いちばじょう

市場城

鳥取県八頭郡

別名 : 私部(きさいち)城、紀佐市城
旧国名 : 因幡

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①かえる岩
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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征10日目:市場城 (2026/05/20 訪問)

本日は15:00頃から雨が降る予報なので、雨が降りだす前に多くのお城を攻城します。
山崎城から車で20分弱で、登城口(35.417415、134.313263)前の公民館に着きました。

築城年は定かではないようですが、室町時代前期、因幡毛利氏によって築城され、以後同氏の本拠地となったようです。
毛利氏は大江広元を祖とする一族で、毛利元就で著名な安芸毛利氏とは同族です。市場城(私部城)の毛利氏は鎌倉時代頃に入部し地頭として在地しました。

1479年(文明11年)毛利次郎貞元は因幡国守護山名豊時に対して反乱軍を起こし、細川氏や赤松氏と結んで山名氏と戦いましたが、翌年には但馬国守護山名政豊によって鎮圧されます。
1489年(延徳元年)第2次毛利次郎の乱を起こした城主・毛利貞元は山名豊時に攻められ市場城(私部城)にて自害しました。
1504年(永正元年)私部志谷口合戦では毛利方と思われる土師四郎左衛門尉が山名豊重方の武将・北川与三左衛門尉によって討捕らえられています。
1560年(永禄3年)山名宗詮方の武将・中村政重父子らと毛利氏との間で合戦が行われ(私部表合戦)、毛利左近丞らが戦死しています。
1564年(永禄7年)経緯不明ですが、但馬山名氏との関係改善がなされたようで、山名宗詮が市場城に入っています。
その後も毛利氏・尼子氏・山名氏などが複雑に入り乱れる情勢が続き、尼子勝久・山中幸盛の挙兵以降、因幡毛利氏は尼子方に属しました。
1573年(天正元年)幸盛の娘婿(養女)の亀井茲矩が城を任されている。その時、茲矩はまだ17歳だったそうです。
1574年(天正2年)山中幸盛が入城し、「安芸毛利氏と対抗するための拠点」として利用していますが、翌年には安芸毛利氏の猛攻によって二の丸・三の丸まで攻め込まれ落城しました。
因幡毛利氏は落城後、安芸毛利氏に降りましたが、1580年(天正8年)には羽柴秀吉によって落城させられ、城主・毛利豊元らは山名豊国の鳥取城へ逃れたそうです。
1581年(天正9年)当城は安芸毛利方の包囲下に置かれ、秀吉方は長期の籠城を余儀なくされており、当城に但馬からの兵糧が運ばれたものの、城内の士気は低下していたそうです。
毛利豊元の退城の後、但馬有子山城から山名氏政が領地替えとなり入城し、当城より軍勢を引き連れ、鳥取城攻めに加わりました。
山名氏政は当城より軍勢を引き連れ、鳥取城攻めに加わった。
1582年(天正10年)山名氏政は播磨加古郡へ再び領地換えとなり、市場城は廃城となりました。

市場城は市場集落の南方の山頂に築かれており、市場集落から登山道が山頂まで続いています。
登山道は落葉で滑り易く、雨がふったら危険だと思います。
登山道は「カエル岩」を経て山頂の主郭に至るようですが、西の郭付近で赤テープを見失い迷子の危険性があるので引き返しました。
登城口前にある案内板に縄張図とともに説明がされています。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=布勢天神山城に向かいました。

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todo94

年度末山陰の攻城・鳥取編② 城びと登録城・鳥取県コンプリート (2026/03/30 訪問)

山陰ドライブの最終日、ホテルの朝食をいただいてから向かったのは、市場城。別名・私部(きさいち)城。2025年のゴールデンウイークに攻城を予定していたのですが、続100名城のスタンプ帳を忘れてしまったために、攻城を見送っていました。若桜鬼ヶ城とセットで今回にとっておいた次第です。カエル岩を目指していたはずが、すぐに道が分からなくなってしまい、カエル岩をスルーすることになってしまいました。遠望でもわかる通り、山頂付近はかなり急峻で、ずるずると滑ってしまいましたが、何とか山頂を極めることができました。これで、城びと登録の鳥取県の城はコンプリートとなりました。

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ぴーかる

市場城 (2025/03/08 訪問)

【市場城】
<駐車場他>登城口西側の駐車スペース<35.417868,134.311660>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>舌状曲輪連段・切岸・巨石・大城郭
<感想>転送したら写真全滅だった件、の再訪城1城目。現地説明板を要約よると市場城は「草創年代不詳、鎌倉時代因幡国守護の大江氏の一族である毛利氏(因幡毛利氏)が来国、この地方の地頭となります。城郭的形態を整えたのは鎌倉時代後期と考えられる。戦国時代には山名氏・毛利氏・尼子氏と複雑に従属や合戦が入り乱れ、羽柴秀吉の鳥取城侵攻に伴い1581年、十余代の毛利豊元を最後に城は落城」とあります。
 案内を詳細に記述します。登城口は<35.417415, 134.313263>、背後に手書きで書かれた素晴らしい縄張り図、説明板があります。登城口の道を真っ直ぐ山に向かって突き進むと墓地に入ります。墓地に入ると右手に丸太階段があるので登ります。荒れた墓地の上段に出ます。奥に竪堀(現地縄張り図に記載されている)があるので竪堀かその脇を直登(ストック・手袋要)します。竪堀を登り切ったら北西の麓付近の曲輪に取り付けます。あとはもう主郭まで曲輪群が連なっているので遺構を観つつ登れます。
 カエル岩へは、岩の切岸壁がある曲輪の1つ下段の曲輪、東側の奥が谷の斜面があり木々が少し薄くなっていて谷の斜面を横断できるので横断すると舌状曲輪に入れます。そこから北方向へ巨石の連段曲輪を下っていくとカエル岩があります。
 ほぼ独立した山全体が城跡となっていて、山の北側全体の尾根筋に連段の曲輪を多数配置しています。主郭から南東の尾根筋は比較的平坦で3条の堀切を設けています。主郭の東下段に巨石が多くあり蔀の役割をしていたかと。そこから北へ急峻な岩場を下っていくと最北東側の曲輪段に出ます。舌状の広い曲輪が連段になって山の中腹まで落ちています。切岸も垂直気味に高さがあるので見応えがあります。2時間半散策しましたが主郭から真北に落ちる2条の連段曲輪群は行き方が分からず行けませんでした。大城郭の見応えある城跡でした。散策楽しかった。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

国人領主因幡毛利氏の城 (2023/10/02 訪問)

 鳥取市南の八頭町に未踏の城が有り、今回の帰省時に訪ねました、認識なかった市場城で別名私部城(キサイチジョウ)とも言われてる。

 駐車場:県道282号線沿い中私都郵便局の川を挟んで西の砂利舗装駐車場を利用(35°25'04"N 134°18'42"E)、他に市場公民館彩祭館の駐車場とグラウンドとトイレ有、集落市場城入口の元駐在所跡2台可。
 参考資料:古城盛衰記さん城郭放浪記さん余湖図コレクションさん城びと、因幡の山城(鳥取教育委員会文化財課)グーグルマップに依ります。

 利用した駐車場から県道282号線の1本南の集落の道を東に約100m超で入口が有り、市場城、かえる岩の案内指示板がある、南に集落の道を進み、農作業の女性の方に情報を聞くが「登るの?」と訝る様な返事、道は良く無い様な返事、城びとあさんの投稿、古城盛衰記さん城郭放浪記さん写真にかえる岩が有りそこまで登れればと考えていたのですが、昨夜の雨で濡れて居り、落ち葉が深く積もっており、先の道も濡れて滑りそうな状態でもあり、ここで登城を断念しました。皆さんの写真で良しとしました。

 歴史は入口の詳しい解説板にありますが、築城時期は不明で鎌倉期室町期には国人の因幡毛利氏(安芸毛利氏と同族)の拠点と考えられます。丘陵頂部から放射状に延びる尾根上には曲輪群が設けられています。(因幡の山城、鳥取市教育委員会文化財課編H28/3/30による)
 因幡守護山名氏とも戦い、秀吉鳥取城攻防戦戦では安芸毛利氏に加勢し、鳥取城落城と共に落城の様子。

 あまり整備されていない山城は私の体力、脚力では無理が有るようです。
 

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 因幡毛利氏
築城年 室町時代前期?
主な改修者 不明
主な城主 毛利氏
廃城年 天正10年(1582)頃
遺構 曲輪、虎口、竪堀、堀切
再建造物 説明板
住所 鳥取県八頭郡八頭町市場
問い合わせ先 八頭町教育委員会事務局社会教育課
問い合わせ先電話番号 0858-84-1232