くろだじょう

黒田城

愛知県一宮市


旧国名 : 尾張

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ウマの目つきがコエ~
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しんちゃん

山内一豊誕生の地 (2024/03/10 訪問)

明応年間、五藤光秋がこの地に屋敷を構えた後、岩倉織田氏の家臣・山内盛豊が黒田城を築きました。関ヶ原の合戦で功をあげ土佐国に加増転封となった山内一豊公は盛豊公の次男とされています。現在は木曽川小学校の南東部に冠木門を備えた小公園があり、城址碑が立っています。ここに山内一豊公と愛馬の銅像があるのですが、馬の目つきが良くないですね。なついている様子を表現していると思うのですが、まるでカツア〇‥いえいえ実に愛らしいお馬さんです。カツ揚げ食ってウマ勝った(ポカッ!)
東にある法蓮寺には山内盛豊公と十郎父子の墓と山内一豊公誕生の地の石碑があります。十郎さんは浩治3年(1557)織田信長の手勢と見られる盗賊に黒田城を襲われた際に討死したとされています。

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チェブ

千代さんも入れてあげて。 (2024/01/03 訪問)

「黒田城」は岩倉織田家の家老だった山内 盛豊さんの居城です。盛豊さんの子、山内 一豊さんは「黒田城」で産まれたそうです。
ですが、岩倉織田家は信長さんに滅ぼされてしまいました。盛豊さんは討死。一豊さんは諸国を流浪します。

「黒田城」はJR東海道本線沿いの黒田小学校辺りがお城跡です。小学校の一画に模擬冠木門があります。
すぐ横に川があり堀の役割をしていたのでしょう。そして、一方通行の道路。
路駐して写真をパチッパチッっとし、足早に退陣です。
私は夜の7時頃に「黒田城」に到着しました。オレンジ色の灯りが「黒田城」を照らしてます。
山内 一豊さんと馬の銅像があり、サイズ感が笑えました。
山内 一豊さんの奥様、千代さんの内助の功と言ったら有名です。
きっと銅像の馬は、千代さんが嫁入りの時に渡された黄金10枚で買った馬なのでしょう。

銅像の土台部分は、デーンとしているのに、一豊さんと馬は小さいです。
だったら千代さんの銅像も入れてあげて欲しかった「黒田城」攻めでした。

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くうくう

土佐20万石大名になった山内一豊出生地

平城で遺構はないが、黒田小学校北東角に小公園として冠木門、説明板、石碑、像などモニュメントがある。山内一豊が生まれた(天文14年(1545))城として有名。近くに駐車場はなく意外と訪城しにくい。

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ぴーかる

山内一豊生誕地 (2023/07/15 訪問)

【黒田城】
<駐車場他>駐車場はなし。道路脇に停車しダッシュで城跡碑撮影しました。JR木曽川駅周辺にコインPあり。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾11城目。現地説明板によると黒田城は明応年間(1492~1500年)に相模国から尾張に入った五藤源太左衛門光正が館を築いたのが始まりとされます。天文年間に岩倉城を本拠地としていた織田信安の家老山内盛豊(山内一豊の父)を城代として1545年に山内一豊がこの城で生誕しています。1557年に織田信長の手勢に夜討ちあい落城します。その後山内家は一豊が立身するまで一旦離散します。黒田城はその後次々と城主を変えて1600年に尾張清洲藩主松平忠吉の支城となったのを最後に廃城となったようです。
 現地には遺構は残っていませんが、黒田小学校の一角に東屋のある城跡碑ゾーンが設けられています。立派なちょこ城です。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 五島光正
築城年 明応年間(1492〜1501)
主な改修者 一柳直盛
主な城主 山内氏、和田氏、沢井氏、一柳氏、富永氏
遺構 消滅
指定文化財 市史跡(黒田城址)
再建造物 模擬天冠木門、石碑、説明板
住所 愛知県一宮市大字黒田字古城59(黒田小学校)
問い合わせ先 一宮市観光協会
問い合わせ先電話番号 0586-28-9131