かわぐちじょう

川口城

愛知県豊田市


旧国名 : 三河

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主郭
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しんちゃん

階段は急だがサクッと登れる。 (2023/10/21 訪問)

川口城の登り口は麓にある天神社の右手にあります。そこから階段を上っていくと
ほどなく主郭下に展開する帯郭にたどり着きます。帯郭には竪堀(堀切)が二本ほど
かかっています。そこからすぐ主郭にたどり着きます。やや左に傾いた南北に長い
形状をしていて、歩いてみたところ南北27m、東西11mくらい。案内板には南北
約30m、東西約10mとありますから歩数計側もおおよそ合っていると思います。
主郭南には東屋があって西南側には矢作川が望めます。武田勝頼の軍勢の来襲を
受けた時には次席家老澤田次郎大夫貞次の子、新左衛門が討死したと案内板に
書かれています。城主の代わりに討死したということになりますが、その後の川口城
のことは不明です。

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カズサン

矢作川西側に聳える単郭の城 (2021/12/11 訪問)

 城びと登録の城で三河西部未踏のままに成って居り登城を企画してましたが武漢コロナウイルス禍中、動けずやっと今回、三河新城市の設楽原合戦信長戦地本陣跡を初登城終えて、新東名、東海環状道、猿投グリーンロードを経由し県道11号線を明智方向へ約7~8km程の道沿いに天神社が有ります、その上の山が川口城と成ります。
 車は天神社前の県道11号線三角コーナーギリギリに路駐。

 登城路は天神社横より入り川口城標柱横の階段から登ります、天神社の裏は崖に成っていて崖を横に渡るが細い道、足一つの幅、その先は土の目コンクリート板階段が延々と続きます、最初は落ち葉を踏む音が心地良いのですが後は辛い厳しい階段、休み休みで約10分程、頂上の帯曲輪に着きほっとします。
 頂上が本丸(南北約30m東西約10m)、手前に狭い(約5m)帯曲輪を北、西、南に備え、堀切が2条、本丸登城階段は2ヶ所、本丸に東屋、城名看板がついてる、帯曲輪の西に案内板、矢作川が良く見える。

 歴史は室町時代の城主は水野丈兼正春次、天正3年(1576年)武田勝頼の軍勢の来襲に遇い落城、その際に城主正春次は難を逃れて尾州水野郷に移り、次席家老の澤田次郎大夫貞次の子、新左衛門は討ち死にしましたが、貞次は老齢のため幼い孫たちと、この地に住みついたと伝えられています。(川口城址案内板より)

 遺跡:川口城、天神社東側の河岸段丘上には縄文遺跡「水汲遺跡」が発掘調査され、天神社の道反対側に案内板と、遺跡展示されて居ます、1万年前からの人の営みが残って居り古い歴史のある地域なのですね!

 川口城を訪れる時は近くの市場城とセットが宜しいのでは時期は11月下旬の冬桜の満開の頃、紅葉とのコラボが素晴らしい、今回も途中の道すがら冬桜が1本満開でした。勿論紅葉も見頃で楽しい城廻りドライブでした。

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小城小次郎

こんな小さなお城にも (2021/09/04 訪問)

矢作川に沿った小さな丘の上にあるこんな小さなお城にも水野一族(水野春次)がいて、武田勝頼がわざわざ攻め落としているのだそうだ。恐らく長篠の戦い直前頃のこと。当時の武田は手が付けられないくらい強かったんだろうなあ。

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天神社より (2021/09/25 訪問)

豊田市駅より「とよたおいでんバス」に乗り「加茂橋下」で降りると、目の前が登城口である天神社です。徒歩15分くらい階段となっている坂を上ると城です。曲輪、堀切など表示してあります。堀切は竪堀へ続いていると思われますが浅くなっています。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 川口源左衛門
築城年 室町時代
主な城主 川口氏、水野氏
廃城年 天正3年(1575)
遺構 曲輪、横堀(空堀)、竪堀
再建造物 碑、説明板
住所 愛知県豊田市下川口町御堂