葛山城から転戦。この付近(36.695161、138.205474)から林道に入り、「若槻山城跡」登り口付近(36.696038、138.216337)に路駐しました。
詳細は不明のようですが、鎌倉時代の若槻氏の城とも云われていますが、若槻氏に関しては詳らかではありません。
1404年(応永11年)大塔合戦の後、幕府方の市川氏幸が若槻下芋河之要害を攻め落とすことに成功しています。
この頃、若槻のあたりは高梨氏一族の知行であることから、若槻山城は高梨氏の支城と考えられているようです。
主郭は土塁が巡る大きな曲輪です。主郭から南東の尾根に向かって数段の大きな段曲輪が続いており、北側に土塁があります。
若槻山城の北側に若槻山城番所、南側に若槻山城堂沢番所があるようですが、時間の都合で攻城を諦めました。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=髻山城に向かいました。
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