機会に両施設を巡って、オリジナルコラボ缶バッチをゲットしてみてください♪
詳細は下記URLをご覧ください。
https://sumpu-castlepark.com/info/archives/2099

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カズサン

本丸門・枡形と天守台・石垣台 (2022/10/24 訪問)

 二之丸庭園を長年待って充分鑑賞後、本丸跡も9時から開城して居ますので、内部と周辺を探訪しました。
 
 本丸の本丸門・枡形は平成8年に再建復元されて平成11年の大河ドラマ「元禄繚乱」主演は亡き中村勘九郎に赤穂城本丸門、枡形、櫓門が使用され映し出されました、勘九郎の演技が今も残って居ます。
 厩口門も平成13年に復元、本丸庭園と共に復元整備さらて良き景観を保っています、最初の登城はまだ赤穂高校が本丸跡二の丸跡に建っていた頃です、赤穂高校が赤穂城跡国史指定以後昭和56年移転し発掘調査整備と少しずつ整備復元し40数年、現在も二の丸門跡、三の丸西中門跡、三の丸の復元整備が発掘調査と並行して進められています、大変な努力に敬意を表し、城好きとして感謝です!

 本丸探訪は本丸門、一の門高麗門、枡形内部、雁木、渡櫓門、天守台、本丸西の横矢枡形台、南の大型横矢桝形台、本丸南側の刎橋跡石垣をサラッと一巡しました。

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カズサン

二之丸庭園初鑑賞 (2022/10/24 訪問)

 日の出を待って赤穂城の早朝散歩の後、ホテルで朝食、身支度し二の丸庭園の開場時間9時までスタンバイ、朝9時前に歴史博物館の駐車場に車を駐めて、清水門から入ろうとするが大きくなった柳の木を重機を入れて伐採作業中で通行できず、大手門に回り二の丸庭園に、早朝は閉まっていた大石頼母助屋敷門は開いている、早速入場、赤穂高校が移転して本丸整備が先行、二の丸庭園は復元整備は平成10年~13年全面発掘調査、池泉遺構の発見整備、平成22年に二之丸庭園・西仕切り門再建、平成28年に二之丸庭園の部分公開。
 その間気にしながら赤穂城を訪ねては二之丸庭園の公開を待って居ました、前回の登城は平成23年の5月と7月その時は未公開でしたので今回の登城が初見学と成りました、拾数年待った初見学です。

 大石頼母助屋敷門から入り、北側の石垣裏の土塁と腰巻石垣、北隅櫓台を頼母助屋敷跡から眺める、庭園は北東部の上流部には玉石が敷かれた浅い池、上水が噴出する様な仕組み、脇に東屋、下流部は大小の島が有り北側にもう一つの東屋、大きい島には木橋が東と西に架かり、西の橋は西中門に続いてる、西中門跡は石垣工事中で整備の最中、西中門跡の船溜まりに舟倉が有る、舟遊びして居たのかな?南側には西仕切り土塀と中間に西仕切り門が再建さらている。
 芝草も刈られて綺麗に整備されて居る、東屋二軒、傘型東屋一軒、木橋が二つ、舟倉、東屋の屋根は再建されて十年以上立って居り風化が風情を醸してる。
 待ちに待った二之丸庭園初鑑賞でした、整備はまだまだ続くそうです。
 

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時代行列参加者を募集中!

1月9日(月・祝)に福山城築城400年記念時代行列・福山とんど祭りを開催します。
福山城400年博のフィナーレとして福山城にゆかりのある藩主や武将,ゆかりの先人の時代行列を当時の衣装で再現し,福山の城下町を練り歩きます。

募集期間 11月1日(火)~11月30日(水)必着
参加結果 行列参加への結果は、12月13日(火)までにご連絡します。


《時代行列概要》
開催月日:2023年1月9日(月・祝)
行列開催時間 :〈出発〉13時00分~〈到着〉14時00分 ※予定
行列コース:〈出発〉中央公園~ひさまつどおり~宮通り~JOYふなまち~本通~〈到着〉福山駅北口スクエア(予定)
行列距離:約1.8 ㎞


《時代行列一般参加募集要項》
集合時間 9時30分集合 〈集合場所〉まなびの館ローズコム
従事時間 9時30分~16時00分頃 ※予定
参加費用 10,000円(弁当付き)
募集人数 50名 ※応募者多数の場合は抽選とします。
募集条件
●中学生以上で健康で上記1.8㎞のコースを歩ける方。
●男女・国籍を問いません。
●未成年の方は保護者の署名が必要です。
●12月24日(土)の参加者説明会に参加できる方。
●役割について事務局に一任いただける方。
●当日の行列関わる写真、映像について福山市が使用することに承諾いただける方。
応募方法
■参加申込書を郵送・FAX・公式ホームページ参加申込フォームの応募
申込フォームはこちら→https://fukuyama400.jp/event/2022063275
FAX→084-944-5516

注意事項
●時代衣装の持込はできませんが、当日は衣装の下の肌着等での寒さ対策をお願いします。
●主催者や関係者に対する不適切な言葉や行列の円滑な進行を妨げる言動があった場合は、参加を取りやめていただくことがあります。
●詳細は12月24日(土)の参加説明会でご案内します。
▶応募先 〒720-0043 福山市船町6-20 4F 株式会社夢絆社中 福山城400年記念時代行列事務局
問い合せ 上記事務局 TEL:084-944-5517

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