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前ちゃん

空腹ながら登山 (2022/03/28 訪問)

鳴門から引田に赴き、城へ。食事処が少なく(定休日)、スタンプ押下ののため立ち寄った所で、饅頭を2個だけ購入して登城

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前ちゃん

スタジアムとセット (2022/03/28 訪問)

18切符の旅。三宮から高速バスで高速鳴門へ。桜は二分、三分といったところか

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前ちゃん

近畿ラスト (2022/03/21 訪問)

祝日でせいてんのあいだn8登ろうと決意

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カズサン

復元外堀舎人門を訪ねる (2010/05/15 訪問)

 復元外堀舎人門、本丸山里口御門廊下橋の復元が平成17年と平成20年に夫々復元されて居ましたので是非見学探訪したいと平成22年5月の中旬福井城登城しました。
 車は福井市役所の東に在る有料立体駐車場を利用。

 本丸をぐるっと廻りましたが先に発掘調査の上復元された外堀に掛る舎人門と周辺の脇石垣、土塁、外堀も復元遊歩道が付き、隣接地に福井市郷土歴史博物館、名所養浩館庭園を投稿致します。
 
 舎人門は外堀北を守る門で隣に藩主の別邸回遊式林泉庭園の「御泉水屋敷」が有りました現在の郷土歴史博物館と養浩館を合わせた広さとか? 舎人門跡の発掘調査され高麗門形式の門、屋根は赤桟瓦葺、脇石垣、続き土塁、外堀も平成17年復元整備され散策しやすく公園化されています。
 郷土歴史博物館は福井城の立体模型も有り往時の姿が良く分かります、幕末春嶽公の関連展示、古代の歴史展示も充実しています。東隣の養浩館は回遊式庭園でほっこりし安らぎます、杮葺と茅葺屋根でしっとりした邸宅が心地よい空間です。

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POYO58

過去を振り返る③ 岡崎城 徳川家康生誕地

松平清康(家康の祖父)がここに居城していたこともあって家康はここで生まれた。その後若い年で織田信秀や今川義元の人質になる。しかし、織田信長の桶狭間合戦により、自立、三河を統一。その後家康が江戸に行くと、田中吉政が城主となるが、家康が幕府を立てると譜代大名がここを守った。

城内には徳川家康と本多忠勝の像が建っています。この城は桜の時期がおすすめです。僕もここで花見をしました。この城の珍しい特徴は天守閣のすぐ近くに土橋があること。これは少しまえの日本最強の城で学びました。これだとすぐ敵が天守閣にたどり着いてしまいますが、家康はこれは敵が来た時、すぐ戦うことができるようにしたそう。二条城や名古屋城からは家康の慎重な性格を思い浮かべるが、岡崎城からは堂々とした性格が思い浮かびます。

3月31日にまた友達と行くつもりです。楽しみです。

評価
遺構:4
建物の美:5
行きやすさ:5

攻城時間
30分〜50分くらい

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新ろくべえ

大河ドラマ巡りに行ってきました!③比企地域1 (2022/03/27 訪問)

【菅谷館】
(菅谷館だけの詳しい詳報も書く予定なので、
新ろくべえのサイトから見てください。)
さて、菅谷館は、畠山重忠が作った城館です。
ですが今の遺構は、その後に作られた物です。
遺構は存分に残っているので、是非行ってみて下さい!

【正法寺】
 ここは北条政子守り本尊として比企能員
(十三人の合議制の一人、北条義時に滅ぼされる)が復興しました。
山号は巖殿山です。

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POYO58

過去を振り返る② 安土城 石垣と枡形虎口が立派。結構登るのに平山城?

織田信長が築城。本能寺の変後焼けてしまったが、誰が焼いたかは不明。考えられるのは織田信雄か明智秀満。

安土城は石垣の城のターニングポイントと呼ばれていますが、実はそれは明智光秀が築城した幻の城、坂本城が最初と言われています。実は安土城は「天守」ではなく「天主」と書くそうです。みなさん知ってましたか?明智光秀は本能寺の変後この城に入城し、吉田兼見と茶会をしたそうです。吉田兼見は当時公卿であり、明智光秀を天下人と判断し、京都を平定することを命じたと言います。明智光秀ってすごい人だったんですね。
まあ僕の大好きな明智光秀の話はここまでで。

評価
遺構:5
建物の美:2
行きやすさ:2

攻城時間
90分くらいでしょうか?結構登るので

僕が登った時は母が骨折をするという事故が起きてしまいました汗💦。みなさんも気をつけて。

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やなぎぶそん

激戦地 (2021/05/08 訪問)

武田軍と徳川軍が二度に渡り奪い合ったお城。
当時を想うと感慨深いです。
三日月井戸に金魚がいて癒されました。

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POYO58

過去を振り返る① 吉田城 石垣と豊川が綺麗 (2021/02/21 訪問)

三河の争いが多発していた頃に活躍した城。徳川家康が兵糧攻めを行い、酒井忠次が城主だった。その後姫路城築城で有名な池田輝政が入城し、見事な石垣を造る。

今は復興された鉄櫓が残っています。最近の調査で酒井忠次が堀を掘っていたことや、池田輝政の最新技術の野面積みが発見されています。石垣には刻印が書いてあり、石垣刻印というそうです。城は公園になっていて、鉄櫓まで結構歩いた気がします。

僕がここに行ったのは1年前、あまり興味の無かったときに訪問したのでなかなか記憶にありません。また行きたいと思ってます。

評価
遺構:4
建物の美:4
行きやすさ:3

攻城時間
最低20分、じっくりだったら50分

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atsufumi

桜まつり (2022/03/28 訪問)

お城にすごい沢山の人が押し寄せています。

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ばばよ

立派なお寺 (2022/03/26 訪問)

浄真寺の南側、西側に土塁が確認でき、その端に城跡を示す石碑があります。
世田谷区の指定史跡ですが、境内に説明板などは確認できません。
お寺としては楼門や鐘楼などの建築物が立派で、また上品下品という仏教の思想も学べます。
城びとよりは「寺びと」の方々がテンションあがるような場所ですね。

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todo94

県内の城めぐり2022⑥ (2022/03/20 訪問)

2月27日、降雨のため攻城を断念したリベンジです。武田信玄供養灰塚のある長岳寺に立ち寄ってから赴きました。阿智公園の案内表示はわかりやすく出ていましたが、かなりの悪路だったので途中のスペースに車を駐め徒歩で攻め上りました。全面通行止表示は車両対象と解釈して先を進みます。四阿や遊具のある曲輪群の先になかなか見応えのある連続堀切や竪堀がありました。

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T-Shionoya

岩槻で城跡散策 (2022/02/21 訪問)

昨年、お城EXPOへ出展されたのをきっかけに、遺構が残っていることを知った岩槻城。
そこで先月、埼玉県さいたま市の岩槻城へ行ってきました。

岩槻は鎌倉街道中道(後の日光御成街道)が元荒川を渡るポイント。
15世紀中頃、太田道真・道灌父子が古河公方方に備えて江戸城・川越城と共に築いた防衛ラインの城。
との認識でしたが、忍城の成田氏築城説もあるようです。

元荒川西岸の沼地に囲まれた半島状の台地を城郭としており、1500年代前半には太田氏が居住。
その後、北条氏一族の城となり、ここで城域が拡張されたのでしょうか。発掘調査では新曲輪に畝堀が見つかっており、秀吉の小田原征伐前には城下町まで堀と土塁で囲んだ大構(総構)の城に発展。
徳川政権下でも岩槻藩が置かれ、江戸後期は大岡氏が城主を務めました。

現在は新曲輪と鍛冶曲輪が岩槻城址公園となっており、本丸などの中枢部は県道2号線が貫通する住宅地。
訪問時は、まずは立派な堀と馬出が健在の公園へ。
2つの城門は周辺整備の最中で、堀障子は3mほど埋め戻されているとの説明。
続く住宅地側も嘗ての曲輪と沼地の高低が確認でき、特に大手門付近の土橋地形にはチョット感動。
主要な曲輪には標柱がたっており、本丸標柱横の銀行は、ちょうど本丸の櫓ですね。

最後は新正寺曲輪の久伊豆神社を参拝し、滞在時間は昼食タイムを含めて計5時間。
岩槻の町歩きが、私の城巡りの119城目となりました。

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ぴーかる

鎌掛城 (2022/03/05 訪問)

【鎌掛城】
<駐車場他>正法寺駐車場
<交通手段>車

<見所>居館跡・曲輪・石組井戸
<感想>鎌掛城は1335年に中野左衛門尉清信が砦として築き、1502年頃、蒲生秀行が音羽城の支城として修築されたと伝えられています。蒲生氏郷の父蒲生賢秀が氏郷に家督を譲ったのち隠居した場所としても伝えられています。
 麓の居館跡と山頂に詰城があり、居館跡は山側以外の3方を堀と土塁で囲んでいます。内部の削平地はきれいに残っており石積みが崩れたような跡もあって見応えがあります。
 山城の方はなかなかの登山で国の天然記念物「鎌掛の屏風岩」の上を通ったり、城跡の物見岩と思われる固い岩盤の下から鎖を伝い登ったりして楽しいです。城跡は登った山頂に土塁付きの主郭があり、そこからV字状の尾根添いに曲輪が広がっています。V字のなかの谷の真ん中辺りに石組井戸があります。曲輪は広い段曲輪が広がっているようなのですが、かなり木々が鬱蒼としていて人が入り込める曲輪は数か所しかありません。

<満足度>◆◆◇

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小荷駄

長浜城 (2022/03/27 訪問)

雨上がりにフラフラっと近所の長浜城に散歩に行きました。入口が少し解りにくいですが小さい看板が設置してありそこから奥に入ると駐車場があり5台程停めるスペースがあります。トイレはそこに有ります。小さい城跡ですが非常に見学もしやすく遺構ごとに看板も設置してありバーコードリーダーもついていて解りやすく解説も見れます。一つ注意点は雨上がり等足元が濡れている時は滑りやすい所がありますので注意が必要です。

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にのまる

36見附めぐり㊴~中雀門~

真鍮金具付きの門扉が設えられ格式の高さを誇った本丸表門。大手三の門(下乗門)で下乗しなかった御三家もここで駕籠を降りたそうです。ぐるっとまわるコーナーの狭い空間に櫓台石垣が密集している様子からもここが本丸への最終関門だったことがわかります。二の丸との高低差も大名の登城路として何だか意味ありげです。
〇や□の柱穴のある門柱の礎石が残されていますが、元々は明暦の火災で焼けた天守台の石だったそうで、支えるべき主を二度失ってのちもコンクリートの地面に半身を埋めつつ歴史を伝える姿に愛おしさすら覚えます。
視線を上げると広範囲に真っ黒な火災痕の残る石垣が視界に飛び込んできます。初めて目にした時は石が焼けるとこんなふうになるということを知らず、本丸表門らしくない石だと思ったものですが、これこそが時代のリアルを伝えるものだと知ってからはこの痛々しい姿を見る辛さも本丸へ到達するための通過儀礼だと思っています。文久3年(1863)の火災時の痕跡だそうです。


36見附めぐり39投稿目にしてやっと本丸にたどり着きましたヽ(^o^)丿算数は苦手なので、数字がおかしいのは見逃してください。3こ多い…。
全貌を語るにはまだまだ初心者でおぼろげながら骨格が見えてきたかなぁというところですが、江戸城の感想を一言で言うとしたら、無血開城万歳\(^o^)/です。

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牛若丸

遺構は残っています。 (2022/03/26 訪問)

片倉駅から歩いて10分位。
駐車場(20台くらい駐車可)に車を停め中に入ると、いきなり銅像達のお出迎え。これにはゲンナリしました。
が、遺構は堀などが残っており見応えはありました。
本丸より二の丸の方が大きく、本丸は住吉神社の裏手です。

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Hyaku金

土の山城攻略の苦楽が詰まってます (2022/03/27 訪問)

登城口から10分ほど急斜面を登ると本廓を見上げる尾根に着きます。そこを左にすすむと城域です。現在、途中の二の廓、本廓に登るルートは木の階段が壊れていて通れないので、本廓をぐるっと回り西廓、虎口から本廓に登るルートを使います。竪堀、横堀、堀切が組み合わさり、土の山城らしい景観を作り出しています。囮虎口は初めて見ましたが、知らずに攻めた敵がはまった時、そのがっかり感を想像したら可笑しかったです。登城ルートにもアップダウンがありますので疲れました。約1時間の見学時間でした。

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小城小次郎

駿河今川氏の歴史的転換点 (2021/11/06 訪問)

栴岳承芳が玄広恵探と今川氏の家督を巡って争った花倉の乱の舞台で、花倉は駿河今川氏の初期拠点でもあった。玄広恵探は最後の砦であった花倉城を陥れられて敗北するが、乱に勝利した栴岳承芳こそが後の今川義元その人である。

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ばばよ

数少ない都内の国指定史跡 (2022/03/26 訪問)

東京都で100名城・続100名城ではないのに国指定史跡に指定されているのはこの深大寺城だけです。
第2郭の土塁・堀はダイナミックです。
第1郭の土塁は木々が植わっているため、立派そうですが全貌はイメージしにくいです。
歴史的な案内・説明などがもう少し充実しているとよかったのですが、神代植物公園の一角と考えればこんなものでしょうか。

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