あぎじょう

阿木城

岐阜県中津川市

別名 : 安木城
旧国名 : 美濃

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二の曲輪から見る切岸
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しんしんちゃん

規模はそれほど大きくないがアクセスが良好で遺構も満足できる。 (2023/10/21 訪問)

阿木城は阿木川の北側にある丘陵地に築かれており、道沿いに登城道が二つあり南側が
Aゲート、北側がB(ゲート?)で南のAゲートからアクセスするのが良いと思います。
害獣除けの策をカチャっとあけて入るのですが、これがなかなか開けやすい。ゲートは
全部このタイプになっていると助かりますね。城の規模はそれほど大きくないですが、
楕円形の主郭の東に二の郭、西に帯郭が二段に配され土塁も残ります。主郭の虎口は
南北に付いていて、二の丸側の切岸はなかなか見ごたえがあります。東西の尾根を大き目
の堀切で断ち切ってあり、東の堀切を確認しながらB地点から車道に出ますがこちらには
柵がありません。Aゲートの柵はなんだったんだろうと考えつつも、遺構に満足して
Aゲート付近に停めた車を目指します。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)11日目:阿木城 (2023/04/28 訪問)

宿泊先のホテルから阿木城の大手登城口(35.400239、137.462359)に着きました。

登城口にパンフレットの入ったポストと杖がありました。
登城口には獣害防止の柵が設けてあり、フック式の鍵を自分で掛け外しする様になっています。

阿木城は戦国時代、遠山氏が岩村城防衛のために築いた遠山十八支城のひとつです。
武田信玄の家臣・秋山信友に落とされた後は織田・遠山方の最前線基地として整備されましたが、1574年(天正2年)に武田勝頼の攻撃によって陥落し、そのまま廃城となりました。

城址には曲輪跡や堀切、竪堀などの遺構を確認することができ、阿木城跡保存会の方々により散策路などが整備されています。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=妻籠城に向かいます。

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ガチャピン

山城 (2023/05/02 訪問)

パンフレットはセルフサービスです。城跡保存のため寄付しましょう。登城後は山岡まであしを延ばしてカツ丼食べて来ました。

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イオ

シンプルでも見応えあり (2022/10/22 訪問)

城ヶ峰と呼ばれる丘陵の頂部に位置する山城で、築城主や築城時期等、詳細は不明ですが、戦国末期の東美濃での武田氏と織田氏の勢力争いの中で活用されたものと考えられます。

大手道登城口の駐車場に車を駐めて登城開始。それなりに歩くことを覚悟していたら、3分弱で南端の虎口に着いてちょっと拍子抜け。虎口の両側には曲輪が設けられ、大手道を攻め上ってきた敵に横矢が掛かるようになっています。虎口を抜けた先には竪堀がありますが、藪に沈んでいてわかりづらい状態でした。

登城道を進んで南側の虎口から主郭へ。阿木城は円形の広大な主郭を帯曲輪や腰曲輪が取り巻き、北東尾根と西尾根を堀切で断ち切ったシンプルな縄張ですが、主郭の切岸は鋭く高さもあり、西から南西下にかけての帯曲輪には土塁が設けられていたり、シンプルながら堅固な造りになっています。また、西尾根の堀切は普通の規模(深さ2mほど)ながら、主郭より高い位置から続く北東尾根には幅10m、深さ6mの巨大な堀切が設けられていて、外側の切通道と併せて二重堀切になっている上に、堀切の西端は直角に北に折れて竪堀となり、東端は竪土塁が侵入を阻んでいます。

阿木城も山城サミット可児大会でリーフレットをもらい、いつか行こうと思っていました。ただ、縄張図を見る限りでは単郭の小さな山城という印象で、さほど期待はしていなかったんですが、切岸は鋭く高く、虎口や堀切にも技巧が凝らされた小さくても見応え充分の城でした。縄張図だけではわからない良さがありますね。また、案内表示や説明板もあちこちに設けられていて、とても大切にされている城だと感じました。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 戦国時代
主な城主 遠山氏
遺構 曲輪、堀切
指定文化財 市史跡(阿木城跡)
住所 岐阜県中津川市阿木