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ぴーかる

山内一豊生誕地 (2023/07/15 訪問)

【黒田城】
<駐車場他>駐車場はなし。道路脇に停車しダッシュで城跡碑撮影しました。JR木曽川駅周辺にコインPあり。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾11城目。現地説明板によると黒田城は明応年間(1492~1500年)に相模国から尾張に入った五藤源太左衛門光正が館を築いたのが始まりとされます。天文年間に岩倉城を本拠地としていた織田信安の家老山内盛豊(山内一豊の父)を城代として1545年に山内一豊がこの城で生誕しています。1557年に織田信長の手勢に夜討ちあい落城します。その後山内家は一豊が立身するまで一旦離散します。黒田城はその後次々と城主を変えて1600年に尾張清洲藩主松平忠吉の支城となったのを最後に廃城となったようです。
 現地には遺構は残っていませんが、黒田小学校の一角に東屋のある城跡碑ゾーンが設けられています。立派なちょこ城です。

<満足度>◆◇◇

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びーこ

スロープカーに大興奮! (2023/08/10 訪問)

久々のお城巡りでわくわくしていたが、スロープカーに乗れるということでわくわくは最高潮に!

籠を模したスロープカーは、以前はエアコンなしの2連だったが、今は快適なエアコンありの1連になっている。(肝心の現在のスロープカーの写真を撮り忘れたのでパンフレットの写真をどうぞ)
最大勾配33度からの眺めは素晴らしく、これに乗らない手はない。徒歩で登ることも可能だが、真夏はお勧めできない・・・

スロープカーが到着したのは二の丸跡で、そこには模擬天守があり、中は資料館になっている。地域の伝統産業や小野寺氏のゆかりの品などが常時展示されている。

最上階の4階は展望室になっているが、備え付けの望遠鏡が故障しているため、代わりにオリンパスの高性能双眼鏡が設置されていた。こういう気遣いが嬉しいではないか!たぶん、備え付けより良く見えたと思う。

登城の後はお待ちかねのランチ。もちろん稲庭うどん♪タイカレーのつけ汁というのはかなり珍しいが、これが本格的な味でめちゃくちゃ美味しかった!夏にピッタリ!

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Yosihiko

郡上八幡城 (2023/08/14 訪問)

攻城🏯19城、攻城址6
木造再建築で天守閣に登ると
床のきしむ音がなんとも言いがたい。

城下町で鮎を頂き、お土産に水饅頭
町並みも風情があって良かったですね。

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肉球

川田谷陣屋・埼玉県桶川市 (2023/06/16 訪問)

牧野康成によって築かれた陣屋跡です。
康成という人物はこの時代に二人いたようで
一人は『やすなり』さん。上野大胡の殿様。子孫は越後長岡の殿様になった家系。
こちら川田谷陣屋は『やすしげ』さん。息子や子孫は下総関宿、丹後田辺の殿様になった方です。
江戸時代中頃には陣屋も廃されていたようで
近年圏央道桶川北本インター建設に伴い地形も変化
痕跡も残されていません。

桶川北本インター脇にある牧野薬師堂は康成の戒名を寺名にした見樹院の
跡地に建てられたお堂のようです。
 

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肉球

ブルーシートが (2023/08/06 訪問)

高速の渋滞回避のため早出して仕事前の登城です。
数年前の雨で障子堀が崩れブルーシートが被されているということは承知してましたが
未だ復旧されていませんでした。
昨今の異常気象で管理維持することが難しいことを感じます。

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おっつん

大ケヤキが見守っています (2023/07/12 訪問)

城跡は東根小学校となっていますが、塀が石垣風となっているなど、雰囲気はありました。日本一を誇る大ケヤキが時に移ろいを見守ってくれています。

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肉球

高い石垣 (2023/08/03 訪問)

10年ぶりに訪れました。が,いつものごとく仕事の合間で
同行者に無理を聞いてもらい駆け足登城となりました。
高い石垣を見ながら裏門から入場しました。
入ってすぐの所から古写真に残る裏門付近で発掘調査が行われていました。
このような風景を見ると復元されるのかと淡い期待を抱いてしまうのは私だけでしょうか。
古写真は茅葺き屋根のようですが元々は瓦葺きだったようなので私はどちらの姿でもOKです。

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酷暑の中訪れました (2023/08/07 訪問)

近くに残る武家屋敷の町並みは雰囲気がとても良かったです。すごく暑い中でしたが、湧き水に囲まれた四明荘で涼を堪能しました。綺麗な水が豊かな街でした。

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にのまる

練馬城址公園 (2023/08/06 訪問)

「練馬城跡地のとしまえん跡地にハリポタ城が建設され、そこに練馬城が復活する」という話を聞いてから数年が経ちました。
そういえばどうなったんだ?と様子を見に行くと、駅前や公園入り口はとしまえん時代とあまり変わっていませんでしたが、「東京都立練馬城址公園→」の案内が新たに設置されていました。

人の波につられて“ハリーポッターとしまえん”(ワーナーブラザーズスタジオツアー東京)の敷地に入ってしまいましたが、ここに練馬城の遺構はありません。ハリポタ城内に入るのも予約制のようでしたのでそそくさと立ち去り、石神井川沿いの川辺の散策ゾーンを進むときれいに整備された練馬城址公園に着きました。
が、名前のほかにそれらしいものは見あたりません。お手洗いも海鼠壁じゃないし。。。

ということで、サービスセンターにて聞き込み開始。
大変貌を遂げた一帯から石神井川を挟んだ緑の残る土のエリア。現在工事中で入ることはできない区域を練馬城跡として整備中とのことです。現存土塁や地形を生かして、歴史を感じられるゾーンになるそうです。
屋外で歴史を感じられる施設というと古墳が浮かびますが、どんなふうになるのかな?
完成予定は令和11年だそう。ずいぶん先でちょっとびっくりしましたが、楽しみに待ちたいと思います。

現在は、西武線の豊島園駅に近いエントランス広場の「としまえんの思い出コーナー」の【この土地の歴史】のところで練馬城について触れられています。としまえん開園当初のマップで城跡妄想してしまいました。

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にのまる

「どうする家康」全国巡回展 (2023/08/01 訪問)

NHK放送技術研究所で開催されていた巡回展に行ってきました。かつて5年ほどこのビルの中で働いていたことがあったので少し懐かしかったです。

エントランスでの開催だったのでパネル展くらいかなと思っていたのですが、衣装、小道具等の展示あり、美術や衣装デザインの裏話その他ありで、大河ドラマ館の要素がばっちり盛り込まれていました。

興味津々だったのが、セリフが聞けるボタン。
“弱きウサギが狼を喰らうんじゃ”とか
“えびすくい〜”とか、
大音量で会場内に響き渡る🫨

松潤のビデオメッセージもよかったです。
お土産にいただいた「家康年表」もドラマのお供に便利そうです。

江戸城下には大河ドラマ館はありませんが、単発の企画展が駅前などでもあるようなので、情報をゲットできたら行ってきたいと思います。

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T-Shionoya

桜の展望台 河津城 (2023/02/20 訪問)

本佐倉城と佐倉城を訪れた翌々日は伊豆の河津桜観賞へ。
2月後半の城郭巡り第3段は、その時に寄った静岡県賀茂郡河津町の河津城。

河津川河口の小さな平野を見下ろす標高約180mの山に築かれた詰の城。
蔭山の字名が残る、麓の姫宮神社付近に蔭山氏の館があったとのこと。

築城時期は定かでないが、鎌倉公方足利持氏の七男といわれる広氏を祖とする蔭山氏の城。
伊勢宗瑞の伊豆平定時には火攻めが行われ、兵糧米で消火を試みたのだとか。
その後、小田原北条氏に仕えた蔭山氏ですが、秀吉の小田原征伐では戦わずして降伏します。

現在は河津城跡公園となっており、河津桜を展望する名所。
以前は西側に土塁が残っていたという本丸には米俵のモニュメントがありました。

訪問時、河津と今井浜を結ぶ小さな峠道からスタートすると、分岐点からは山城らしい急斜面に。
山頂手前の東屋は、城郭遺構とは別でしょうか。
更に登ると冠木門と柵が設置された二の曲輪と1段高い本丸に到着し、眼下には河津川沿いの桜並木。
城としての見どころは特にないものの、好展望の河津城が私の城郭巡りの150城目となりました。

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小城小次郎

新しい見どころが続々誕生している (2023/01/22 訪問)

二の曲輪北馬出にぽつんと建っていた門の周囲に塀が出来たのでこの曲輪のハイブリッドな機能がちょっとわかったような気になった。主郭横堀の薮も払われ、高い切岸に守られた精悍な城の姿も拝めるようになった。

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atsufumi

ハートのある石垣 (2023/08/13 訪問)

暖かいハート(猪の目石)の城
石垣の多くは堀尾吉晴公時代以降に築いたものとされるそうです。(一部家康公時代のものも有り)
荒々しい積み方が良いとおもいます。
本丸北東隅石垣遺構も屋内展示となっていました。(大河ドラマ館の別棟)

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ぴーかる

大野城 (2023/07/15 訪問)

【大野城】
<駐車場他>大野極楽寺公園第一駐車場に駐車
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾10城目。大野城の築城年は定かではありませんが、大野治長の祖父大野治定が織田信長の命で築城したものとされる城です。小牧長久手の戦いの時、秀吉軍の砦として利用される時に大野治久(大野治長の叔父)は堀秀政・岡田監物らと争いになり戦後所領を没収されます。廃城年は定かではありません。
 近代まで土塁が残されていたようなのですが、河川改修工事で撤去または埋められてしまったようで現在は石碑しかありません。行ってはいませんが樹冠タワーはブラタモリでタモリさんが木曾三川を眺めた所かも。

<満足度>◆◇◇

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もりちゃん

大きなお城ですね❗ (2023/08/13 訪問)

二ノ丸の周囲のお堀と三ノ丸の周囲のお堀の間に、県庁や中学校(その名も城内中学校)などがあらビックリ‼️
城内の静岡おでんもおいしかったです。

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にのまる

②つづき

石垣復旧PR館を出て、引き続き山下曲輪を野面積みの石垣を鑑賞しながら一周して大手門まで戻り、見返り坂から三の丸、二の丸、本丸へ進みました。間近で見上げる高石垣は迫力があります。その分、上から見下ろしても力強さを感じました。
工事のため通行できないところもありましたが思った以上に広範囲を見てまわることができました。ただ、ずっと雨だったので靴の中までぐじゅぐじゅで……天守の中に入るのは遠慮しました。

ここで四国城めぐりは終了です。
大雨のため予讃線に若干の遅延がありましたが岡山乗り換えで無事帰京しました。
今回は
100名城スタンプ……大洲城・宇和島城
          (松山城・湯築城・高松城・丸亀城はフライングスタートの2冊目)
続100名城スタンプ……河後森城
厳選24城スタンプ……宇和島城・松山城・丸亀城
城カード……丸亀城・松山城・宇和島城・高松城・大洲城

計15個のミッションももれなく達成することができて……ホッとしました。
ニッポン城めぐりのポチはかなり忘れていますが(-“-)

おわり

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にのまる

①石垣復旧現場 (2023/05/30 訪問)

3泊4日四国めぐりの最終日です。
もう……すごい雨ですが、あとは帰るだけなのでどうなってもいいわと覚悟を決めて丸亀駅から歩きました。
お濠の向こう、日本一高い石垣と日本一小さい現存天守が出迎えてくれます。下から見上げた天守が堂々として見えるのも高石垣効果のように感じました。
大手門と天守が一直線に見られるのは丸亀城と高知城だけ。城内に足を踏み入れる前からその魅力をたっぷり味わわせてくれます。二の門の補修跡や開閉可能な狭間も印象に残りました。

あやめ池、番所長屋、藩主玄関先御門、かぶと岩と見てまわり、石垣復旧現場に向かうと、この雨の中でも作業をされていました。
あまりにも規模が大きく被害も甚大で悲しくなるような現場ですが、出土した石や五輪塔などの展示もあり、石垣復旧PR館では自分で石垣を積んで構造を学べる「石垣つめるくん」など、楽しみながら石垣について学べるくふうがされていました。悲惨な現状をただ伝えるのではなく、丸亀城の魅力をアピールする前向きな取り組み。まさかここで「楽しかった!」という感想をもつとは思ってもいなかったのですが、楽しかったし、行けてよかったです。
2018年の西日本豪雨から5年が経過。復旧工事の完了は2027年度末の見通しだそうです。完了後の姿ももちろん見たいですが、今のこの期間の姿も心に留めておきたいと思いました。

つづく

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ろっし

お城探訪 (2023/07/15 訪問)

堀も石垣も素晴らしい❗

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ぎりょう

最上川舟運をおさえた中世山城 (2023/08/11 訪問)

遊佐町からの帰路は酒田・尾花沢経由としました。その途中大蔵村通過の際、道路脇の「県指定史跡清水城跡」の案内看板が目に留まり攻城することに。この城は最上氏の祖斯波兼頼の曽孫満久が文明8(1476)年に清水に配され、二年後に築城し清水氏を名乗りました。当時この地は最上氏領北端にあたり、北方の政治拠点の確保と最上川舟運の掌握が目的だったと考えます。
城地は最上川左岸に張り出す段丘と深い谷を利用した天然の要害。比高45mほどで最高所に東西65m、南北80mの本丸を置き、その南側に堀で囲んだ出丸、さらに東西95m、南北75mの広大な二ノ丸を連ねて、南側に広がる台地との接点は大規模な土塁と堀によって遮断する連郭式の構造。
城址に到着して先ず本丸を目指しますが、本丸防御の要であった出丸(馬出)は現在林になっており、堀切、土塁は時節柄草が伸びて判りにくい状態。さらに進むと深さのある堀切で画された本丸は広々として、北東隅にある四阿からは最上川がよく見渡せます。二ノ丸南側の台地には最上川の舟運をおさえ繁栄した清水氏の家臣屋敷や町家、寺院など城下町があったと言われていますが、現在は一面田んぼとなり跡形もないのが残念です。
清水城は元和8(1622)年の最上氏改易により廃城となります。最上川流域の中世山城の遺構を今に残す貴重な存在と感じました。
東北中央自動車道(国道13号線)舟形IC出口から11km(14分)。二ノ丸側に専用駐車場あり。

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todo94

平家追討のための築城 (2023/07/16 訪問)

姫島に渡る前の攻城です。七社宮がその伝承地とのことで、平家追討のために源義経が築城させた豊前5城とのことです。黒田官兵衛の統治に従うことをせず、攻められて落城。遺構はなくとも歴史を積み重ねた城は感慨深いものがありました。

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