たかやまじょう

高山城

岐阜県土岐市

別名 : 土岐高山城
旧国名 : 美濃

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主郭
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しんしんちゃん

現状は城址公園。 (2023/10/22 訪問)

高山城は承久の乱の頃、土岐氏の一族高山伊賀守秀頼によって築かれたと現地案内板に
書かれています。戦国期には平井頼母が城主となり、織田信長と武田信玄、勝頼との
領土争いで激しい戦いが繰り広げられたそうです。今では三の丸が駐車場となり、
北側の展望台がある広場が本丸のようです。二の丸は広場の一部になったのか、詳細が
不明ですが本丸の西側にあったようです。公園化によって形状は変化したものの
かつての山城としての雰囲気は残っているように思われます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:高山城 (2023/04/23 訪問)

大富館(城びと未登録 岐阜県土岐市)からの転戦です。三の曲輪駐車場(35.355950、137.193664)に駐車し、大手登城口(35.356823、137.193895)に向かいました。

土岐高山城は遠山十八支城のひとつに数えられている城です。
1556年(弘治2年)、高山伊賀守光俊が亡くなると、武田信玄の命を受けた平井光行が高山へ兵を進め城主となりましたが、その子の平井頼母は織田信長に属しました。
そのため、1574年(天正2年)に武田勝頼によって攻められ落城しました。
その後は岩村城主・田丸直昌の支城となりましたが、「関ケ原の合戦」にて西軍方となり、東軍の妻木勢によって攻められ落城しています。
1615年(元和元年)の一国一城令により廃城となったようです。

三の曲輪手前に堀切跡の石碑(堀切は見当たらない)があり、三の曲輪駐車場、その奥が一の曲輪、二の曲輪。説明や展望台等整備されています。
三の曲輪を過ぎた所に、何やら「山の神」という看板が付いた岩がありましたが、謂れはよくわかりません。
一の曲輪手前の城門の横には石碑があります。
遺構らしきものは曲輪以外ありませんが、模擬物見台(桔梗櫓)と城門はそれなりです。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=根本城を目指します。

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赤い城

整備された公園 (2022/10/09 訪問)

高山城址公園となっています。
駐車場がある場所が三の丸のようです。
主郭には展望台があり、公園となっています。
遺構らしいものは見当たらないのですがフェンス越しに腰曲輪や二の丸跡が残っていました。
土岐市内を見下ろすことができる場所に築かれた城です。
武田氏と織田氏が激戦を繰り広げた城でもあります。

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おっちゃん

土岐高山城跡の森案内図 (2020/12/02 訪問)

現地案内板より抜粋。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 高山秀頼?
築城年 延元3年〔南朝〕/暦応元年〔北朝〕(1338)
主な改修者 平井頼母
主な城主 高山氏、平井氏、林為忠(森氏家臣)
遺構 曲輪
指定文化財 市史跡(高山城跡)
再建造物 城郭風建築物(模擬櫓)、模擬門、石碑、説明板
住所 岐阜県土岐市土岐津町高山454-1
問い合わせ先 土岐市観光協会
問い合わせ先電話番号 0572-54-1111