一二三では 足りぬ石垣 丸亀城
丸亀城 日本一の 石の城
亀山を 石で囲んだ 丸亀城
杖装備 覚悟し登る 丸亀城
一句目〜三句目
丸亀城と言えば高石垣
どのように表現したら魅力が伝わるかなと
楽しく悩みながら、詠んでみました
四句目
平山城とはいえ、流石の高石垣
山城同様に杖を持って、よいしょこらしょと登城致しました
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検索結果・・・「」を含む投稿
2023/05/05 19:51
2023/05/05 19:37
石垣が見処 (2023/05/02 訪問)
念願の安土城へ行ってきました‼️
大手道を麓から見上げるだけで、滾る滾る。今でもそうなんだから、当時はもっと凄かったんだろうなぁ。
武将の屋敷跡もじっくり。石垣の野面積みに間詰め石が丁寧に嵌め込まれていて、さらに栗石もしっかりと仕込まれていて、どれだけ見ていても飽きなーい。
どうしても大手道の石段にに注目しがちだけど、屋敷地の石垣も見てほしいっ。
上に登るにつれて石段や石垣の石が大きくなっていく。これをここまで上げたことが凄い。当然人力で持ち上げてるんだから、どれだけの人が携わったのと思うと信長様の最盛期の力は本当に天下人に等しいぐらいなんだな。
特に本丸を囲む石垣の巧みさは素晴らしかった。当時はこんなに樹がなかっただろうから、下から見上げた時の要塞感で攻める意欲を削ぐ意味もあったのかな。
汗だくになってぐるっと巡り、麓で食べたマンゴージェラートが美味しかった!!!!
安土駅から時間貸しのレンタサイクルで行ったんだけど、思ったより見学に時間がかかってしまって延滞料金を払う羽目に( ;∀;)
お店の人が勧めるより長めにしたけど、それでも足りなかったーーー。
城好きなら最初からかなり長めの時間で借りる事をおすすめします(苦笑)
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2023/05/05 18:13
飯久保城 (2023/04/01 訪問)
【飯久保城】
<駐車場他>①城飯久保公民館 ②竹ドーム入口横の空き地<36.805205, 136.958580> ③高速道路高架下<36.805470, 136.952191>
<交通手段>車
<見所>堀切・尾根曲輪・枡形虎口
<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅4城目。飯久保城は加賀の在地領主であった狩野氏によるもので、加賀の一向一揆から落ち延びてこの越中国氷見に定住した1488年以降に築城したと思われます。氷見の南部を支配して詰城の鞍骨山城(城びと未登録)・惣領砦(城びと登録城)を築いて拠点としていました。狩野氏は守護代の神保氏に仕えていたようで、その後は佐々成政に仕え秀吉が越中国に攻め込んでいた時に落城しその後廃城となったようです。
登城された投稿が無いのでここは拙文ながら頑張って詳細に。登城口は飯久保八幡宮横からと東方向の上記の竹ドーム(公会堂)からの2か所あります。私は八幡宮から登城し、尾根を通って竹ドームに出ました。八幡宮の鳥居から進み、右手の階段を登ると八幡宮、直進の山に入ると登城道となります。比高が60m程しかないので少し登ると土塁が見えてきて大手の枡形虎口があります。虎口から先が鬱蒼としてきて、湧き水地がありますが笹薮化しています。湧き水地のある谷のような小さい曲輪のような鬱蒼とした斜め地の上の段がもう主郭になります。主郭は15×30m程の小さな曲輪で東と南に高土塁があります。土塁の北東端が櫓台になっています。主郭内部と周辺も鬱蒼としてあまり整備されていません。城びとのポイントが主郭の南側に置かれていたので、主郭の南側が気になりましたがここも行ける状態ではありませんでした。主郭の東側土塁の東側が深い堀切になっており、堀切先に曲輪があります。ほぼ笹で埋まって踏み跡道しかないですがやや広めな曲輪と思います。そこから尾根曲輪と薄くなっているが連続堀切が続いて鉄塔の建てられている削平地の手前に明瞭な堀切がありますのでここまでが城跡かと思いました。現地説明板にも東西400mとありましたので合致するかと。その堀切を北に下っていくと地元の集会で使われるような竹組の屋外公会堂があり麓に出ます。
鬱蒼としていたので明瞭さには欠けているが、この城が狩野氏の本城とする意見もあるようだが、主郭をはじめ広い曲輪が見受けられなかったので私の意見はこの城は砦レベルの規模で惣領砦も1㎞程しか離れていないことから東方向を守る惣領砦と連携した砦と感じました。
<満足度>◆◆◇
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2023/05/05 14:29
かなり頑強な館 (2023/04/29 訪問)
杉山城跡から武蔵嵐山駅を経由して、徒歩で約1時間。
搦手門跡→三ノ郭→嵐山史跡の博物館→畠山重忠像→二ノ郭→出枡形土塁→本郭の順で見学。
嵐山史跡の博物館の入口でスタンプを押印。
土塁と空堀は規模が大きく、かなり頑強です。
また一部の堀は、水堀や泥田状の堀も見受けられました。
畠山重忠の館があったとされていますが、遺構は戦国期のもののようです。
大河ドラマの影響なのか、訪問時は、観光客がかなり多かったです。
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2023/05/05 14:28
日本初の西洋式城郭を訪ねて (2023/05/05 訪問)
この時期は朝の5時から開園されます。
箱館奉行所の中以外は無料なので早朝から観光客の方、ランニングされてる方等多くの人が訪れていました。土塁上を歩くことができるので稜堡と呼ばれる五角形の角の部分を体現できます。隣の五稜郭タワーからの眺めは素晴らしいです。五稜郭タワーは有料、休日は大変混み合いますが公園内と両方訪問するのがオススメです。
五稜郭は函館奉行所の防御施設として、1864年に完成しました。武田斐三郎の設計による日本初の西洋式城郭です。戊辰戦争最後の戦いとなった函館戦争においては旧幕府軍の本拠地として使用されました。
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2023/05/05 12:34
2023/05/05 11:41
2023/05/05 11:25
松下期の久野城復元イラストがHPで公開
袋井市ホームページで昨年久野城の大手に案内板掲示された「松下期の久野城復元イラスト」(城主:松下之綱・重綱 天正18年~元和5年・1590~1619年)作画:香川元太郎氏 監修:加藤理文氏・袋井市教育委員会の力作です。
所有権の話し合いがついて公開の運びと成った様です、HPを開いて資料保管、イラストに往時の城郭景観、雰囲気を感じて楽しみたいと思います、皆さんも宜しかったらHPを開き実感してください。
HPは袋井市ホームページを開き→観光・文化・スポーツ→文化財→指定文化財について→久野城についてを開きましたら、久野城の紹介、松下期の久野城復元イラストが有りその下に、PDF久野城のイラストファイルが添付されています。
https://www.city.fukuroi.shizuoka.jp/material/files/group/84/kunojyofukugenpdf.pdf
私も3月末に訪ねて松下期の久野城復元イラスト案内板掲示されていたので袋井市の文化財係にHPを通じて問い合わせし同イラストのPDF公開の希望を伝え、所有権者との交渉中との返事の後、公開されましたと4月下旬返事が有りました。
大変ありがたいことで感謝する次第です「ありがとうございました。」
大変立派な城郭だったと分かります、瓦を用いた二階天守、南の丸の石垣と櫓群、現在の大手は濠の中、昔の大手は舟入で船で行き来、陸地との繋がりは唯一搦手側より、北の丸は現在消滅して現在の北の丸跡は北の丸下曲輪だったのですね?大きな濠もよく理解できます。
松下氏も華やかな織豊期城郭を築き、瓦屋根の天守、櫓、石垣と上方の城郭を手伝い普請をしながら大いに見分を広め自慢の城郭だったことでしょう、拾数年で改易に成ったのは惜しまれます、廃城も早すぎました。
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2023/05/05 10:38
2023/05/05 08:47
㉝【関ケ原の26人】(16)黒田長政 (黒田長政と中津城) (2023/01/05 訪問)
(16人目)は「黒田長政」です。
関ケ原当時の居城「中津城」を訪れてきました。
長政は城主といっても形だけで、ほとんどは伏見城で家康に付き従っていたため、中津にはあまり戻っていません。実質は、父の黒田官兵衛(如水)が築城しその後も支配していました。(しかし黒田軍主力はこの中津城から出陣しています)
しかし唯一、長政に関係する遺構があります。それは城内にある「城井神社」(きいじんじゃ)です(写真⑤⑥)。ここには「宇都宮鎮房」(うつのみやしげふさ)という人物(写真⑦)が祀られています。鎌倉時代から400年、この地域一帯は宇都宮氏が支配していましたが、九州征伐後に秀吉の命で今治への移封が下されるも、先祖伝来の地を離れる事を拒み、黒田氏になかなか明け渡そうとしません。逆に反旗を翻し黒田を攻めたため、長政は官兵衛の居ぬ間に和睦と称して鎮房を中津城へ呼び出し、だまし打ちにして殺してしまいました。なぜかその鎮房を城の守護神として祀っています。大河ドラマ「軍師官兵衛」の中で、長政役だった松坂桃季さんが、ここで鎮房を殺した後に不敵に笑いながら酒を飲んでいたシーンがあったのを今でも思い出します。
関ケ原後、黒田長政は筑前52万石へ加増転封。その後の中津城は、細川氏、小笠原氏を経て、譜代の奥平氏が入り幕末まで続きます。奥平氏と言えばあの長篠の戦いで長篠城を死守した事で有名になったあの奥平氏です。現在の中津城はその奥平氏の子孫が中心となって呼びかけ昭和39年に築城されました。城内は奥平家の家宝が展示されています。奥平信昌(貞昌)が長篠の戦いの時に着用していた鎧兜や、長篠合戦図屏風、そしてなぜかヒーロー鳥居強右衛門の掛軸が飾られています(城の守り神でしょうか?)(写真⑦⑧⑨⑩)。 「どうする家康」では奥平信昌が長篠の戦いから登場するようです(白洲迅さんが演じられるようです)。ここにも注目ですね!
次も、中津城(黒田官兵衛資料館)へ続きます。
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2023/05/05 06:52
どうする家康浜松大河ドラマ館 (2023/04/01 訪問)
どうする家康浜松大河ドラマ館の開館前に城内を一巡り。天守のリニューアル、大河ドラマ館のグランドオープンからまだ日が浅く、浜松城公園さくらまつりの開催中とあってたいそうな混雑でした。金網の外れた天守からの眺望にも惹かれましたが、天守はスルー。そして、大河ドラマ館ではチケット購入と入館それぞれでかなりの行列ができてしまっていました。ぴあなどを利用せずとも、静岡のように時間指定のWebチケットが購入できると便利なのになと感じました。正直言って大河ドラマ館よりもその隣の本丸北東隅石垣の展示のほうが萌えるものがありました。
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2023/05/05 06:18
(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:真田本城 (2023/04/19 訪問)
天白城から転戦。本城駐車場(36.441150、138.324209)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、 海野氏の庶流とされる真田氏の拠点があった所で、規模や構造が真田氏の本城に相応しいとの理由から真田本城と呼ばれているようです。
角間にある松屋古城に対して、こちらを松尾新城とも呼んでいます。
真田氏は1583年(天正11年)真田昌幸のときに上田城を築いて居城としています。
現在は公園として整備されています。
最高所に主郭を置き、北に二の曲輪、三の曲輪を連ねています。
主郭は南背後に土塁があり、南側にも曲輪や堀切があったようですが、よくわかりません。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=松尾古城に向かいました。
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2023/05/05 06:09
(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:天白城 (2023/04/19 訪問)
真田氏館から転戦。赤井集会所駐車場(36.432383、138.323415)に駐車し、城址入口(36.433749、138.323104)に向かいました。
詳細は不明のようです。真田氏の支城と伝わっています。
虎口付近に石垣、西へ伸びた尾根に連なる曲輪、東土塁背後に堀切が確認できます。
主郭以外が笹薮に覆われており、よく確認できませんでした。
木の階段が本丸まで続いているので、迷うことはありません。
全日の雨で落葉が濡れ、下山時、何度も滑りましたが、トレッキングシューズ、杖、手袋でケガはありません。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=真田本城に向かいました。
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2023/05/05 05:53
(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:真田氏館 (2023/04/19 訪問)
矢沢城(城びと未登録 長野県上田市)から転戦。真田氏歴史館第1駐車場(36.431239、138.318569)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、伝承によれば真田信綱の居館とされます。
真田氏累代の居館と考えられており、1583年(天正11年)真田昌幸が上田城を築いて居城を移すまでの居館だったようです。
昌幸が上田城に移ったあとに、屋敷跡に勧請したのが皇太神社と伝えられています。
真田館は現在御屋敷公園として整備されています。
周囲を土塁が巡り、南が大手、北が搦手になっています。
攻城時間は20分(真田氏歴史館は開いていませんでした)くらいでした。次の攻城先=天白城に向かいました。
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2023/05/04 22:19
およそ130年の歴史の中で (2022/12/11 訪問)
130年に及ぶこのお城の歴史は前半が上総武田氏、後半が里見氏(正木氏)とほぼ半々に別れていたらしい。安房・上総でよく見かける垂直立ち割り系の素晴らしい遺構が随所に眠っているがその全貌を見るには根性?が必要なのかも。
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2023/05/04 20:56
【かるた】犬山城の読み札
廻縁 城下見渡す 犬山城
桃瓦 犬山城の 守り神
一句目
現存天守の廻縁、高さもあり少し傾いていて、怖くもありましたが
ぐるりと一周、城下を見渡す事が出来て
成瀬氏の気分が味わえました
二句目
犬山城と言えば桃瓦🍑
縁起を担いでの桃のデザインですが、
実際に留蓋として、雨からお城を守っています
犬山には桃太郎神社もありますね
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2023/05/04 19:12
茨城県の城振り返り
朝田さん、にのまるさん、
クイズの回答ありがとうございます。
筑波山を望める整備された城、真壁城でもちろん正解です。
皆さんには失礼な問題でした。
にのまるさんのクイズですが拡大して標識の文字を確認しようとしましたが読めず。
街中にある黒い天守のシュッとした城、松本城でしょうか?
全く自信はありませんが間違っても笑い飛ばす感じで。
さて、茨城県の振り返りです。
先日も書きましたが近年調査や整備が進んでいるようです。
常陸なので佐竹氏メインとなりますが北部は那須氏や岩城氏に備えた山城が多く、最近発見された城もあります。
常陸大宮市の美和地区の城、高部館や檜沢城など未登録ですが駐車場も完備、整備されて見やすいです。
中でもおすすめは常陸太田市の久米城、地元の管理人さんが10年以上かけて整備されています。
ここは是非行って欲しい。
茨城県は平地が多いので基本的に深く掘った城も多いです。
小幡城が代表格ですかね。
見川城や河和田城、木原城もこれに当たるでしょうか。
南方三十三館の城たちもこれにあたり、攻めるよりは呼び出して殺しちゃう戦略は当時としては効率的であることも納得できます。
島崎城や中居城、鹿嶋城、他にも未登録の山田城など。
北関東3県は城好きにとっては魅力度の高い素敵なエリアだと思います。
それでは茶色とV字の写真集をどうぞ。
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2023/05/04 18:24
2023/05/04 16:31
2023年春桜の名城を訪ねて12 (2023/05/04 訪問)
桜本数250種類1万本、日本さくら名所100選に選ばれています。私が訪問した時には遅咲きの桜が満開でした。令和5年4月22日から5月7日まで桜まつりが行われています。松前城は異国船からの海防強化のために江戸幕府が松前氏に命じて造らせた城です。居城の福山館を拡張する形で築城されて1854年完成、三層の天守を持ち日本で最後に造られた日本式城郭となりました。国宝に指定されていましたが昭和24年に焼失、現在の天守は昭和36年に資料館として建てられたものです。戊辰戦争の一つ函館戦争では、旧幕府軍に攻められ短期間で落城しています。元々海かの攻めを想定していた為、陸からの攻めには弱かったと考えられています。しかしながら翌年には新政府軍により奪還されています。
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2023/05/04 11:13
しろいし (2023/05/04 訪問)
近くにあるミュージアムシアターは見た方がいいです。
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