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スティクラ

今年で創建350年の錦帯橋から岩国城へ (2023/10/07 訪問)

JRの秋の乗り放題パスを使い、岩国城へ。
錦帯橋は、初代の落成から今年で創建350年ということで10月1日に記念式典が行われたらしい。

岩国城は錦帯橋から見ることができ、登山で岩国城まで行くことができるか今回はロープウェイへ向かう。
錦帯橋からロープウェイまでは昔の屋敷跡があったり、昔の雰囲気を残しているので、楽しめる。
ロープウェイは15分おきに運航されているので、待ち時間はほとんどなし。
ロープウェイから天守へは、緩やかな登りで2つのルートがあり、1つは舗装された道。
行きは、舗装されてない道で向かい、石垣やお堀跡を見ることができる。

天守内は、刀が数多く展示されていて、刀好きにはおススメ。
天守の最上階からは、錦帯橋を含め、海まで見えていい眺めだった。

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ぴーかる

小丸城 (2023/08/19 訪問)

【小丸城】
<駐車場他>城跡横のスペースに駐車できます。
<交通手段>車

<見所>石垣・虎口・門跡・堀・石段
<感想>越前ちょこ城巡りの旅9城目。朝倉氏滅亡後に織田信長は1575年に佐々成政・不破光治・前田利家の3人に府中10万石を与えます。以降3人は府中三人衆と呼ばれ、不破光治は龍門寺城、前田利家は越前府中城、佐々成政は小丸城を築城します。佐々成政は1581年に越中国を与えられるまでの6年間ここを居城としました。
 ここはちょこ城ではありません。道路のすぐ脇の小丘が本丸になっており、南面に石垣が残ります。本丸の南に石組の門跡があり天面も巨石で塞いでいます。虎口内側の石段と石廊も併せてなかなか見応えがあります。本丸の西側にも石段が見られます。当時は本丸の周囲を堀で囲んでいたようですが現在は東と北側に深い堀が残ります。堀の北側の曲輪が二の丸かと思います。残る石垣から当時は本丸法面全面に段状の石垣があったかもしれない想像を膨らませ楽しめました。

<満足度>◆◆◇

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にのまる

その3 (2023/09/20 訪問)

①大石神社
「義」とは何か。難しいです。

②塩屋門
藩士の屋敷地にごく近い城の搦手門で、藩士に合図をおくる太鼓櫓もあったそうです。藩士たちの出入りの様子が目に浮かんできます。

③三之丸西隅櫓台
塩屋門の傍の西駐車場内です。“駐車場の石垣”として現役な感じでした。

④二之丸北隅櫓台
9:00の開園時間を過ぎたのでそろそろ二之丸庭園に向かいます。
この長い石垣の向こう側が二之丸庭園です。

⑤二之丸門跡
発掘調査を元に2016年に復元されたそうです。かつての石垣は明治時代の大水害の復旧資材として持ち出されたとのことです。

⑥山鹿素行先生銅像
改築にかかわった二の丸虎口を見守る場所に。以前は二之丸庭園内の謫居跡に建てられていたそうです。

⑦⑧⑨⑩二之丸庭園
復元大石頼母助屋敷門から入りました。舟倉そばの西中門跡へは通行止めで行けませんでした。三の丸の工事が落ち着いたらここから抜けられるかもしれません。西仕切門から退出しました。

<つづく>

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にのまる

その2 (2023/09/20 訪問)

①三の丸東隅櫓台
大手門からスタートしましたが城内には入らず時計回りにすすむと水堀越しに櫓台が見えてきました。歴史博物館に隣接する東駐車場のそばです。
歴史博物館は休館日だったため残念ながら入館できませんでした。

②清水門
歴史博物館側からの入城門となっています。
幕府に城を明け渡したあとに大石内蔵助が名残を惜しみつつ退去した門だそうです。

③二之丸東北隅櫓台
外側の清水門から見たところです。

④奥野将監定良屋敷跡
それぞれの屋敷跡に説明板が立てられていました。

⑤武家屋敷公園
猫さんがいました。

⑥大石邸長屋門
三度の大修理を経て大切にされています。

⑦近藤源八宅跡長屋門
大石内蔵助邸長屋門の斜向かいで、雰囲気のある通りとなっています。

⑧⑨⑩
大手門に戻ったので改めて入りなおしました。
復元高麗門横の雁木の幅が激狭でびっくり。枡形内側の櫓門は復元されていませんが、礎石の位置が地面に示されています。休憩所が建っているのは番所跡。

<つづく>

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ヒロケン

上杉謙信公 (2023/10/07 訪問)

春日山城は、新潟県上越市標高182mの春日山にある連郭式山城で、別名蜂ヶ峰城と呼ばれています。春日山城の名前の由来は、長尾景虎公(上杉謙信公)が上杉家を相続した際、上杉家の氏神である奈良の春日明神を勧請したことから春日山と言われるようになったとの事です。
春日山尾根の北先端に本丸を中心にした「実城」と呼ばれる主郭部を置き、主郭部周辺から春日山神社にかけて多くの曲輪を階段状に配置、南三の丸と呼ばれる本丸の南側に広がる曲輪、周辺の山々の尾根には支城・砦を巡らし、山の裾野に延長1.2kmにも及ぶ堀と土塁で総構えが造られています。

春日山城は、戦国時代の名将上杉謙信公の居城として知られていますが、国の指定史跡・日本100名城・日本五大山城としても有名です。

春日山城へは、10年振り2度目の訪問で、早朝1時30分に豊橋を出発し、片道400km約6時間かけ訪問してきました。今回の目的は、高田城跡跡・鮫ヶ尾城跡の続100名城のスタンプ目的でどちらの城も訪問したことはありましたが、スタンプを頂いていなかったので、今回そのついでに春日山城を訪問しました。
この城跡に軍神上杉謙信公・直江兼続公・歴史に名を遺す数々の名将が居られたかと思うと、想像で胸が弾む(*^▽^*)。家に帰り、10年前の画像を見て、各曲輪の杉の木が伐採されているものの、ほぼ変わっておらず安心しています。

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ヒカミ

信長と家康それぞれの桶狭間 (2023/10/07 訪問)

寝ないで勉強してきました

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総構 (2023/10/07 訪問)

 小田原城総構をゆっくり見ようと思いましたが、午前中に行った土肥城が思ったよりハードで体力と気力を消耗し時間もかかってしまったため全域を回ることは断念しました。小峯御鐘ノ台大堀切(西堀、中堀、東堀)、三の丸新堀土塁周辺を散策してきました。
 今回は天守閣には行っていませんが、遠くから見ると多く方が登城されていたようですね。

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源頼朝 (2023/10/07 訪問)

 湯河原駅前には土肥実平夫妻の像と土肥氏館跡の石碑があります。土肥城近くには源頼朝関連の史跡がいくつかあります。立石、兜石、源頼朝が石橋山の戦いで敗れて潜んでいたというしとどの窟は土肥城の主郭から25分くらいで行くことができます。土肥城主郭からしとどの窟の入口まではアップダウンも少なく歩きやすい道です。ちなみに真鶴にもしとどの窟といわれている所がありますが、行ったことはありません。その後、主郭に戻り下山。立石、兜石、成願寺を見学して湯河原駅に戻りました。

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土肥実平 (2023/10/07 訪問)

 鎌倉時代初期の土肥氏の城と伝えられていますが、遺構は戦国時代の後北条氏の時代のものではないかともいわれています。主郭から主に東側に曲輪が展開していています。二重堀切などがあるようですが、緑がまだまだ多いこともあるのかよくわかりませんでした。それらしい場所があり写真は撮りましたが、冬に来るとわかりやすいのでしょうか。
この日は草刈りを行っている人たちがいました。おかげさまで歩きやすかった。感謝、感謝です。

 湯河原駅からは城山ハイキングコースを徒歩で登城で行くことができます。ただかなり急坂で時間もかなりかかります。主郭周辺だけを観るなら近くの城山公園ピクニックグラウンドまで車で行くことができます。

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トク

黒田家の名宝展(福岡市博物館) (2023/10/07 訪問)

長政公没後400年を記念した黒田家の名宝の特別展示会が福岡市博物館で開催されていたので行ってきました。織田信長から拝領の名刀「圧切長谷部(へしきりはせべ)」(写真④)、黒田節の由来となり福島正則から勝ち取った名槍「日本号」(写真⑤⑥)、官兵衛や長政の肖像画(原画)(写真⑨⑩)、長政が実際に関ケ原で着用したとされる甲冑(写真⑦)など、ふだん見る事のできない蔵出し名宝が今回展示されていました。いずれも以前から見たい物ばかりでなかなか公開されなかったので、いざ目の前にすると感動して見入ってしまいました(いずれも撮影可)。

北条との和睦の使者を務めたのは黒田官兵衛であり、この時北条氏直から降伏の証として、歴史書「吾妻鏡」、名刀「日光一文字」、北条の「ほら貝」を授かった話は有名です。 大河ドラマどうする家康では、使者に榊原康政が描かれており、本当の使者だったはずの官兵衛が番組でスルーされた事に地元福岡では(あれ?なぜ?)との声も・・・

その「日光一文字」と「ほら貝」も今回展示されていました(うわ~本物だ!😯感動です!)(写真②③)。吾妻鏡はその後家康に献上され黒田家には残っていないとの事です。
 

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蜻蛉切

武門のレガシー (2023/10/07 訪問)

行田市桑名市白河市の三市交流展「三方領知替え 200年記念 武門のレガシー」を見に来ました😁
開催は残り一週間。10月28日からは、桑名市博物館に移動するそうです。

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にのまる

その1 (2023/09/20 訪問)

2017年12月、城びとに会員登録して最初に投稿したのが赤穂城でした。(ひとことぼそっとつぶやいただけですが。)
その時以来、5年9ヶ月ぶりの登城です。
移築山門のある花岳寺と息継ぎ井戸に寄ってお城通りをすすむと、三の丸隅櫓が見えてきました。真っ白な櫓が最初に目に入るとホッとするし気分も上がります。
初登城時は大石神社と本丸のみの見学でしたが、このたびのマイミッションは“できるだけたくさんまわる”です。
赤穂城の見どころはパンフレットにもたくさん載っていますが、現地案内板(写真⑤)には88カ所挙げられています。藩士宅跡を除いても33カ所。なかなか手強そうです。
縄張りが独特なのもあって、図面を頭に入れて歩くなど私にはとても無理。三の丸から見学スタートしましたが、方角がわからなくなって地図をぐるぐるまわしたり、自分がその場でぐるぐるまわったりしながら、チェックポイントを求めて彷徨いました。

<つづく>

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九兵衛

鷺山から見た岐阜城 (2023/10/07 訪問)

斎藤道三も、義龍が居る岐阜城を睨んでたのかなぁ、と妄想。

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九兵衛

石垣探し (2023/06/10 訪問)

藪を掻き分けたり、竪堀に落ちそうになったり、残存している石垣を探すのに苦労しました。

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蜻蛉切

安土城天守の復元 (2023/10/06 訪問)

泰巌歴史美術館に行きました👍️
信長の文書が多数展示され、館内には安土城天守と熱田神宮の信長塀の復元が展示されてます💡

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しんちゃん

「勝山御殿」 勝山城(山城)は「いつかの玉越」 (2019/12/30 訪問)

勝山城の投稿ですが、勝山御殿でお願いします。なんのこっちゃですが
勝山城と勝山御殿はまったく別の城で勝山城(山城)は訪問していないんですね。
出来ればこの城は分けてほしかった‥。勝山御殿は幕末、長府藩主毛利元周が
急ぎ築いた石垣造りの居館(府城)です。本丸を二段に分け北に御台所(居間)
を配し、南に大御書院などの主要機関を配しています。その下には二の丸を配して
いるようです。石垣は打込接と切込接の中間のようにも見えますが、カズサンさんが
書かれているように落し積みという技法を使っているようです。名工・石川延右衛門
の築いた石垣は長石を巧みに使った、なかなか味のある積み方で芸術性すら感じます。
色もなかなかにカラフルでヘビの鱗のようです。(褒めてます)山城の勝山城は
いつかの玉越でお願いします。正直いつになるのやら‥ サムデイ戦士いつかマンに
ならないように頑張ります。(宿題)

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しんちゃん

乃木神社  山口県下関市長府 (2019/12/30 訪問)

乃木神社は山口県下関市長府にある神社です。祭神は乃木希典さんで地元では
学問の神様で通っているそうです。境内には大正3年(1914)に復元された
旧乃木邸(乃木希典生家)があり、幼いころの乃木さんとその両親の像があります。
そこから歩いてそう遠くないところに長門国二ノ宮 忌宮神社があります。
境内には仲哀天皇が政治を行った豊浦宮の旧址の言い伝えがあるようです。

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しんちゃん

霧の中の高嶺城 (2019/12/30 訪問)

高嶺城は標高338mの高嶺の尾根上に築かれています。大内義長による築城とされ
尾根上に郭が続き終端の最高所が主郭で周囲に石垣が積まれています。東の郭が
ある周辺まで車道が続きNHKの中継所がある付近に駐車場がありました。
郭の名前は特に無く、登城道を西に向かい北に折れ曲がる箇所に大きな郭があります。
そこからさらに北上して行くと主郭にたどり着き主郭は周囲に石垣が残っていて
南側、北側に良く残り、南側には石段が続いています。霧が立ち込める中の
登城で写真もなかなかモヤっていますが、これはこれで良いのではないでしょうか。

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ぴーかる

越前府中城 (2023/08/19 訪問)

【越前府中城】
<駐車場他>武生市役所。私はシステムパークタケフ(コインP)に駐車しました。
<交通手段>車
<感想>越前ちょこ城巡りの旅8城目。越前府中には元々越前国の国府・守護所があった場所で越前府中城とほぼ同じ場所にあったようです。朝倉氏はこの場所に奉行を置き、朝倉氏滅亡後は織田信長が前田利家に府中を与えました。前田利家がこの時本格的な城としての建造をしたようです。関ヶ原の戦い後は越前国は結城秀康に与えられ、越前府中城には家老の本田氏が入り改築します。本田家の越前府中城は特例として一国一城令の対象から外されて御館として明治維新まで存続します。維新後に堀が埋められ現在は武生市役所となっています。市役所の隅にある復元石垣および表門が正覚寺の山門として移築されているので見に行きました。炎天下のなか竜門寺城と移築門を市役所から2往復してしまい、足がつってしまった。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

出津教会堂 大野教会堂 (2020/01/01 訪問)

出津教会堂は長崎県長崎市西出津町にある教会堂で世界遺産に登録されています。
 明治15年(1882)マルク・マリー・ド・ロ神父の設計による建設とされています。
 レンガ作りで外壁は白漆喰を使用しています。鐘楼の上には聖母マリア像、隣にある
 搭の上にはイエス・キリスト像が飾られています。
大野教会堂は長崎県長崎市下大野町にある教会堂で同じく世界遺産に登録されています。
 ド・ロ神父の設計によるもので石造りの壁で囲まれ、通称ド・ロ壁と呼ばれています。
 早朝の参拝になり外観のみの確認でしたが貴重な建造物を見学させていただきました。

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