案内板に、新編武蔵風土記稿になどには、応永年間(1394-1428)の大江備中守師親の在城を記し、大江氏の後裔の長井氏の城郭とされていますが確証がありません。築城主体や年代の特定は困難ですが、他の中世城郭との比較から十五世紀後半以降に築城され、十六世紀代に廃城になったと推定されています・・・。と載っている。
片倉沢・奥の沢など、北・東・南は崖で湧水が多いらしく、池(沼)などが多い。公園入口の住吉沼は昔の沼の名残らしい。城址公園には三ヶ所の広場があり、小さな郭の休憩広場、堀を挟んで南に二の丸広場、二の丸の東に本丸広場がある。二の丸広場の西に堀を挟んで、大半は畑になるが郭が見られる。本丸と二の丸間の堀には橋が架けられている。堀は大分埋まっており、丈の長い枯れ草が風景の邪魔をしている。本丸東隅に他より高い土塁がある。縄張図に「物見・のろし」と記載があるので、櫓のような物が建っていたのだろうか。本丸の北には住吉神社の建つ腰郭がある。
+ 続きを読む










