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小城小次郎

龍造寺隆信はここから雄飛した (2022/11/12 訪問)

佐賀城の下に眠る村中城ともども龍造寺氏のお城で水ヶ江は村中の分家なのだが両城はお隣同士と言えるほど近い。水ヶ江に生まれ還俗して水ヶ江を継いだ龍造寺隆信は村中を糾合しやがて九州を三分する勢力へと雄飛していった。

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侍ホリタン

小寺氏三代の居城を訪ねて (2023/03/04 訪問)

播磨守護職赤松氏の家臣小寺氏三代の居城でした。御着城最後の城主小寺政職公は重臣小寺孝隆(のちの黒田官兵衛)の進言により織田方につきましが、荒木村重公の謀反に呼応して毛利方に寝返ります。しかし1580年別所長治公の三木城が落城後に御着城も落城、鞆の浦へ逃れた小寺政職公は足利義昭公に仕える事になりました。本丸跡にはお城を模した姫路市役所東出張所が建てられています。アクセスはJR御着駅より徒歩10分、車利用の場合数台程停めれる市役所駐車場と西隣のグランド北側にも臨時駐車場があります。土日には地元小学生のボランティアガイドの方々が本丸跡、黒田家廟所、顕彰碑・目薬の木、二の丸跡、天川橋の説明をしてくれて大変勉強になります。時間は20分程です。

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侍ホリタン

史上初の層塔型天守が建てられた名城を訪ねて (2022/08/20 訪問)

関ヶ原の戦功で伊予の半国20万石の大名となった藤堂高虎公により築城され、史上初の層塔型天守が建てられた海城です。層塔型天守とは、各階を順次小さくして積み上げられた形で従来の望楼型に比べ構造が単純で工期が短縮出来る特徴があります。藤堂高虎公が伊勢・伊賀に移封後に今治城の層塔型天守は丹波亀山城に移築されています。現在の天守は本丸跡の北隅に再建された模擬天守です。
JR今治駅からの距離2キロ、最初に堀の広さに圧倒されます。弓矢が届かないように設計されてるようです。3つの櫓内部は資料館になっていて天守入場券で中に入れます。天守は最上階以外は撮影禁止、天守の展望は回廊型で今治市内を360度見渡せます。

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じゅんじん

水野氏 (2023/01/01 訪問)

どうする復元?

すすまんねえ。

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じゅんじん

元旦サイク (2023/01/01 訪問)

2023年初お城は緒川城。自転車で行きました🚴

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じゅんじん

天守台 (2022/12/30 訪問)

周りに堀がめぐってます。

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じゅんじん

(2022/12/30 訪問)

久しぶり。現存はよいですね。

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じゅんじん

目前で (2022/12/30 訪問)

突然黒いお尻の獣・・・(;'∀')

引き返しました。

後で冷静になれば鹿でしたね(/ω\)

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じゅんじん

西側 (2022/12/30 訪問)

中の城から5分程度。西の城になります。ここのほうが高いです。

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朝田 辰兵衛

本宿役場前で降りたのは自分だけ。 (2023/02/26 訪問)

武蔵五日市駅からのバスには,大勢の登山客で満員状態でした。しかし,本宿役場前で降りたのは自分だけ。周囲は山だらけだけど,どこか悲しく感じました。
標高:449m,比高:170m。吉祥寺奥の墓地にアーチ門の登城口があります。魅力は,東側に開けた眺望ではないかと思います。

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シェル

堀の広さが凄まじい!! (2023/03/07 訪問)

JR東北新幹線・IGRいわて銀河鉄道線の二戸駅東口から徒歩約30分
積雪の影響かは不明ですが、二ノ丸・本丸への入口は冊が設置されていて入れませんでした。
ですが二の丸切岸や三ノ丸などの遺構は見ることができ、中でも二ノ丸大手門脇の堀の広さは圧巻でした!!
城跡から二戸駅に向かう途中にある埋蔵文化財センターでスタンプを押印。
埋蔵文化財センターの展示によると、現在の遺構は、蒲生氏郷が九戸の乱ののちに改修したもので、戦国期のものではないとのことです。

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カズサン

【遠江・掛川古城】静岡県掛川市 大堀切が見所 (2023/03/08 訪問)

 住所:静岡県掛川市掛川1104(龍華院) 掛川城から東約200m程の小山
 駐車場:今回は掛川大手門駐車場(有料)しましたが掛川古城跡龍華院の駐車場利用可能、但し登り坂は急勾配です。

 掛川桜、掛川城、二の丸御殿、二ノ丸茶室と喫茶を味わい、王将戦の場の雰囲気も実感し、二ノ丸美術館のある二ノ丸北側の出口から東に約200m程の所のある掛川古城を目指す、途中に報徳社の建物、ハス池、掛川中央図書館、掛川第一小学校を見ながらの散策。
 そうこうしてると掛川古城跡である龍華院へ、勾配のキツイ坂道を登ると左に龍華院と参拝駐車場、一段登って家光公のお霊屋である龍華院大猷霊屋が本丸中央に在る、案内板あり、東側一帯に土塁、その東は二の丸間の見所である大堀切、東の階段を降りて大堀切の底に到着、左右の堀切状態を確認樹々で鬱蒼としてる、東の二の丸へ登り遊戯公園と成って居る、東の尾根筋曲輪は開発開削されて掛川中央消防署として活用、南側は20~30m下に居館跡、現在は掛川第一小学校敷地。
 
 掛川古城跡は今川氏真が武田信玄の駿河侵攻により今川氏家臣の朝比奈氏が守る掛川城に逃げ入り込んだ城ですが、その後家康の遠江侵攻により掛川城の包囲合戦で約半年近く攻防を続ける中、家康は周囲に付城、砦を築きじわじわと攻め、その間には遠江の今川武将の守各城を攻略、ついに和睦をして今川氏真は妻と妻の実家である北条氏の領地伊豆に退去。
 掛川古城跡二の丸で見晴らしも良く、掛川城包囲合戦の付城、砦を遠望する、家康本陣の天王山龍尾山砦は北側の森の様な小山、南側の青田山砦、最近発掘調査された杉谷城を遠望するが良く分からない。
 この間の家康が今川氏真を完全包囲【遠江】掛川城攻め付城群は歴史群像2023年4月号No178に日本城郭協会理事の加藤理文さん香川元太郎画伯のイラストで5頁に纏められています。
 
 写真投稿は10枚です、10枚目は二の丸茶室で頂いた抹茶と練和菓子、王将戦の場で雰囲気良く頂きました喫茶セットです。
 
 大河ドラマどうする家康では掛川城の包囲合戦の扱いはどうなるでしょうか?ありやなしや楽しみな所です。
 


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イオ

比定地と周辺散策 (2023/02/04 訪問)

室町中期に竹腰尚隆が築いたとされ、織田信雄に仕えた不破広綱が城主の頃に城を改修し城下を拡張しましたが、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉の水攻めにより開城。関ケ原の戦いの際は織田秀信配下の杉浦重勝が城主でしたが、秀信が西軍についたため福島正則ら東軍の攻撃を受けて落城し廃城となりました。

市街化により遺構は消滅しており、比定地も諸説あるようですが、本丸比定地には天守風の歴史民俗資料館が建ち、資料館前には竹ヶ鼻城本丸之趾の石碑と説明板(関ケ原の戦い)が立てられています。歴史民俗資料館には映画資料館も併設されており、そちらもあわせて見学したいところでしたが、時間に余裕がなかったので諦めて、隣のぐるっと羽島(観光交流センター)に車を駐めて周辺の散策を。歴史民俗資料館の裏手(東辺)の水路は堀の名残とされ、北に徒歩3分の光照寺の西辺まで続いています。資料館の斜向かいにはお城地蔵大菩薩が建ち、杉浦重勝ら関ケ原の戦いでの戦没者が弔われています。お城地蔵の奥は真宗大谷派竹鼻別院で、藤の名所として知られているようです。

資料館の北西1.4kmには羽柴秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めした際の本陣があるようなので、折りたたみ自転車で行ってみました(続く)。
 

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橋吉

お薦めの山城 (2023/02/28 訪問)

大給松平家の山城である大給城へ行ってきました。

まず、アクセスが簡単!
それでいて、土塁・虎口・石垣・堀切など山城の基本構造はしっかり残っています。
城内には巨石がごろごろある!
突然広がる眺望!
そして謎のダムである水の手曲輪!

いずれもすばらしいお薦めの山城です。
https://blog.goo.ne.jp/pf11/e/df7ee901eaeba1355df91a15727fa940

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todo94

城カード再建天守シリーズ (2023/02/18 訪問)

翌日の天気予報が雨予報だったので前倒しで大阪城に向かうことにしました。四條畷駅から学研都市線・JR東西線で大阪城北詰駅にアクセスして向かいました。大阪城北詰駅からのアプローチは初めてでちょっと新鮮でした。午後の閉館も近い時間帯でしたが、券売機には行列が出来ていました。やはり人気のある城には朝一番で駆けつけるに限ります。階段利用なのでエレベーターの行列には並ばずに済みました。売店にて、無事、城カードをゲットすることが出来ました。

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ぴーかる

伊勢ヶ坪城 (2023/02/12 訪問)

【伊勢ヶ坪城】
<駐車場他>駐車場はなし。大林八幡宮に参拝して駐車しました。
<交通手段>車

<見所>井戸跡
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅8城目。現地案内版を要約すると伊勢ヶ坪城は承久の乱(1221年)に討死した熊谷直国の功績が鎌倉幕府に認められその子の直時が安芸国三入荘の地頭に任ぜられ武蔵国熊谷郷から移ってきて築城しました。室町時代に熊谷氏は勢力拡大の為に戦略的に優れた三入高松城を築城して移転しますが、しばらくの間この城は隠居城として機能していたそうです。
 登城口は<34.551999, 132.546729>にありすぐ主郭にたどり着きます。主郭の北側に腰曲輪、主郭から南西に3段程曲輪があります。主郭の北東隅に井戸跡の大穴があります。巨大な蟻地獄のようで落ちたらヤバイ感じでした。主郭の曲輪壁は石積みがあったようで白っぽい石がいくつか埋まっていました。

<満足度>◆◆◇

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御屋形跡 (2023/03/09 訪問)

 大石垣から下りてくると、さらに下に降りる道が近くにあり降りて行くと天満宮があり御屋形跡となっています。約6mの高さの石垣があります。周辺にも石垣がありました。下から観音寺城を見上げると大石垣が見えました。

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日本五大山城 (2023/03/09 訪問)

 佐々木六角氏の居城で、最大の特徴は城域のほぼ全域で石垣が用いられていることだと思います。この城びとの「大人も学べる 理文先生のお城がっこう」には「標高約433mの繖山全山のほとんどを城の範囲として、現在までに確認された曲輪の数は1000にも達する、全国でも特に数え上げるに値するほどの大きさを誇る山城です。この観音寺城で、一番驚くことは安土城より50年ほど前に本格的な石垣を使って造られた城だったことです」と書かれていました。確かに石垣は武骨な感じで、いい雰囲気を醸し出しています。
かなり広範囲でいろいろな登城路があると思いますが、自分は裏参道駐車場から目加田丸→布施淡路丸→伊庭丸(佐々木城石碑も含む)→大土塁→三国丸と進み、三角点を確認後、本丸→三の丸→平井丸→池田丸→大石垣→木村丸で埋門を確認後、表林道に出て御屋形跡へ下りました。途中、寄り道も多くしましたが、いたるところに石垣が残っていました。主要な散策路は比較的歩きやすいのですが、少し外れたところにもいい石垣が残っています。もう少し山の中を彷徨えば、もっと遺構に出会えたと思いますが、大石垣から林道に降りてきた時点で、かなり時間も経過していたこともあり、そのまま御屋敷跡へ下山しました。観音正寺へは行きませんでしたが、あの階段(前回経験済み)を上がって戻る気にはなれませんでした。

 2010年に一度登城していますが、その時は安土駅から桑実寺を経由して登城しましたが、かなり体力を消耗して、あまり散策ができていません。多くの方の投稿を見て、また資料を見ていつかリベンジをと思っていましたが、今日になってしまいました。
車で行かれる方は安土駅方面からの表林道(参道)と五箇荘方面からの裏林道(参道)がありますが、有料道路です。徒歩は無料です。冬季には閉鎖している期間がありますので事前に確認することをお勧めします。

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赤い城

吉田小学校 (2023/02/25 訪問)

吉田川沿いの高台にある吉田小学校が館跡です。
遺構はありませんが高低差は結構あり、妄想は可能です。
休日で門は閉まっていましたが、校庭で高校生らしき若者が遊び、また親子連れが散歩していたので中に入らせて頂きました。
とはいえ説明板と歌碑を撮影し退散しました。
この日は山城続きだったのでクールダウンにはちょうどよかったかな。

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シェル

キレイに整備された中世の城 (2023/03/07 訪問)

八戸城から徒歩で30分程度移動し、八戸市博物館でスタンプ押印(玄関前で終日押印可能)
博物館前には、南部師行の銅像があります。
移築されている八戸城東門をくぐり、登城。
本丸跡は、早朝であったため入れませんでしたが、整備された空堀や土塁を見ることができました。

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