明応年間、五藤光秋がこの地に屋敷を構えた後、岩倉織田氏の家臣・山内盛豊が黒田城を築きました。関ヶ原の合戦で功をあげ土佐国に加増転封となった山内一豊公は盛豊公の次男とされています。現在は木曽川小学校の南東部に冠木門を備えた小公園があり、城址碑が立っています。ここに山内一豊公と愛馬の銅像があるのですが、馬の目つきが良くないですね。なついている様子を表現していると思うのですが、まるでカツア〇‥いえいえ実に愛らしいお馬さんです。カツ揚げ食ってウマ勝った(ポカッ!)
東にある法蓮寺には山内盛豊公と十郎父子の墓と山内一豊公誕生の地の石碑があります。十郎さんは浩治3年(1557)織田信長の手勢と見られる盗賊に黒田城を襲われた際に討死したとされています。
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