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しんちゃん

アクセス良好。三河一向一揆の拠点の城。 (2023/06/24 訪問)

長島城は知名度も高く国道1号線からのアクセスも非常に良いので訪問しやすい
城ですね。近くに願證寺(願証寺とも)もあるので城びとにはうってつけです。
江戸時代にも使用されていたようで、すぐ近くに桑名城もあるのに
この密集具合はなんだろうと思いました。一国一城だったはずが‥
おそらく江戸時代は陣屋のような使われ方をしていたのではないでしょうか。
蓮生寺の移築大手門もそんなには大きくないですし。
本丸跡は今は長島中部小学校になっているので許可を得て入りました。
かつて長島城の南西部にあったクロマツが唯一といってよい長島城の名残です。
かつての堀跡の形状にそって川や水路があるようで周囲をぐるっと歩いてみました。
口コミにあった。おおてはしにあるという石垣のことは後で知りました。
また今度訪ねてみます。

補足‥7月15日に近畿遠征の際に立ち寄りました。石垣らしきものが橋の両側の基盤に
   あるようです。本当に江戸時代からあるものなら貴重な遺構になりますね。

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しんちゃん

長島城番外編 又木茶屋 城門遍 (2023/06/24 訪問)

長島城本丸があった長島中部小学校からそんなに遠くない蓮生寺に
名島城の大手門が移築されているというので行ってみました。
大手門にしてはいささか小さいですが、裏手に回ってみると江戸時代の
城主 増山氏の門が残っています。
調べてみると増山雁金というらしいですね。
確かに二羽の鳥が彫りこまれたシンプルなデザインです。
長島城の東、国道一号線沿いに又木茶屋があります。
この時はギャラリーはやっていなかったのですが庭石に長島城の庭石と
猿田彦神社の庭石をつかっているとのことですが、どれがどれやら
さっぱりわかりません。お店の方に聞いてもわからないみたいです。
作庭した人でなければわかりませんね。
お店の方に確認したところ城びとに掲載することを快諾していただきました。
駐車場に戻ろうとすると猫が分岐点を塞いでいます。
まるでここから先は通さないぞと言っているみたいです。
仕方がないのでトイレの裏側から出ていきますが、長島城ゆかりの又木茶屋は
今は猫ノ館として機能しているのでした。

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しんちゃん

明確に土塁、石積みが残る国の史跡 (2023/06/24 訪問)

正法寺山荘は永正年間(1504~1521年)の初めに関氏によって京都大徳寺の末寺
として築かれたと伝わります。
羽黒山を背に三方を小野川が天然のほりとなって囲んでいます。
主郭に当たる部分は中央土檀(本堂のことですかね)となっており
周囲を郭で取り囲んでおり、郭間は土塁で区切られ今でもその土塁が
残っています。
面白いのは北東の郭と北西の郭を区切っている土塁が左側に傾くように続き
それが途中で途切れているのでカタカナのレの字のようになっているんですね。
郭の外側に城域を囲うように堀と土塁が続いていて
城域の中にはいくつか井戸も残っているようです。

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にのまる

②山下の丸・続き (2023/04/23 訪問)

① 三階櫓跡
享保13年の修理の銘文が残る櫓台石垣。
150年以上の長きにわたって天守代用の役目を果たしてきた櫓は写真で見てもとても立派で、櫓台に上がるとその広さを実感しました。礎石もありです。ベンチが置かれているほどの眺望の良さでした。
おもしろかったのが、その場にいた三人で暗黙の了解のもと順番待ちをしたこと。「ひとりで満喫したい」「人が入り込まない写真を撮りたい」という気持ちはみんな同じ。櫓台に上がった人が下りてきてから次の人が上がる、という即席ルールが自然と出来たのは、見ず知らずの人同士でも城好きだからこそ気持ちが通じたようでうれしかったです。
② 三階櫓跡からの眺望です。
③ 石切場
二の丸に露出岩盤がありました。
④ 菱櫓跡
石段を上がったところの半月型の石。「ここで靴をお脱ぎください」と言わんばかりの玄関マットのような石!隣の矢穴付きの石とともに選ばれし石だったんだろうな(*‘∀‘)
⑤ 石垣石集積場
石垣工事のため見学が制限されている区域があります。お城は今も生きているんだなぁと思います。大事にしないと。
⑥ 天球丸
シンボルツリー
⑦ 上からチャーハン
⑧ おっ!
⑨ 三の丸跡
鳥取西高校のかなりギリギリのところまで工事中のようでした。
⑩ 太鼓櫓門跡
カーブミラーが見通しの悪さを物語っています。

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チェブ

船着き場もあった お城。 (2023/05/13 訪問)

以前 投稿した「関城」の後に「大宝城」に転戦しました。

1232年、下妻 長政さんが築城しました。
その後、南北朝時代には「関城」と共に南朝方の拠点になった「大宝城」ですが、北朝方に攻め込まれ落城しました。
その時の城主、下妻 政泰さんは討死します。

「大宝城」の入口に着くと奥が高くなっているのが見えます。遊歩道が続き、行けるようですが、雨と雑草で眺めるのみです。
回りは田んぼがあり、南北朝の頃は湿地か沼が広がっていた事が想像できます。
Googleで確認すると、『大宝城船着き場跡』とありました。
確かに、南朝方の拠点になるだけあって水路も確保されている「大宝城」です。

6月~7月初旬は、紫陽花が綺麗な「大宝城」らしいですよ。

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赤い城

烟田城 茨城県鉾田市 (2023/07/02 訪問)

ここの城主烟田氏兄弟も佐竹氏に太田城へ呼び出され殺害されました。
西光院というお寺の駐車場に車を置かせてもらいました。
ちょうど地元の方がいらっしゃって案内いただくことに。
廃校になった小学校の敷地内を進むと氷川神社があります。
この辺りが主郭だそうでしっかりと土塁が残っています。
その外側に説明板があり、内堀も残ります。
この時季は藪、案内頂いていたこともあり、降りるのは自重しました。
西光院周辺にも土塁が残っています。
この西光院も千手観音など見どころのある由緒あるお寺だそうです。
このあと鉾田市名物のメロンを目指し農産物直売所へ。
訳ありメロンを安お手頃価格でゲットしました!
甘くて美味しい〜!

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豊明市(沓掛城)

あいちスキ旅キャンペーンに参画中です。 (2023/07/07 訪問)

現在、豊明市役所産業支援課窓口にて沓掛城址の御城印を販売中です。【限定】御城印と通常販売の御城印の2種類があります。
今回、あいちスキ旅キャンペンーに参画により、御城印1枚ごとに1セットのプレゼントを用意しました。
ぜひ、この機会に御訪城して、帰りにお立ち寄りいただければと思います。

【プレゼント内容】桶狭間古戦場まつりクリアファイルと「桶狭間の戦い」ゆかりの地のポストカード(国指定史跡:桶狭間古戦場伝説地・国指定史跡:戦人塚・沓掛城址公園)
※1000セットを用意しましたので、数量に達した時点で終了とさせていたたきます。

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カズサン

【信濃・伊豆木陣屋】長野県飯田市 懸造り小笠原家書院が有名 (2023/06/19 訪問)

 住所:長野県飯田市伊豆木3942
 専用駐車場:県道491号線沿いに在り、案内図あり徒歩で集落100m程で大手橋到着。

 高須藩松平家陣屋跡の竹佐陣屋移築山門がある、光明寺を終えて、帰り道の国道151号線への県道491号線を南下約3km程、県道491号線沿いに専用駐車場が準備してある、道路には案内標識も有り、駐車場には陣屋への案内図がある、案内図、案内指示板に従って集落を約100m歩くと陣屋大手橋へ到着。
 大手橋を渡り、正面に旧小笠原家書院の解説板、登城坂を進み、クランクして太鼓門跡、クランクして物見櫓台石垣、書院前門、杮葺きの小笠原家書院、訪問当日月曜日で休館、ここに三回訪ねましたが如何した事か休館日で博物館、書院に入って居ません。
 陣屋内をサラッと見て大手橋を降りて堀・水路沿いの石垣を探訪して懸造り書院を南下樹幹の間から探訪見学する。

 歴史は、伊豆木小笠原家は中世松尾に居城していた松尾小笠原家の後裔。慶長5年(1600年)徳川家康より初代小笠原長巨が伊豆木において秣料1000石を賜り、この地に居館を構えて以後代々ここに居住しました。
 明治の初めに大半の建物が取り壊されましたが書院だけは残った、築年は解体修理の際に寛永初年(1624)ごろに初代長巨が建立したことが確認された。(旧小笠原家書院解説板抜粋)

 旧の建物として太鼓門が移築山門として専照寺(飯田市江戸町1丁目21)に残って居ます、私はまだ訪ねていません。

 書院の懸造り、大手筋の横矢、ダブルクランク虎口と小規模ながら城郭の構え風情を残しています、車でないと訪ねる事が不便ですが南信州の城廻に入れたい陣屋です。

 この後は491号線を約2km程南下して国道151号線へ、道の駅ソバの城信濃路下條に寄って休憩と栄養補給。
 県道491号線、国道151号線は6月2日の台風2号による線状降水帯の被害で土砂崩れが道の山手側、谷側に散見されて居ましたが、相互交通にて難なく通行可能でした、地道約100km程、3時間の走行で浜松に到着、2泊3日の城旅でした。
 

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トク

南四国(高知城→宇和島城)城鉄グルメ旅 (2023/06/10 訪問)

高知城と宇和島城を訪れる傍ら、難関の南四国を突破する旅をしてきたので、その様子をお伝えします。私も若い時はもっぱら車やバイクでしたが、今ではすっかり城鉄男になってしまいました(だんだん呑鉄の六角精児に似てきたような・・?🤔)。という事で興味ある方は御参考に読まれて下さい。

博多から山陽新幹線「みずほ」に乗り岡山で下車。岡山名物の駅弁「ままかりの押し寿司」と瀬戸田レモンチューハイを買って(写真③)、そこから特急「南国号」(写真①②)に乗車し2時間30分、途中で瀬戸大橋や大歩危小歩危などの景勝地を車窓から眺めながら高知に到着。まず浦戸城を見学し翌日は高知城を見学しました。夜は前回お伝えした「二十四万石御膳」です。

高知からは特急「あしずり」に乗り、車内で名物「かつおめし」弁当(写真④)を食べ、窪川で乗り換えます。そこからは究極のローカル鉄道「予土線」に乗りました。何とここは1日4本しかありません! 1両のディーゼル車が、カタンコトンカタンコトンと四万十川に沿って、蛇行しながら、の~んびりと走ります(写真⑤⑥⑦)。何と窪川から宇和島まで2時間50分もかかります。車内にトイレはありませんので要注意です、ですが心配御無用! 途中で中間の「江川崎」駅で運転手休憩のため20分停車するので(写真⑧)、その間に下車して駅のトイレに行き済ませて下さい。また大雨の時はすぐに止まりますので運行情報を確認して乗車して下さい。私の乗った前日は大雨で終日運行見合わせでした、またこの日も雨でヒヤヒヤでした。

宇和島では、宇和島城を見学後に前回お話した鯛めしとじゃこ天のついた「伊達御前」を食し、その後夜には居酒屋に行きさらなる郷土料理と地酒を堪能。地鶏の焼き鳥がうまかったです😊御主人と奥さんの掛け合いも最高でした!

宇和島からは特急「宇和海」(写真⑨)に乗り30分で八幡浜(やわたはま)へ、八幡浜駅から大洲駅方面行バスで30分大洲城に行き見学(バスなら大洲城のすぐ前に停まります(三の丸バス停)、JR大洲駅から徒歩なら20分)。大洲城から同じバスで折り返して八幡浜港へ行き、フェリーで別府港まで2時間30分かけ豊後水道をゆっくり船旅(写真⑩)、別府から博多へ特急「ソニック」で2時間かけ一気に帰り博多に到着しました。

車やバイクで行くか交通機関を使うかは、自分の好きな方で行くのが一番いいと思うので、まあこんなルートもありますよという事で、南四国の移動の参考にされて下さい。また四国のバス鉄道では全国共通の交通系ICカードは使えない所がほとんどなので御注意下さい(地元のICカードのみしか使えない)。
 

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Maho

彦根城/ひこにゃん (2023/06/29 訪問)

久しぶりに城活しました‼︎
お堀や庭園が素敵で、もちろん天守閣も良かったです☺️

ひこにゃんにも会えました🐱

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー66城目 (2023/05/05 訪問)

5月4日、雨の中、八代市立博物館未来の森ミュージアムに向かいましたが、スタンプ置き場は警備室になったようですね。せっかくなのでミュージアムの特別展も拝見してまいりました。翌日、朝駆けにて攻城。立派な石垣は黒ずんでいますが、石灰石でできていて、磨くと真っ白な石垣になるのだとか。北の丸は今回初めてチェックしました。松江城という別名も今回初めて知りました。次回は、古麓城をメインターゲットにしたいと思います。

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しんちゃん

実際に住んだら周囲は土塁しか見えない。居心地はどうなのか。 (2023/06/26 訪問)

新宮支城は甲賀郡中惣遺跡群の一つとして国の史跡に登録されています。
東側の道路からアクセスでき、木のクイに新宮支城の標識があります。
登り口はいささか急で、小雨の天候もあり黄ロープが無ければ足を
滑らせてしまうかもしれません。
このあたりの土は黄色く、粘土質なのか雨の日はとくに滑りやすいようです。
本郭は周囲を高い土塁で囲い、東側の虎口から西側の奥手にかけて
土塁の高まりがより高くなっているようです。
主郭の周囲を高い土塁で囲うのはこの地域の城郭の特徴ですが
新宮支城の土塁はその中でもかなり高い方です。
主郭の北側に小さい丘のような郭があり、その間に堀切があるのですが
もともと主郭と一つの地形で堀切を削り取った土で土塁を盛ったのではないかと
考えました。そうだとすれば、地形を変えてしまうほどの
当時の地侍の執念には頭が下がります。
補足‥甲賀・伊賀の地層は古琵琶湖層群といい、良質な粘土の産地で
   古来から信楽焼や伊賀焼など焼き物の産地でもあります。
   雨の日にこの周辺を訪問して足元が危ないなと感じたのはそのせいかもしれません。
   関東ローム層や九州のシラス台地など土の城は自然の影響を受けやすい
   ので訪問時は注意を払いたいと思います。

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しんちゃん

甲賀郡中惣遺跡群の一つ。六角氏が潜伏の可能性は? (2023/06/26 訪問)

村雨城は甲賀郡中惣遺跡群として国に史跡に認定されています。
寺前城とセットで扱われており左手の道路からアクセスすることができます。
二の郭らしき扁平地を経て本郭に入ることが出来、
虎口は西側に設けてあり、周囲を高さ4mの土塁で囲ってあります。
寺前城より防御力が強く造られているようで、ひょっとしたら
近江守護六角氏がこの地に避難してきたときに、この城で
御厄介になっていたのかもしれません。
主郭の南西側にも郭があり両側に土塁がそびえたちます。
二重掘切を経て寺前城とつながっているようですが、この時期は
藪がひどく、この日はここで退散しました。
また秋冬あたりに、ここを訪問したら二重堀切を通じて両城を堪能したいと
思います。

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くるなつ

武田神社 (2023/05/19 訪問)

コロナ前は年に2回位のペースで行ってました。今回は現着と同時に本降りの雨でゆっくり回る事が出来ず、武田神社のみとなってしまいました。10月に又行く予定です😌

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しんちゃん

小雨の中、訪問。しかも藪曲輪‥これはキツい。 (2023/06/26 訪問)

寺前城は甲賀郡中惣遺跡群として国の史跡に指定されています。
元亀元年(1570)甲賀武士団は織田信長との野須川の戦いに敗れ、軍門に下り、
その後の羽柴秀吉の兵農分離によって終焉を迎えます。
正式なルートは村雨城から入り込むようですが
このたびは直接入り込んでいます。(あまり行儀が良くありませんが)
主郭の周囲を土塁で囲まれていますが、
主郭そのものは酷い草ボウボウでヤブ曲輪と化しています。
なんとか散策はしましたが、村雨城へのルートも藪に覆われ通過できそうも
ありません。国の史跡なのに‥とにかく甲賀は藪がキツすぎる。
からくも北西の虎口から脱出し、堀切を確認しながら
北東に回り込むと東郭につながる道があるようです。
そのまま元来た道から退散しますが、小雨がふっていたこともあり
靴もズボンも濡れてしまいました。
甲賀の城攻めは季節を選んだほうが良さそうです。


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歴史案内活動【7月8日(土)10:00~12:00】 (2023/07/08 訪問)

こんにちは、躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。

暦は7月、2023年も気がつくと折返しを過ぎました。

躑躅ヶ崎館こと史跡・武田氏館跡は現代では武田神社として信玄公を祀ってますが、
毎年6月30日は半年分の祓いをする神事「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」で
その前後に境内に「茅(ち)の輪」が設けられてます。
作法に従って3回くぐると半年分の穢れを祓い
これから来る夏を乗り切っていこうというものです。
神事の日でなくても効果はあるのかどうかですが
信じたものの勝利、です!
神事だけあって。はい。

前置きはこのへんにしておいて、
7月の週末8日の土曜日に
武田神社境内の歴史案内活動を行いますのでお知らせします。

夏を迎える境内つまり武田氏館跡は
青い空の下きらめく陽光に木々の緑が照り返る
目に鮮やかな彩りの季節です。
暑さは我々甲冑武者にとって大敵ですが
余りに暑いと胴鎧と兜を外し、
三具と呼ばれる籠手(こて)、佩楯(はいだて)、臑当(すねあて)の軽装で
皆様をお迎えします。

また、5月からのCOVID-19の5類移行に伴い、
感染防止対策を一部緩和し、
甲冑ガイドとの記念撮影を再開しています。
ガイドともども無料ですので
気軽に声をかけてください。

日時:令和5年7月8日(土) 10:00頃~12:00頃
参加ガイド:局長・大塚與左衛門

◆武田神社境内に今日も残る数々の城郭の痕跡を、個性豊かな甲冑ガイドがわかりやすく楽しく案内します。
◆案内時間は10分~30分、ご都合に応じて調整できます。
◆ガイドは無料です。
◆バスツアーなどの自由時間にあわせた案内も可能です。
◆雨天、COVID-19感染拡大状況等により中止の場合があります。
◆案内活動は武田神社様の承認のもとに行ってますが、当隊そのものは武田神社様とは無関係の有志団体なので
 活動に関する武田神社へのお問い合わせはご遠慮ください。
 問い合わせ、連絡は当隊公式ツイッター(https://twitter.com/KoufuSamurais)へお願いします。(E)

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朝田 辰兵衛

にのまるさんクイズ,正解で安堵です。 (2023/05/05 訪問)

にのまるさんクイズ,正解できて安堵しました。
あんなに自信満々で外したら,👀も当てられないです。

さて,裾花川を挟み,葛山城と睨み合う旭山城ですが,こちらは公共交通とは無縁です…<泣>。
葛山城を下山し,「たたら」バス停から長野駅前へ向かう途中,GWイベントでバスは迂回中。
停車予定ではない「山王小学校前」で降車しました。(駅から歩くより)300mほど距離を得しました。
しかし,ここから相生橋で裾花川を渡り,徒歩約60分で登城口到着。
気温は,連日の30℃超え。展望台曲輪ではハチが周回中。
本丸西側は土砂崩れが発生したらしく,進入禁止措置が取られていました。

そうそう,7/7~7/11で遠征に行ってきます。
投稿は休みますが,みなさんの投稿は閲覧させていただきます。
ご容赦くださいませ。

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渡辺基綱 (2023/07/06 訪問)

 JR信太山駅からだらだらとした坂道を15分くらい歩くと石碑に行くことができます。近くに旧伯太藩武家屋敷の石碑もありました。

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久米田古墳群 (2023/07/06 訪問)

 JR久米田駅から徒歩約15分で城址とされる貝吹山古墳へ行くことができます。無名塚古墳の近くに久米田古墳群の説明板があり、その中で「戦国時代には、三好実休がこの古墳に砦を築き久米田合戦を戦いました」の記述があります。白い板で字も薄くなっていて日も当たって読みにくかった。
 久米田寺には行きましたが、三好実休戦没碑には行っていません。

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安楽寺 (2023/07/06 訪問)

 千石堀城跡より徒歩15分くらいで、安楽寺を経由して近木川福永橋近くにある説明板へ行きました。

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