このたび久々に野田城に行ってきました。野田菅沼氏の城で、武田信玄が最後に
攻めた城として有名です。郭が南北に連結していて、本丸の北に二の丸、三の丸と
続きます。古図にはその先に馬出しがあるようですが現状は藪で遺構はみあたりません。
東と西に川が流れ弱点となる本丸の南側は土塁で防御していますが、古図では枡形を
備えていたように見受けられます。
本丸と二の丸の間は大きな堀切で阻まれ土橋がかかっています。本丸の周囲と二の丸の
南側には今でも土塁が残っています。本丸南側に大きな井戸が残り、武田方の手勢に
この井戸の水を抜かれ開城にいたったという伝説が残ります。もう一つの伝説である
信玄公狙撃の場所も本丸の西端に残っています。三の丸周辺は以前訪れた時より発掘が
進んでいるように見えます。野田城のもう一つの弱点である三の丸北側も土塁が西から
北東へ続いており西端には三日月堀が土塁と連結するように配されています。
ただこの三日月掘は西南側へ張り出すように付いていて用途がいささか不明です。
三の丸の東には土塁と切岸の間に武者走りがあって二の丸に続いています。三の丸の
北側の土塁は両側に堀があったようで、三の丸は二の丸より高所にあります。
想像していた以上に防御力が高そうな城ですが、まだまだ不明な点が多い城です。
300の手勢で数万の武田勢相手に20日間耐えた秘密はさらなる調査の進展によって
明らかにされるかもしれません。
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