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朝田 辰兵衛

高山城散策 1/2(塔の岡コース登城口→本丸)を。 (2023/06/10 訪問)

ぴーかるさん,瞬殺ありがとうございます!
高山城イワオ丸の画像で間違いありません。
この瞬間は逆光でもなく,イイ感じで風が吹いており,幟も元気になびいておりました。
車を利用し,南・北コース登城の書き込みが多いと感じましたので,JR本郷駅から徒歩の「塔の岡コース」の案内をさせていただきます。
まず,JR本郷駅のコインロッカーは,旧500円玉1枚となります。てっきり100円玉を用意していた私は,改札まで戻り,両替をしていただきました。キャリーバッグと傘を収納でき,大きめで良かったですが,全4つしかありません。100円玉を入れて使用不可になっているところがあり,実質稼働していたのは3つでした。すでに2つ使用中でしたので,ギリ安堵でした。
住宅街から公園前を通過し,墓地エリアを抜けたところが登城口でした。冬場はチェーンをかけているように思えました。
分岐点が2つ。一般コースを無事に抜けると犬の丸と南の丸の間に到着します。
城域は,佐渡島の形に似てると思いました。越後人なら間違いなく連想するでしょう。
扇の丸が両津港だな…とか,西の丸が小木港だな…とか。

ということで,次はにのまるさん,お願いします。

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ぴーかる

コンプクイズの回答

朝田辰兵衛さん祝辞ありがとうございます。
勿論瞬殺です。クイズの回答は、
【広島県高山城】のイワオ丸ですね。私も約3年半前に登城した大好きな山城の一つです。今だに強烈なインパクトで鮮明に記憶が残っている城跡です。似たような写真添付します。

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小豆坂古戦場 (2023/07/02 訪問)

 織田信長や徳川家康関連の本を読んでいるとメジャーな戦いではありませんが、「小豆坂の戦い」がよく出てきます。場所は愛知県岡崎市です。有名なのは織田信秀と今川義元の戦いで通説では2回あったとされています。
第1次合戦 天文11年(1542年)
 このときに「小豆坂の七本槍」の活躍で織田方が勝利したと伝わっています。ただこの合戦はなかったのではないかともいわれています。
第2次合戦 天文17年(1548年)
 このときの今川方の大将は太源雪斎であったといわれています。このときは今川方が勝利しています。
織田対今川の小豆坂の合戦について不明なことも多く、合戦は1度だけだった、松平広忠は第2次合戦のときは織田方であったなど諸説ありわかっていないことも多いようです。
小豆坂の七本槍とは 織田信光、織田信房、岡田重能、佐々政次、佐々孫介、中野一安、下方貞清の織田方の7人といわれています。織田信光は信秀の弟、つまり信長の叔父で守山城主、佐々政次、孫助は佐々成政の兄であったことはわかりますが、不勉強で他の武将は知りませんでした。7名の兵が休息時に各々の槍を立てた松が、この場所にあったと言われ槍立松の碑が立てられています。

 またここは永禄7年、徳川家康が三河一向一揆と戦った地と伝わっています。

 岡崎城の最寄り駅である名鉄「東岡崎駅」の隣の駅である「男川駅」から南へ徒歩約10分の場所に小豆坂古戦場の石碑等が立てられています。

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生田城 (2023/07/02 訪問)

 愛知県岡崎市にあり、「しょうだじょう」と読むようです。城びとには未登録の城です。名鉄美合駅で降りて西へ歩いて行くと田んぼの中に石碑があります。近くに「明和年間生田四郎重勝が徳川家康公の姫御前が豊前の国中津藩に御輿入れになった際に附添武士として栄任され時の庄屋本間幾右衛門重勝に其の後始末を一任され廃城となった」と彫られた石の説明板があります。この姫御前というのは亀姫との説もありますが、年代が合わずよくわかっていないようです。城史の詳細も不明のようです。

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カズサン

再訪飯山城整備は如何にとチョイ寄り (2023/06/19 訪問)

 9年前の平成26年4月初登城し、上杉謙信公築城450年「飯山城址整備」も大看板が大変目を引き、9年経った現在整備計画の進捗は如何にと気に成り、直峰城主体上越城廻の帰路、豊田飯山ICを降りて飯山城を再訪しました。
 駐車場:飯山城址公園無料駐車場、飯山城西曲輪・帯曲輪下の元堀跡、多数の駐車可能。

 先ずは駐車場から登って移築復元南中門を見学、丁度中山秀征さんTVでお馴染みのヒデちゃんが地元TVの地元紹介番組撮影中、復元南中門前で撮影クルーと撮影中でしたので暫し南中門撮影を待ってクルーの撮影を見ていました、特にヒデちゃんに声掛けはしませんが。
 撮影クルーが終わるのを待って、移築復元南中門の表と裏、弓道場、弓道場前の元南中門址、発掘調査で整備されて地表展示されている、横を通って桜井戸跡、屋根をふき整備されている、三年坂を通って三の丸経由二の丸へ、本丸石垣枡形虎口本丸門跡を通って本丸へ、本丸枡形の石垣が大変奇麗に残っており見ごたえあり、本丸内部は葵神社鎮座、南西角に本丸二重櫓跡の案内板、二重櫓は本丸の高見にあり、城下町より城のシンボルとして見られていた、案内板によると三の丸にも二重櫓が在ったそうです。
 
 本丸から二の丸に戻り本丸石垣を眺めて、坂口門跡へ、飯山城址の東側は千曲川に落ち込む河岸段丘で崖が切岸の役目を果たし難攻である、二の丸から東側の階段を通て三の丸へ、以前は花壇が整備されて居ましたが平地に成って居ました、何か整備が進むのでしょうか? 二の丸に戻って本丸西の帯曲輪へ、西曲輪へ降りる、西曲輪は以前あった市民会館が撤去されて芝生広場、児童公園、交流展示館、トイレが設置、周囲は土塁が復元整備されて、城跡の雰囲気がムンムン、以前とだいぶん変わりました整備成功です、交流展示館は覘きました。西曲輪南の復元土塁虎口を通て南大手門跡へ、現在は葵神社の鳥居が建っています。この南側には西から南へ更に北へ延びる水堀が在ったそうですが、現在埋め立てられて一部水路、平地、住宅街、学校、プール、駐車場に活用されています。(交流展示館の飯山城跡絵図で推測できます)
 
 南大手門跡から扇坂跡、西曲輪の南西角の土塁を見上げて高い切岸に驚愕、復元南中門を再度見学目に焼き付ける、上杉謙信公築城450年「飯山城址整備」の大看板を再度確認。
 整備完了は桜井戸、西曲輪が奇麗で出来上がっています。
 整備が待たれるのが、本丸城門ですが、また案内パネルには描かれています本丸二重櫓、飯山城の仰ぎ見る本丸天守の代わりに二重櫓の復元整備が欲しい所です。
 大変満足な9年振りの飯山城二度目の登城でした。
  
 

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チェブ

大平砦&朝鮮丸砦=小学校&中学校。 (2023/07/01 訪問)

雨の予報で何にも予定がない土曜日。
電車で東京都内にお城攻めしてきました。

「大平砦」は「世田谷城」の吉良氏の家臣、大平氏の砦です。

東急目黒線の奥沢駅から「大平砦」を検索すると、なぜか「朝鮮丸砦」を案内するGoogleさん。
どう見ても位置が違うので、砦跡とされる『奥沢小学校』を入力し出陣しました。
10分弱で到着。
小学校をパチリ。ぐるっと回り、ちょっと坂になっている位しか分かりません。
では、Googleさんお勧めの「朝鮮丸砦」を検索したら7分の距離の所にあるとのこと。
向かってみたら『奥沢中学校』周辺でした。
ただし、中学校橫に『大音寺』があり、見上げるほど高い場所にありました。
こちらの「朝鮮丸砦」は加藤 清正さんが関係しているそうです。
朝鮮、大きな音の寺、加藤 清正さん。
なにか興味深い関係がありそうですねぇ。

奥沢駅まで戻ろうか迷っていたら遠くに踏み切りが見えます。
東急大井町線の緑ヶ丘駅でした。
雨が強くなってきたので、ラッキーです。
ただ、力が入っていたので、傘を持つ手に豆ができてました。
、、、情けない。
遺構はなくても、地名でワクワクできる「大平砦」と「朝鮮丸砦」攻めでした。

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シェル

閉校した校舎と龍岡五稜郭 (2023/06/02 訪問)

小諸から車で約1時間程度で到着しました。
スタンプは、五稜郭出会いの館で押印。
地元の方は、龍岡城とは言わず、五稜郭と呼んでいる人が多いようです。
中にある小学校は2023年3月を以て閉校になってしまったらしく、その為平日でも中に入ることができました。
堀や土塁から星型の雰囲気は味わうことができましたが、豪雨であったため、展望台からの五稜郭を見ることができず残念です…
御台所は、学校の校舎と比べても、かなり大きく立派な建物でした!!
黒門跡は、閉校前は先生たちの車の通用口だったらしいです。
小学校の校舎は、数年後には取り壊してしまうらしいので、校舎の残る龍岡城を見ることができ良かったです。

予定では、この後、高島城にも向かう予定でしたが、午後になり、ものすごい豪雨になったため、旅を中断せざるを得ませんでした。
展望台も高島城とともに再び訪れ、リベンジしたいと思います。

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朝田 辰兵衛

ぴーかるさん,大阪府コンプ,おめでとうございます!

ぴーかるさん,大阪府コンプリート,おめでとうございます!
「ラス1はどこだろう…?」と,ずっと気になっておりました。勝手に大坂城と決めつけておりましたが…<笑>。
引っ張って,引っ張って,期待を裏切ってくれるあたりが,とても嬉しく思います。

私から,「コンプおめでとうクイズ」をひとつ。
大阪府内ではありませんが,どっぷり西日本から。ぴーかるさんも攻城済。
ズバリ瞬殺できると思います。
私の後は,にのまるさんへバトンタッチしますよ~!

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むらひろ

小代氏館 (2023/07/01 訪問)

青蓮寺のあたりが館跡らしいのですが…案内板などもないようで情報に乏しく遺構らしい遺構もなく…本当にあったの?といった感じ

台地の先端らしく田園風景が見渡せるので立地は良さそう

数百メートル離れたところで不自然に土塁のような高まりと浅い堀のようなところを見つけましたが、なにせ情報がなく規模もわからないので当時のものなのかわかりませんでした。
逆に言うと情報が何もないから些細なことにも気づくことができて色々面白いかもしれませんが

ここだけを見に行くのはあまりオススメできませんが、近くの高坂館跡や野本館のついでに行くくらいの感覚がいいかも。

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ホリタカ

特別展示で長篠の戦い (2023/07/01 訪問)

黒田官兵衛築城ってことで場内に貼ってある「天下をとれる気がする」ポスターがシュールです。後世、奥平氏が入ったので、特別展示で「長篠の戦い特集」やってました。NHK大河で一躍有名になった鳥居強右衛門グッズ売ってます。

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むらひろ

高坂氏館 (2023/07/01 訪問)

高坂氏館とのことだが、案内板に記載の通り館というより城と言えるような防備

土塁の高さは4〜5mくらいはあったんじゃないでしょうか。
中世の館といえば普段の暮らしをするのに最低限の防備というイメージでしたが、ここの防備は一見の価値ありだと思います!!

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ぴーかる

戦国最後の英雄終焉の地 (2023/05/21 訪問)

〘真田丸跡・真田の抜け穴・安居神社・茶臼山陣城〙
 大阪の城びと最後の城はここになりました。大阪城もとっておきにしていましたが既に何回も行っているので、大好きな武将最期の地をあえておいておきました。約半日をかけて巡り、今回も巡り順に投稿させていただきます。

【三光神社】
真田山の北東隅にある神社で、もし真田山に真田丸があったならば神社の北・東斜面は急勾配で切岸感はかなり残っているように感じられます。境内に真田幸村公像とその横に真田の抜け穴と呼ばれる石組穴があります。
【真田丸跡】
心眼寺の出丸跡碑と真田丸顕彰碑は真田山中央北の傾斜地に位置しています。真田山の中心平坦部分は東西南北150mづつくらいで、道路は各々坂になっています。真田丸がここにあったならば冬の陣の後、堀を埋めるのに曲輪のへりの部分から崩していって坂になったと期待したい地形ではあった。坂が無ければ東西南北300mづつくらいの大きさの曲輪かと思われる。
【安居神社】
真田信繁(以降幸村を使います)がこの神社で休んでいる時に松平忠直の家臣西尾宗次に打ち取られたともいわれる場所です。安居神社の書置きの御朱印が300円セルフであります。初穂料は賽銭箱へ。自分の中ではここが本日のメイン、感無量の大満足です。
【茶臼山陣城】
<駐車場他>天王寺茶臼山駐車場有料
<交通手段>大阪メトロ

<感想>現地説明板によると茶臼山は五世紀築造の前方後円墳とみる説と788年に和気清麻呂が上町台地を東西に横切る運河を掘ろうとして、掘った所は中断した南の河底池で出た土を盛ったのが茶臼山だとする説があります。大坂の陣では冬の陣に徳川家康が夏の陣では真田幸村が本陣を置いた場所です。現地は天王寺公園の一部になっていて、陣城だったと表面観察で分かる遺構は特に残されていません。登頂証明書が現在は一心寺存牟堂ではなく、すぐ東の三千仏堂で購入できます。旧黒田藩蔵屋敷長屋門を見て終了した。今回は個人的満足度は高いのですが、遺構が少ないので記載なしにします。

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むらひろ

野本氏館 (2023/07/01 訪問)

館跡で現在は無量寿寺が建っている。
案内板の通り北側にはわずかながら土塁を確認。

案内板の風土記の中で描かれている山も隣に確認できました(柵に覆われていて入れなさそう…??)

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ぎりょう

陣ケ岡(岩手県紫波町) 奥州合戦の陣跡 (2023/06/11 訪問)

紫波町の三ヵ所目は文治五(1189)年の奥州合戦において頼朝軍が陣を敷いた陣ケ岡。頼朝は平泉を制圧の後に泰衡を追って北上する。吾妻鑑によれば九月四日の項に陣岡の蜂杜に陣を敷きとあり、そこで北陸道追討使の比企能員らと合流した。将兵は二十八万騎と記載されている。前日に比内郡贄柵において譜代の郎党河田次郎に討たれた泰衡の首と対面するのもこの陣中であった。
陣跡は比高16mほどのなだらかな丘陵で本陣跡とおぼしき最高所の平場には現在蜂神社が祀られている。神社参道が南と北にありその西側には空堀や土塁の遺構が有るらしいが、時節柄草木が生い茂っており確認できなかった。また北東部に「泰衡首洗いの井戸」という泉があり小さな祠が祀られているが実際は別の場所だったという。
いまは広い田んぼに囲まれた静かな丘陵に、頼朝をはじめ名高い関東武士が陣して、軍馬がひしめいていたのであろうか。

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ホリタカ

駅前に土塁ひろば (2023/06/30 訪問)

水城駅改札を出た自販機横にスタンプあります。駅前には土塁ひろばとかいう公園もありました。

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シャンシャン

2つの重文三重櫓 (2023/06/23 訪問)

明石駅からも2つの三重櫓が見える。
高石垣の上にそびえ立つ櫓は下から見ると天守閣のような迫力がある。
櫓の間の展望台からは明石海峡大橋も見えて景色がいい。
城カードもGET。

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むらひろ

忍城 (2023/06/30 訪問)

忍城の魅力は三階櫓のみにあらず!

忍城の魅力はなんといっても市内あちこちにある忍城攻め時ゆかりの地を巡れること。
三階櫓(資料館が入っている)だけで満足したらもったいない!

浮城といわれた所以を想像させてくれる水城公園、石田三成が水攻めの際に気づいた石田堤、三成が本陣を置いた丸墓山古墳、映画「のぼうの城」で柴崎和泉守が守る姿が描かれた忍城長野口等々…

あちこち行くので自転車か車が必要になると思いますが…
個人的なおすすめは自転車で、「のぼうの城」の歴史と利根の自然を満喫するルートというコースが設定されているのでそれに従うのがいいと思います

やはり「のぼうの城」の影響がかなりあるし、よく活かしていると思います。
私は基本的に一回行った城に再度行くことはないですが、のぼうの城が好きなこともあって忍城は2回目でした

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カズサン

復元30年三重櫓二度目の登櫓 (2023/06/18 訪問)

 前日は時間が終了して三重櫓に登れませんでしたので、翌日の直峰城、虫川城、雁金城初登城後、前日見切れて無かった、ものがたり館、監物堀、東城砦の有る春日山城史跡公園、春日山城大手道、上越市埋蔵文化財センターと開催中の謙信公と春日山城展を見学して、見学時間が閉まる前に高田城三重櫓を目指しました。駐車場は極楽橋に一番近い高田城址公園駐車場を利用。

 三重櫓への登櫓は平成17年10月以来の2度目、平成17年は新発田城の木造復元三階櫓と辰巳櫓の見学した後に直江津に泊まり家内との初探訪見学でした。
 前日に三重櫓の周辺は見学して居ましたので、即三重櫓へ登りました、入場券は進められて上越市歴史博物館とのセット券を購入、一階二階は資料館、同見学し三階の展望階へ、屋根木組み梁がまだまだ新しく木の香りもします、上棟札も掲げられております、展望階からは東の続き土塀の眺め、南の内濠、西の内濠、北の本丸土塁を眺めてる。
 上越市歴史博物館へ本丸西濠沿いを北へ、初めての見学入場です、どうする家康に因みにどうする康政展、最後の藩主榊原氏の資料展が開催されていました、同様に高田城のバーチャル映像など高田城紹介の資料展示。
 開場時間ギリギリに暑さと疲れに甘いものが食べたくなり1階の喫茶コーナーで抹茶ソフトを頂きました。
 
 今回の直峰城を主体に箕冠城、虫川城、雁金城初登城、春日山城の再訪は2日、高田城3度目訪問は2日、三重櫓2度目の登櫓、埋蔵文化財センター、歴史博物館と長年の思いと新しいもを訪ねる事が出来、足腰の痛みに換えられぬ探訪でした。
 

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赤い城

北条早雲の城 (2023/06/25 訪問)

近くでゴルフの予定があったので早めに出発して登城しました。
江川邸は営業時間外でしたが駐車場は利用できました。
江川邸の土塁に沿って城へと向かいます。
登城口からまずは三の丸。
韮山高校のテニスコートになっています。
堀切があり、その下には韮山高校があります。
登城路に沿って進むと権現曲輪。
ここと二の丸の間にも堀切があります。
ここから二の丸までは上り、二の丸は土塁で囲まれています。
さらに土橋を経て本丸へ。
さらに登ります。
天気が良ければ本丸から富士山が望めるそうですがこの日は残念ながら曇り。
まぁこの後のゴルフを考えると暑くなくて良いのですが。
さらにここから天ヶ岳砦へ、と行きたいところですが現在立入禁止。
崩落の危険があるとのことです。
いずれ見学できる日が来て欲しいですね。

で、この後のゴルフですがあまり結果はよろしく無く。
久しぶりだったことを言い訳にしておきました。

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むらひろ

武蔵松山城 (2023/06/30 訪問)

バス通り側から本曲輪まで登ってわかった史跡になるだけのものはあると。

私が今まで見てきた城の中でトップクラスに遺構が残っている。

残念だった点は、連郭式の城で本曲輪から別のルートで降りて行こうとしたらしばらく誰も通ってないんじゃないかってくらいの蜘蛛の巣があり、雨の後でぬかるんでいたので滑りそうなのが怖くて私は断念。また別の機会にじっくり見ようと思います。(バス通り側からの登りは問題ないと思います)

虫も多かったし、山城(平山城)はそろそろ一時休戦時ですかね…

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