ねのいしやかた

根井氏館

長野県佐久市

別名 : 根々井館
旧国名 : 信濃

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この時期はツツジがさいている
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しんちゃん

木曽義仲四天王、根井行親(海野幸親)の居館跡 (2023/04/29 訪問)

正法寺を中心とした150m四方が城址になります。
案内板によると「木曽義仲の軍にその人あり」と知られた
根井大弥太郎重野行親の館跡とのこと。
かつては周囲を土塁に囲まれていたらしいですが、正法寺の周囲の
あぜ道にかつての縄張りの跡を感じることが出来るかも‥
境内には根井行親の供養塔があります。

調べたところ根井行親は義仲四天王の一人で海野幸親と同一人物
と言われている人です。
保元の乱では源義朝に従い活躍、源義経と戦った
元暦元年(1184)の宇治川の戦いで25000の敵軍相手に
300騎あまりで宇治の防衛にあたり討ち死にしたと有ります。
勉強になりました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:根井氏館 (2023/04/18 訪問)

岩尾城から転戦。正法寺駐車場(36.259830、138.454647)に駐車しました。
根井行親の供養塔が、この位置(36.260175、138.454318)にあります。

築城年代は定かではないようですが、平安時代末期に根井氏(ねのい)によって築かれたと云われています。
根井氏は滋野氏の一族・望月氏の支流で根井行親の父国親の頃にわかれたそうです。
根井行親は木曽義仲の四天王の一人に数えられた人物で、1156年(保元元年)の保元の乱では源義朝に従って奮戦し、1180年(治承4年)木曽義仲が挙兵するとそれに加わって各地を転戦しました。
1184年(寿永3年)源頼朝が源範頼・源義経に木曽義仲の追討を命じると、木曽義仲とともに近江へ逃れ「宇治川の戦い」で敗れて討死しました。

現在の正法寺周辺が館跡とされます。
特に遺構は残っていないようですが、正法寺の墓地の中に根井行親の供養塔が建てられています。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=伴野城に向かいました。

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じゅんじん

4年ぶり2回目 (2022/04/05 訪問)

お寺に城址碑や説明板があります。

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赤い城

正法寺が館跡 (2021/11/28 訪問)

木曽義仲の四天王の一人に数えられた根井行親の館跡。
正法寺が跡地で遺構はなさそう。
跡地には正法寺が建っています。
寒かったけどこの辺り晴れ予報だったので行軍しましたが雪が舞い散る。
冬タイヤ無いのでどうしようかと思いましたがその後天候回復。
事なきを得ました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 根井氏
築城年 平安時代後期
主な城主 根井氏
遺構 消滅
指定文化財 県史跡(根井氏館跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県佐久市根々井亀田621-イ-1他
問い合わせ先 佐久市観光協会
問い合わせ先電話番号 0267-62-3285