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駿府城

企画展「東海の名刹 臨済寺 ~義元、家康ゆかりの禅寺~」を開催します!

今川義元が開き、少年時代の家康が学んだとされる臨済寺。
本展では今川家、徳川家とゆかりのある臨済寺の由緒と歴史、地域とのつながりを示す最新の研究成果を紹介します。
 
【日時】令和5年7月22日(土)~9月3日(日)
【開館時間】9時~18時(展示室入場は閉館30分前まで)
【休館日】月曜日(月曜日が祝日の場合は開館、翌平日休館)
【観覧料】一般750円、高校生・大学生・市内70歳以上520円、小中学生180円
※企画展示+基本展示セット券となっています

静岡市歴史博物館では展示以外にも、定期的に体験&おみやげ工作などを開催しています。予約不要・参加費無料です。ぜひお気軽にご参加ください♪
詳細は静岡市歴史博物館公式HP(https://scmh.jp/)をご覧ください。

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イオ

とことん江戸城・番外編(御茶ノ水界隈) (2023/05/30 訪問)

今年も何度か東京出張することになったので、昨年のとことん江戸城の取りこぼしを拾っていきたいと思います。まずは時間が押していて寄り道できなかった御茶ノ水界隈から。惣構の外側なので、とことん江戸城・番外編です。

前回は外堀通りを歩いていて聖橋に上がることができませんでしたが、今回はJR御茶ノ水駅から聖橋を通って仙台濠を存分に眺めてきました。ちょっと粘って中央線・総武線・丸ノ内線の揃い踏みの写真も撮っています(総武線はホームの奥ですが)。

聖橋を渡ると聖橋門から湯島聖堂へ。徳川綱吉が儒学振興のために創建したのが始まりで、後に幕府直轄の昌平坂学問所となりました。ほとんどの建物は関東大震災で焼失した後に再建されたものですが、入徳門は江戸中期の建造時のまま遺っています。明治維新後は新政府に引き継がれて、文部省のほか、師範学校(現 筑波大学)、女子師範学校(現 お茶の水女子大学)などが置かれ、近代教育発祥の地となりました(説明板あり)。

湯島聖堂の裏手には神田明神があります。奈良期の創建で、江戸城の拡張に伴って江戸城の鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸総鎮守として尊崇されました。現在見られる建物は関東大震災後に再建されたものですが、隨神門も御神殿も壮麗な朱塗りの建物で、往時の姿が窺われます。御神殿右手の鉄製天水桶と石獅子(夫婦2体)は江戸期のもので、千代田区指定文化財になっています。また、御神殿の右側奥には神田明神周辺を舞台とした銭形平次の石碑が(右隣に八五郎(がらっ八)の碑も)建てられていました。
 

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todo94

ゴールデンウイーク最後の攻城 (2023/05/05 訪問)

ゴールデンウイークの締めは熊本城。トクさんの投稿を拝見して、復興城主として宇土櫓解体前にぜひ一度訪れておきたかったのです。レンタカーを返却した後、徒歩にて赴き、まずは市役所より俯瞰を楽しみました。長塀、備前濠から西の丸へ脚を伸ばし、三つの天守が並び立つ雄姿を目に焼き付け、加藤神社から宇土櫓を眺めた後に天守へと向かいました。天守の特別公開は事前に時間指定のWebチケットを購入しておきました。充実の展示の数々、リピートしたい魅力的なものでした。平成40年まで有効の復興城主証があるのでわくわく座にも立ち寄ってから、郷土料理の店へと向かいます。球磨焼酎、揚げたての辛子レンコン、馬刺しを堪能させていただきました。

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にのまる

①苧綿櫓 (2023/05/27 訪問)

三度目の四国上陸で、未スタンプの大洲城・宇和島城・河後森城をクリアしようと計画を立てたのですが、列車旅での河後森城の難易度の高さと、大洲・河後森近辺には適当な宿泊地が(私的に)見つけられないことからさんざん悩んでやっと組めた行程は、
1日目 大洲城(宇和島泊)
2日目 宇和島城・河後森城(松山泊)
3日目 未定
4日目 未定

とりあえず2日間の予定を決めて、あとは現地で考えようと出かけました。
5時半に自宅を出て品川から新幹線で岡山へ。岡山から特急しおかぜと宇和海を乗り継いで伊予大洲駅到着は14時。遠かった。。。

伊予大洲駅前の観光案内所に寄ってから徒歩で向かいました。大洲城まで約2kmです。
肱川橋にかかるあたりで天守が見えてきました。
かっこいいです。
「城のある町」感が出るのはやっぱり天守の存在だなぁ……。
風情のある光景を噛みしめながらゆっくり肱川を渡りました。
橋を渡り右に折れて商店街を通ります。お肉屋さん、本屋さん、酒屋さん、美容室、呉服屋さん……。どこか懐かしさを感じる通りでした。

商店街を抜け右の陸閘をくぐると現存(江戸後期に再建)の苧綿櫓がどんっ。
肱川に向いている方に出窓や袴腰型石落としがついています。
解説を読むと洪水に備えて昭和34年の解体修理の時に石垣を2.6mかさ上げしたそうで、土塀のある石垣(こちらも修築っぽい)から飛び出しています。遺構を大切に思えばこそのアイデア、素晴らしいなぁと思いました。かさ上げ前の石垣のラインを写真を見ながら確認するのもおもしろかったです。
一旦陸閘を出て、内側からも見てみます。
こちらはシンプルですが鯱が載っているのがよく見えました。

<つづく>

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城とマスク

中村城と松川浦のホッキ飯 (2023/07/17 訪問)

松川浦漁港のホッキ飯と穴子の天ぷらを食べてから中村城を見学しました。浜焼きもオススメです。

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火ノ島豊後守正宗

有子山城 (2023/07/16 訪問)

続69城目(+α)。
出石城跡から40分程度で登城して有子山城跡の本丸に到着。ものすごい急な坂でしたが半分の400mをこえたぐらいで少し楽になりました。山頂から見た城下町出石は大変すばらしかったです。

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火ノ島豊後守正宗

出石城跡 (2023/07/15 訪問)

続69城目。
出石城跡に到着。多くの風鈴が素晴らしい音色を奏でておりました。なかなかの風情でした。出石城跡のはるか上に有子山城跡がありますが時間的に厳しかったのでそこの攻略は明日にします。

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おっつん

通行止 (2023/07/17 訪問)

下の駐車場から階段を徒歩で上がりましたが通行止看板があり本丸までは行きませんでした。

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天下普請 (2023/07/17 訪問)

 久しぶりに加納城へ行って来ました。石垣がよく残っているのですが、夏草に覆われてよく見えません。2016年に一度来ていますが、その時も7月でした。今回の方がより石垣が見えにくくなっています。皆様の投稿を拝見しますと冬場に来ると石垣が比較的よく見えています。平城といえども登城は季節を選ばないといけませんね。
 名鉄加納駅から徒歩にて登城しました。10分くらいです。帰りは中山道の宿場町加納宿を歩いてJR岐阜駅へ向かいました。ふらふらと寄り道をして20分くらいでした。

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チェブ

別々の顔。 (2023/07/04 訪問)

「河村城」のやさしい方(?)を攻めました。

北条色強目な「河村城」ですが、歴史は古く南北朝時代でも活躍していたようです。
因みに、河村氏は南朝方。ほとんど討死したそうです。

遊歩道が完備された『河村城址歴史公園』。
駐車場にある説明板の前に堀切が行く手を阻み、どう攻めるか迷わせます。
堀切の向こうは大庭郭張出とありました。大庭郭、、、。
2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』には登場しませんでしたが、石橋山の戦いで、大庭氏と共に河村氏が源 頼朝さんを苦しめました。敗北しお預けの身になった河村氏は、10年後 流鏑馬の腕前を披露し許されます。
大泉 洋さん演じる頼朝さんが、ちゃっかり登場する河村氏を、コミカルに許すストーリーが想像できます。
が、頼朝さんエピソードはたくさんあるので、大幅カットです。大庭郭から紐つけましたが、ぜーんぜん関係ありません。

この日は平日で、駐車場に営業途中で休憩してる車が1台のみの「河村城」です。
でも、奥に伸びた「河村城」の遊歩道に、ケンケン パッのチョークの跡があり、休日は家族連れの楽しい様子が連想されます。
この、ケンケン パッに、はしゃぎ平らな方を歩いて行きます。右側に展望台があり、休憩できるようになってます。まだまだ、ケンケン パッが続くので前進。郭との間に障子堀。橋の下は鋭角に切ってありました。
奥に「河村城」の石碑があります。小さな祠があり、裏手に回ると深い堀が見えました。

「河村城」は秀吉さんの小田原征伐で幕を閉じます。
正直、私が歩いた遊歩道は、攻めやすく障子堀や畝堀も芸術作品のような感覚で見てしまいました。
違う登城口から攻めたら、また違う表情が見えたのでしょう。

秀吉さんの小田原征伐は、7月に北条家の降伏で終わります。本日、東京の端っこは37度予報。
「河村城」は日陰が展望台の下と、木々の下しかありません。
こんな暑い時期ではなく、小田原征伐が始まる秋の方が「河村城」の秀吉軍を迎え撃つ姿勢を感じられるかもしれません。

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岩崎城

夏の特別展「語り継がれる小牧・長久手の戦いの記憶」

岩崎城歴史記念館で毎年恒例の夏の特別展を開催します!

小牧・長久手の戦いについては合戦記や口伝などにより
様々な伝承が残ります。
各地に残る小牧・長久手の戦いの伝承を中心に紹介します。

ぜひお越しください。

■ 開催期間
8月5日(土)~10月1日(日)

■観覧無料

■場所 岩崎城歴史記念館 2F 展示室

詳しくはコチラhttp://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/kikaku.html


お問い合わせ  岩崎城歴史記念館
〒470-0131 日進市岩崎町市場67番地
Tel 0561-73-8825
HP  http://www.mf.ccnw.ne.jp/iwasakijo/
開館時間 9:00~17:00 休館日/月曜日(祝日の場合は開館)、12月28日から1月4日

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じゅんじん

公園 (2023/05/20 訪問)

未完だけど知多半島屈指の名城になるはず。整備計画があります。

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じゅんじん

公園 (2023/05/20 訪問)

セントレアや大草城そして三重県まで見渡せます。

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じゅんじん

中学校と三嶋神社 (2023/05/14 訪問)

岡津中学校と三嶋神社が城址になります。下の岡津小学校は陣屋跡といわれています。

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じゅんじん

高校 (2023/05/14 訪問)

豪雨の中校門周りだけ撮影しました。

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あみりん

危険な暑さな、松代城巡り。 (2023/07/16 訪問)

改装中の、ゾーンもありましたが、散策コースはこぢんまりしていて回りやすかったです。

天気が良すぎて汗だくになりました。

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ぴーかる

櫛羅陣屋 (2023/06/17 訪問)

【櫛羅陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>車

<感想>日帰り奈良ちょこ城150㎞の旅ラスト8城目。櫛羅陣屋の前身は大和新庄藩で、1601年に桑山一晴(桑山重晴の嫡孫)が和歌山2万石から移転して立藩します。桑山氏は1682年に改易され、その後宮津藩から1万石で永井氏が移転してきます。幕末の1863年に櫛羅に陣屋を移して櫛羅藩を立藩します。1871年廃藩置県で櫛羅県⇒奈良県に編入されます。
 先達のtodo94さんの投稿にあるように陣屋跡は私有地になっているようなのでとりあえず入口前まで行きました。櫛羅藩陣屋門遺構(南門)を行って、九品寺にある移築御殿玄関を見に行きました。現在移築玄関は本堂と合体されちゃってます。

<満足度>◆◇◇

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トク

55【関ケ原の26人】(21)徳川家康 (関ケ原-家康最後の陣) (2022/10/29 訪問)

(21人目)「徳川家康」の続きです。
関ケ原にある最後の陣跡へやってきました。桃配山で戦況がわからずイライラした家康は、家臣たちが止めるも聞かず、最前線のここまで前に出て本陣を敷きました(写真①②③④)。関ケ原古戦場記念館の横です。

私は、ここから石田三成のいる笹尾山の陣、小早川秀秋のいる松尾山の陣が、家康からどのように見えたのか? それを確かめようと思い記念館から眺めてみました。

笹尾山はよく見えました(写真⑤)。ここからなら最大激戦地の戦況がよくわかったと思います。松尾山の方を見ると・・・(ん~遠いな🤔)(写真⑥)。ここから鉄砲を撃ちかけても、小早川秀秋には聞こえるわけがないと思いました。家康は、本当に聞こえると思ったのでしょうか? やっぱりあの話は、江戸時代の創作なのではないでしょうか?

そして石田軍壊滅、三成は伊吹山へ敗走中との知らせが入ります。目の前にいた田中吉政に、「そなたは近江の出身、このあたりの地理には詳しいであろう。ならば三成を追い、捕らえよ!」と命じます。(写真⑦家康の前にいた吉政の陣)

そして、「やれやれ、これでやっと決着がついた」とほっとしたのもつかの間、何やら目の前にこちらに向かってくる小集団が見えます。「ん? 何事か? いったい何者じゃ?」

それは島津義弘の軍団でした。退路を断たれた島津軍は、逆に家康の首めがけ一直線に突進してきたのです。もうあと200m、100m、50mくらいまで迫ってきました。家康絶対絶命のピンチ!(どうする家康!)。私はその位置(写真①)に立ってみました。そして写真①より私があそびで作った想像図⑧です。もうこの位置まで義弘は迫っていたと思われます。 

直臣らが必死に守り、直政ら他諸将も戻ってきて何とか家康を守り抜きます。あともう少しで家康の首が取れるというところでしたが、囲まれてしまい 「残念! もはやこれまで!」 と義弘はあきらめ伊勢街道の方向へ走り去ります。そして直政がこれを追って行きました。

私は家康最後の陣跡に立ち考えてみました。ピンチを脱した家康は、どんな思いでここから最後の戦況を見つめていたのでしょうか?

「おのれ~、石田三成と島津義弘だけは絶対に許さん!!!」
きっと怒りが頂点に達し、勝った喜びも忘れてしまっていたのではないでしょうか?・・・

残るはあと5人です。
次は(22人目)に続きます。
 

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赤い城

やっぱり推しは水洗トイレ。 (2023/07/10 訪問)

朝一で久保田城リアの跡、稲庭うどん食べに湯沢までドライブ。
高速でカモシカに出会うサプライズ、熊じゃなくてよかったです。
うどんをおいしく頂き(これで三大うどん制覇)、秋田市内に戻り、駆け足で秋田城に訪問しました。
駐車場すぐの案内所でスタンプを押してるとガイドさんより勧誘が。
本当はガイドしてもらいたいけど新幹線の時間もあるので辞退、いつものように?駆け足での探索になりました。
城内東大路からまずは政庁跡に。
その先に歴史資料館があるのですが時間の都合でパス、残念!
外郭方面に戻りました。
古代沼を見下ろしたあと散策しました。
建物跡などが解りやすく展示されていました。
見どころで地元も推しの古代水洗トイレもちゃんと見学できました。
最北の古代城柵官衙遺跡でかなりの広さもあリました。
機会があればじっくりと再訪したいです。

今日のニュースでは秋田で水害とのこと。
最小限の被害であることを祈ります。

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にのまる

江戸散歩 (2023/05/17 訪問)

4/15~6/11まで開催されていた企画展「家康、波乱万丈」を見に北の丸の国立公文書館へ行ってきました。大河ドラマの三方ヶ原の回からまだ日がたっていない頃だったので、夏目さんに関係する史料にはじーん🥲ときてしまいました。(入場無料・撮影可)

公文書館を出ると皇居一般参観の午後の部にちょうどいい時間だったので、東御苑を通り抜けて受付場所の桔梗門に行ってみました。しかし、当日受付は早々に終了していて参加できず。
コロナ禍中はふらっと行っても余裕だったのですが、インバウンド実感しました。
涼しくなってから予約して行くことにします。

このまま帰るのももったいないので、日本橋の三井記念美術館へ。
和田倉門や常磐橋門に立ち寄りながら歩いていきました。
展示替えのあった「どうする家康展」。年パスを持っているのでタダです。
前回より少しゆっくり見られました。

「どうする家康」関連、東京では7/28~8/4、NHK放送技術研究所(技研)1階のエントランスで全国巡回展があります。(予約不要・無料)
期間が短いのですが、隙を見てチャリ漕いで行ってこようと思います。

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