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早朝の訪問 (2023/03/07 訪問)

JR八戸線 本八戸駅から徒歩6分程度
八戸市文化教養センター前に角御殿表門という非常に重厚な門が残っています。
本丸跡の公園からは、遺構は確認できませんでした。
八戸城跡から、徒歩で30分程度の根城跡には、八戸城の東門が移築されています。

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一面の雪野原 (2023/03/06 訪問)

弘前駅から奥羽本線で移動し、浪岡駅で下車。
浪岡駅の観光案内所あぴねす で、スタンプを押印
案内所の方から、ガイドマップをいただきましたが、雪野原になっていると案内を受けました。一応、確認のために城跡へ
駅から20分ほど歩いた道路上に、浪岡城址の石碑がありました。城跡は、1メートル以上雪が積もっており、訪問は断念しました。
中世の館は、月曜日で休館しており、消化不良に終わったので、雪の無い時期にリベンジしたいです。

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雪残る弘前城 (2023/03/06 訪問)

弘前駅西口を出てすぐのバス停から「土手町循環100円バス」に乗車し、弘前市役所前で下車し、追手門→三の丸→辰巳櫓→未申櫓→南内門→与力番所→丑寅櫓→北の郭→本丸→天守→北の郭→三の丸→東門の順で見学。
雪が積もっていましたが、通路は除雪されていました。
追手門をはじめとして、櫓門は5棟が現存、三重櫓は3基が現存しており、天守以外の見どころも盛りだくさんです!!
天守は本丸内に移動されており、間近で見ることができました。
また本丸から岩木山を望むことができました!!
11月末〜3月末まで天守内には入れませんが、本丸・北の郭は無料で見学することできます。
帰りは、東門を出てすぐにある文化センター前のバス停から100円バスで弘前駅へ向かいました。

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トク

㉘【関ケ原の26人】(14)池田輝政 (池田輝政と姫路城) (2023/02/11 訪問)

(14人目)「池田輝政」の続きです。
今度は、関ケ原後に築城した「姫路城」を訪れてきました。いつ見ても豪華絢爛! 姫路城を見たら誰もがお城を好きになってしまう不思議な魔力がありますよね! 現存のため嘆願してくれた中村重遠大佐や、B29の爆弾や火災から守ってくれた?刑部姫にも感謝です(笑)。もちろん現在維持管理されている方々にも。

私の好きな角度はここです。西の丸から見た天守です!(写真①)。また大天守を下の備前丸から見上げた姿も圧巻で好きです(写真②)。姫路城は美しさや大きさだけでなく、なかなか天守にたどり着けない入り組んだ門や狭間などの数々の戦の備えも、今まで訪れた方は誰もがすごいと感じられたのではないでしょうか(例えば写真④⑤など)。

黒田官兵衛時代の石垣も残っていました(写真③)。地元の官兵衛ファンとしてちょっと感動です。

(しかし待てよ🤔? ここでまた3つ目の疑問が?)
西国を牽制するために大きな城を築けと家康から命じられたとはいえ、いくら何でもこれちょっと大きすぎませんか? そしてこの備え、外観は華麗でも中味はまさにこれから大戦(おおいくさ)をするぞと言わんがばかりの城に見えませんか? これを見た徳川の人々はさぞかしびっくりし慌てた事でしょうね~(そこまでとは家康様は言ってないぞ!って)。

関ケ原後に、豊臣恩顧の大名で大天守と大城郭の両方を持つ壮大な城を築いたのは、加藤清正と池田輝政の二人だけです。清正がなぜそのような熊本城を築いたのかは、本丸御殿の「昭君之間」に答えが隠されていた事を以前お伝えしました。ならば輝政はなぜこのような壮大な姫路城を築城したのでしょうか?(皆さんはどうお考えでしょうか?)

【余談】姫路おでん
「姫路おでん」という看板をあちこちでよく目にしたので気になって食べてみました。生姜醤油につけて食べるのが特徴のようでおいしかったです。こんにゃくがお城の形でした(笑)😊(写真⑧)
 

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ガチャピン

雪が残ってました (2023/01/09 訪問)

高山の冬は寒いです。

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ガチャピン

大石神社 (2023/03/08 訪問)

赤穂浪士の石像も見ごたえがあます。

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イオ

対向不能の農道沿い (2023/02/04 訪問)

築城時期等は不詳ながら、織田信雄に仕えた加賀野井氏の城で、小牧・長久手の戦いでは信雄方として羽柴秀吉方の大軍に包囲されて落城。その後は秀吉に仕えるも、関ケ原の戦いで西軍についたため改易され、加賀野井城も廃城となりました。

木曽川の河川改修により遺構は消滅しており、田んぼの中の一角(城びとの位置情報)に加賀野井城跡の標柱と説明板が立てられているだけです。説明板のある一角には車では対向不能の狭い農道が続いているだけなので、近くで駐車場所を探しましたが見当たらず、民家へ続く細道に路駐して、ささっと写真を撮って退散しました(登城時間1分)。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー61城目 (2023/02/18 訪問)

京阪大和田駅前から京阪バスで四條畷にアクセスして、まずは、四條畷市立歴史民俗資料館にて続100名城のスタンプを捺印しました。この資料館は初めてでしたので展示もしっかり拝見しました。飯盛山城はこれで3度目となりますが、まだ見ていない石垣が残っています。今回も翌日の天気予報が芳しくなく、先を急いだため、しっかりと回り切れていません。また、いつか、訪れたいと思います。

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にのまる

相模国の最西端 (2023/02/05 訪問)

JR中央線の藤野駅から路線バスで行きました。藤野駅は小さな駅ですが、陣馬山登山の起点でハイカーさんも多く、観光案内所もあり、景色も雰囲気もとてもいいところでした。
奥牧野行きバスに乗車。終点の奥牧野ではなく、舟久保バス停で降車しました。
バス停から城址まで歩いた道順は以下のとおりです。

① 舟久保バス停から「藤野さつき学園入口→」の看板のある林道に入ります。

② ほぼ上りの道を15分ほど歩くと「十一面観世音」に着きます。ちょうど道がカーブしているところなのでそのまま道なりに進みます。(※舟久保集会施設の方へ入っていかないでください!)

③ 下り坂を5分ほど進むと右手に「この先前川橋は通り抜けできません」という看板があります。通り抜けできない=そっち方面に続いているということです。感覚としては引き返すような感じですが、看板のある道へ入っていきます。
あとは森林浴をしながら崖沿いをひたすら歩きます。落ち葉が積もっていましたが舗装道です。一部ガードレールのないところもありましたが、道幅は狭いところでも1.5メートル以上あり、危ないとは感じませんでした。

④ いかにも曲輪っぽい平場に出ました。到着です*\(^o^)/*

写真①~④が上記説明の①~④の箇所になります。5枚目の写真の①〜④の番号も対応しています。どなたかの参考になれば幸いです。

城址は秋山川に囲まれ、出城或いは古戦場といった雰囲気をたたえていました。近年の便宜的な開墾ではなさそうな盛り土や削平が見られます。(詳しい説明はどうぞ写真の解説をお読みください。)平場は解説にある武者屋敷跡でしょうか。
人里から遮断されていることも手伝って、ここだけ別世界。何ものにも邪魔されずに戦国時代人になり、好きなだけ感慨に耽ることのできる場所でした。
ふらっと訪ねた人間にそれができるのも地域の方々が大切にお手入れされ守っておられるからこそと感謝です。

前川橋が通行止めのため迂回が必要でしたが、バス停到着→城址→バス停に戻るまで、ゆっくり歩いても1時間半くらいでした。
行く前はどんなところだろうかと不安もありましたが、里山を走る路線バスの雰囲気も好きだし、時おりすれ違う軽トラもゆっくりで(③から先は車は無理だと思います)、日常から解放されて何も考えずに「ただ歩きに来る」のもよいなと思いました。
お気に入りの場所になりそうです。

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赤い城

秩父札所31番鷲屈山観音院の裏手に (2023/02/25 訪問)

観音院の駐車場に車を置き、側の登城口から登ります。
沢登りの感じで牛首峠を目指します。
急坂ではあるものの道がついていて迷うことはありません。
牛首峠は断層によるもので自然の地形だとか。
巨岩の堀切に圧倒されます。
まずは西側に進みます。
岩の堀切と櫓台状の曲輪を見学しました。
引き返し主郭を目指します。
炭焼き窯を経て段になった曲輪へと進みます。
東側には二郭、観音院へと下る部分に虎口状の遺構があります。
尾根で繋がる主郭には祠がありました。
その先を下ったところにも曲輪があり、さらに下からは竪堀も落ちていました。
詳細は不明の城ですが北条氏邦家臣の諏訪部氏の居城だったとされています。
巨岩が転がる登城路は一見の価値ありです。

にのまるさん、今井砦にお礼頂きありがとうございます。
結構歩き回る質なのでイケないところにも行っちゃってるかもです。
今井砦もロープの先に。
それっぽい地形はありましたが遺構なのかは?

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ぴーかる

阿賀城 (2023/02/12 訪問)

【阿賀城】
<駐車場他>下根集会所(南登山口)・基幹集落センター(北登山口)
<交通手段>車

<見所>竪堀・曲輪壁
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅7城目。お決まりのセリフ、初投稿いただきます。現地説明板によると阿賀城は中世には阿賀氏の城で戦国時代には毛利元就の家臣井上越前守光貞、左馬之助就任の2代の居城だったと伝えられます。
 登城道は北と南と2つあるようですが私は南の登城道をチョイスしました。南の登城口は<34.595691, 132.591674>にあります。一旦墓地?行く砂利道に出てそこに山頂まで800mの標識方向の山に入ります。登城道は途中まで樹脂製の擬木階段があるので迷うことなく行けます。山頂まで300m標識付近が山の鞍部になりこの辺りからが城跡となるようです。鞍部の反対側の山のピークに出丸のような削平地があります。山の鞍部には土塁があります。鞍部から少し登ると山側に竪堀と思われる凸凹が3条程あります。私は畝状竪堀に見えました。主要部は主郭南東側の鞍部から入ります。谷側に竪堀があり、右手が現地縄張り図の5郭になります。5郭はL字状の土塁があります。5郭の北西隅からも竪堀が見られます。主郭へは主郭から横矢が射られる小径を100m程通り主郭南側から入ります。主郭南側は1段下がって虎口曲輪のようになっています。主郭は広く井戸跡、東屋もあります。主郭から北方向に2郭・3郭と伸びています。曲輪壁が高く切岸が明瞭、迫力あります。眺望はいいのは望めず、結局北からの登山道はどこから合流するか分かりませんでした。
 城跡は整備され、なかなかの見応え、今まで城びと未投稿だったのが不思議、いい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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カズサン

掛川桜が見頃でした (2023/03/08 訪問)

 外堀の代わりである逆川、両岸に咲く掛川桜が見頃となり家内と出掛けて来ました、大勢の方で賑わって居ました、車は大手門駐車場(有料)を利用。
 
 登城見学ルートは、大手門を潜ってビューポイントの大手橋からの眺めが素晴らしい、逆川両岸の掛川桜を入れて天守閣、太鼓櫓と間に在る四足門を合わせて撮影、鑑賞、大勢のカメラマンで場所取りが大変、まだ天守閣の修復中ですが仮設足場は撤去されて真白な天守閣が美しい、逆川南側の道沿い掛川桜を愛でながら緑橋へ、途中に天守閣を狙うが掛川桜が咲き誇り天守閣の全体姿が捉えられない。
 緑橋南から逆川沿いの桜の上に聳える天守閣、太鼓櫓を入れて撮影、三の丸からの眺め、本丸に登り工事フェンス越しに真白な天守閣を狙い、3月末までは天守閣、天守曲輪、天守曲輪登城路には入れない。
 二の丸庭園の掛川桜を入れて天守閣撮影、二の丸御殿玄関横より御殿屋根越しの天守閣を撮影、御殿には入りませんでしたが大勢の方が入場されて居ました、二の丸茶室へ向かい、抹茶のセットを頂き、部屋は今年1月に王将戦で藤井王将と羽生九段が対戦した部屋での接待でした。
 
 今年も掛川桜を見る事が出来ました。掛川桜は寒桜の一種で河津桜より小振りで咲く時期は河津桜より1週間から10日位の遅咲きです。
 

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北風の又三郎

大河ドラマ館そろそろオープン! (2022/03/05 訪問)

浜松城に行きました。あいにくの雨でしたが、天守もいけました。天守は、本来の大きさの3分の2で復興されています。石垣は、生々しい野面積で、当時の姿をよく残しています。大河ドラマ館開館まで後一週間という時に来ましたが、お土産コーナーや、一部の石垣を見ることができる建物などは開いていました。石垣は、浜名湖から運んできたものらしいです。ボランティアの方が、雨の中立っていて感謝感謝です。ちなみに、大河ドラマ館周辺にある木はオリンピックで使われたものらしいです。

周辺は、餃子店が沢山あります。僕は五味八珍という餃子屋さんに行きました。後、浜松はスズキが有名で、本社前にあるスズキ歴史館は、無料ですごいボリュームなのでおススメです。

浜松は魅力いっぱいだったので一度来てみる価値ありです。

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イオ

土塁とイチョウと移築門 (2023/02/04 訪問)

戦国末期に毛利広盛が築いたとされ、毛利氏は江戸期には尾張徳川家に仕えて明治までこの地を治めました。

城跡には土塁の前に説明板があり、土塁の上には樹齢300年を超えるイチョウの木が聳え、八神領主館址の石碑が建てられています。
また、城跡から南南西に約1.5kmの真福寺の山門は八神城一ノ門の移築と伝わります。城跡から南西に約3.6kmの民家の長屋門も八神城の移築らしいのですが、ずいぶん傷んでいるように見えました。
 

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にのまる

畠山重忠古戦場めぐり(濃い目のバーター) (2023/02/03 訪問)

今井砦訪問のあとバスで二俣川駅に戻り、駅の行政サービスコーナーで「畠山重忠ゆかりの地マップ」をいただいてから電車で1駅の鶴ヶ峰に移動しました。
訪れたポイントは以下の6か所です。

① 首塚
二俣川付近で戦死したあと、首が祭られたといわれているところ。大通りから少し入ったところでした。
② 首洗い井戸
首塚のすぐ近くです。かつてこの場所に重忠公の首を洗い清めたといわれる井戸があったのだそうです。
③ 畠山重忠公碑・さかさ矢竹
没後750年を記念して出生地の埼玉県深谷市と終焉の地、鶴ヶ峰の有志によって建てられた碑だそうです。かつて繁茂していたさかさ矢竹は消滅してしまったため、現在みられるのは新たに植えられたものだということです。
④ 薬王寺・六ツ塚
重忠公をはじめ、一族郎党134騎を埋めたと伝えられているとのことで、お寺のまわりと道路をはさんだところに六基の塚がありました。薬王寺には重忠公の霊が祭られているそうです。
⑤ すずり石水跡
道路脇に標柱がありました。重忠公が鶴ヶ峰に陣をはった際にこの水で墨をすったと伝えられているとありました。
⑥ 駕籠塚
<武州鶴ヶ峰駕籠塚碑文>
『元久二年六月二十二日畠山重忠公ハ岳父北條時政ノ策謀ニ因り冤罪を被ムル
北條義時大軍ヲモッテ之ヲ迎撃セントス
重忠公一族百三十四士悉ク死ヲ決スルノ悲報秩父・菅谷ノ館ニ達ス
内室急遽北條に到ラントスルモ公既ニ戦死ス 悲嘆慟哭シ乗駕中殉ズ
駕籠塚ハ永ク其ノ霊ヲ弔ウテ今日ニ至ル』

「矢畑・越巻」と万騎が原の「重忠公遺烈碑」は行きませんでした。上記すべてまわっても1時間かかりませんでしたが、なかなかずっしり重く心にきました。
写真⑦がいただいたマップです。DL版もあります。
マップには、重忠最中・重忠銘茶・重忠まんじゅう、・重忠抹茶マドレーヌ・重忠クッキー・重忠あんぱん・重忠味噌・重忠いなり・重忠丼・重忠ジャムなどなど重忠ブランドのおいしそうなものもたくさん載っていました。

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ぴーかる

毛利元就生誕の地 (2023/02/12 訪問)

【鈴尾城】
<駐車場他>鈴尾城登山口休憩所に駐車可能
<交通手段>車

<見所>堀切・切岸
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅6城目。鈴尾城は別名福原城とも呼ばれ福原氏の居城でした。現地説明板によると、南北朝時代の1381年に毛利元春の5男広世が長井姓から福原村を与えられ福原姓に改姓しこの地に築城しました。第8代福原広俊の娘は毛利弘元の妻となり長男興元、次男の元就が誕生します。なので毛利元就は母の里であるこの城で誕生したとされます。福原氏は毛利家の重臣として毛利家を支えますが関ケ原後に毛利家の萩移封と共に福原家も移転し鈴尾城は廃城となります。
 登山口から少し登ると福原氏居館跡の削平地、毛利元就誕生地碑があります。そこを通りつづら折りを登ります。折れの途中から北方向に山に入り込むと2重堀切があります。戻って再び登山道を登り、段曲輪の最下段に入ります。曲輪を突っ切って先の奥に石組井戸が残ります。井戸の更に奥に進んで行くと広い曲輪があるようなのですが倒木と道がロストしていて断念しました。段曲輪の最下段に戻り4段程の曲輪の上が主郭になります。主郭には段曲輪と長方形の腰曲輪1つ、舌状の腰曲輪が2つ付いています。主郭は狭く小さく段状になっています。石積み跡のような石列も残っています。主郭南側にも大堀切と小さな曲輪、連続堀切になっていて斜面の中腹から回り込んでアタックしましたが斜面がきつく断念しました。全攻略ができず難しい城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

戸吹トンネルを通過する選択は間違いだった… (2023/02/25 訪問)

JR秋川駅から徒歩で目指しました。途中,ショートカット目的で戸吹トンネルを通過。次第に具合が悪くなり,頭痛がし始めました。
トンネルを抜けて左に行かなければいけないところ,ボーっとしたまま右へ行ってしまうという大失態。気がつけば,明大中野八王子中学校・高校の裏山に登っていました。
尾根がつながっていれば下山しなくていいな…と思いましたが「この城はたしか崩落部があったな…」と思い,変なところにアクセスしても困るので登り直しました。
すでに夕方近く空はどんよりとし,風が強くなってきました。頭もまだスッキリとしなかったので,八幡社の北側空堀よりさらに北進することは控えました。遠景写真も失敗…<泣>。
東尾根ピークは眺望が開けていたので,物見や狼煙台として有効だったのではないかと思いました。

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侍ホリタン

五重の層塔型天守が存在した名城を訪ねて (2022/08/18 訪問)

明智光秀公が丹波攻略の拠点として築城したのが始まりです。徳川政権下で天領となり藤堂高虎公の縄張りによる天下普請が行われました。この時今治城の天守が移築されています。その後天守は明治政府の廃城令が出されるまで存続することになります。
JR亀岡駅を出てまっすぐ進むと数分で明智光秀公の銅像がある南郷公園に着きます。 そこから徒歩10分程度で受付事務所、事務所で拝観料を払い、拝観の説明を受けてからの見学となります。敷地内全体が宗教法人の所有地なので見学範囲が限られてます。天守石垣は見学できますが天守跡には入れません。

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WEST

宇都宮城址探訪 (2023/03/02 訪問)

宇都宮城址公園を訪問しました。
残念ながら戊辰戦争等で往時の建物は残っていませんが、土塁、櫓、堀等が復元整備されていました。

2つの櫓、清明台と富士見櫓は内部も見学ができ、往時の雰囲気を味わうことができます。
ちょうど桜の開花の時期であり、梅越しに見る櫓も良いものです。

公園の土塁下に「宇都宮城ものしり館」が常設されており、展示やボランティアの方の説明があり、事前に覗いてみると前知識が得られると思います。

自動車で訪問される方は、市役所の駐車場を無料で利用でき大変便利です。また、パンフレットも用意されています。

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イオ

丸毛兼利推し (2023/02/04 訪問)

室町中期に土岐氏家臣の福束益行が築き、その後は丸毛氏代々の居城となりましたが、関ケ原の戦いでは丸毛兼利が西軍についたことで松ノ木城の徳永寿昌や今尾城の市橋長勝ら東軍の攻撃を受け(福束城の戦い)、大垣城に逃れ、戦後に廃城となりました。

揖斐川に複数の支流(水門川、牧田川、相川)が合流する舟運の要衝に築かれた平城でしたが、木曽三川分流工事により遺構は消滅しており、福束城に隣接していたとされる福満寺(分流工事により現在地に移転)に「丸毛兼利と関ケ原の戦い」の説明板が立てられているくらいです。また、福満寺から東に約3.7kmには、福束城の戦いでの両軍の死者を埋葬した北塚(と説明板)があります。

…と、見るべきものは限られているものの、輪之内町では大いに福束城と丸毛兼利推しで、町立図書館内の歴史資料館には福束城のコーナーが設けられ、パネルやジオラマ、福満寺に伝わる福束城跡が描かれた版木(複製)が展示されています。さらには丸毛兼利を主人公とするアニメ「丸毛戦記」制作に、先日開催された第3回丸毛サミットも盛況だったようで、かなりの力の入れようです。かく言う私も、丸毛サミットにあわせて輪中の城めぐりをするつもりだったのが、当日に別用が入ったためにわざわざ半月繰り上げて訪れるなど、輪之内町にうまく乗せられている気もします(笑)
 

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