根本城は甲州の武田氏の一族の若尾氏によって標高285mの城山に築かれています。
登城道は良く整備されていて、迷わずにすむよう親切に案内板が多数設置されて
います。尾根上を進み北側から城域に入ります。本曲輪の北に堀切を挟んで搦手曲輪
、南西にも曲輪を配し東西に竪堀が配されています。本曲輪の北側には大きな土塁が
残り、規模は小さいですが遺構はしっかり残っています。今回は登城道の前にある
駐車場を使わせていただきました。
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2023/10/25 21:18
規模は小さいが遺構はしっかり残っている。 (2023/10/22 訪問)
根本城は甲州の武田氏の一族の若尾氏によって標高285mの城山に築かれています。
登城道は良く整備されていて、迷わずにすむよう親切に案内板が多数設置されて
います。尾根上を進み北側から城域に入ります。本曲輪の北に堀切を挟んで搦手曲輪
、南西にも曲輪を配し東西に竪堀が配されています。本曲輪の北側には大きな土塁が
残り、規模は小さいですが遺構はしっかり残っています。今回は登城道の前にある
駐車場を使わせていただきました。
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2023/05/20 05:25
(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:根本城 (2023/04/23 訪問)
高山城からの転戦で、登城口(35.356443、137.074911)の反対側にある元昌寺霊園の空スペースに駐車しました。
根本城は武田氏の一族でもある若尾氏によって築かれた城です。
武田氏の東濃侵攻に伴い最先端の拠点として築城されました。
武田氏滅亡後も若尾氏はこの地にとどまり、若尾甚正は兼山城主・森長可に従っていたようです。
若尾甚九郎元美は、小牧羽黒の合戦に森長可に従って参戦したが、戦死したそうです。
現在城址には土塁や堀切などの遺構を確認することができ、山頂に標柱が建てられています。また山麓の元昌寺は若尾氏の菩提寺だそうです。
登城口から尾根直登かと思いきや、迂回してからのつづら折れで思った以上に時間かかりますが、15分~20分くらいで山頂行けます。
城址は曲輪、堀切、土橋や竪堀が確認できます。案内は「凸←」表示がしてくれます。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=塩河城を目指します。
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2022/04/24 21:19
2022/01/22 12:06
(2021/10/30 訪問)
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 若尾氏 |
築城年 | 16世紀後期 |
主な城主 | 若尾氏 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切、横堀 |
再建造物 | 碑、説明板 |
住所 | 岐阜県多治見市西山町2 |
問い合わせ先 | 多治見市文化財保護センター |
問い合わせ先電話番号 | 0572-25-8633 |