関東鉄道常総線 騰波ノ江駅から徒歩約25分で到着。
南北朝時代 南朝の拠点となり、興国二年(1341)南朝の小田城が開城したことで、南朝の北畠親房が関城に入城。北朝の高師冬軍と籠城戦を展開し、興国四年(1343)に落城しています。
城はかつて存在した大宝沼に三方を囲まれた微高地にあります。
城の北西側に北朝が、関城の櫓を崩すために掘った坑道跡があります。
坑道から少し南に行くと八幡神社があり、神社の裏手に土塁が残っています。
神社を出て、西側にも土塁があり、さらに西側には、空堀と土塁が残っています。
そこから関城通りを南に行くと、城主の関宗佑の墓、その左側に北朝として関城攻めに参戦し、討死した結城直朝の墓があり、案内板と関城址の碑も立っています。
そこから、南に下った所には、なぜか大宝城の標柱が立っています。この件は大宝城跡の案内板で、理由が図示されており、大宝城の国史跡区域がかつての大宝沼一帯も含めているためだからだそうです。
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