とことん駿府城(駿府城公園)
(2023/08/05 訪問)
(続き)
駿府城の本丸・二ノ丸は駿府城公園として整備されていますが、明治に陸軍歩兵連隊が置かれた際に建物は全て撤去され、本丸と二ノ丸を隔てていた本丸堀は埋め立てられており、現在は東御門の西側に発掘調査で再び姿を現した本丸堀の南西隅部、紅葉山庭園の南西側に二ノ丸水路が接続する部分が見られるくらいです。二ノ丸水路は本丸堀の水位を保つために築かれた石組水路で、四度の折れを設けて二ノ丸堀に接続しています。
本丸堀南辺の御玄関前御門と二ノ丸堀南東部の東御門の間には東喰違御門が設けられていて、門と西側の石垣は失われましたが、東側の石垣が遺されています。本丸堀が埋め立てられているためわかりづらいものの、説明板の地図と現状を見比べるうちにイメージすることができました。同様に、本丸堀北辺の御天守台下門と二ノ丸堀北辺の北御門の間にある馬場先御門も石垣造りの喰違門だったようですが、こちらは説明板があるのみで遺構は消滅しています。
二ノ丸堀南辺に設けられた二ノ丸御門は現在の公園入口にあたる二ノ丸橋より西側にあり、木橋や高麗門、渡櫓門は失われたものの枡形石垣が一部遺り、発掘調査で確認された枡形の位置が石積みや植栽で表示されています。また、二ノ丸御門北側の遊歩道沿いには、地震で崩落した二ノ丸堀石垣の破損した石材を用いた『切込み接ぎ』と『打込み接ぎ』の石垣モデルが展示されていました。
天守台南東の本丸跡には鷹狩姿の徳川家康公像が建ち、その向かいには家康公お手植えのミカンが植わっています。紀州から献上されたミカンとは知りませんでしたが、となると、駿府から和歌山に移封された徳川頼宣が山がちで稲作に向かない自国の産業振興策としてミカンの生産を奨励したのも、「そういや親父殿が育てていたあのミカンは紀州ミカンだったよな……これはいけるかも!?」なんてことがあったかもしれない…と、しばし妄想していました(和歌山県民なもので)。
その他、東御門近くの駿府城下町の石碑や今川義元公歌碑などをチェックして、駿府城公園を後に今度は城下町めぐりです(続く)。
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